2024年12月31日火曜日

大晦日

今日はいよいよ大晦日。

朝、御飯、味噌汁、ハム、ウィンナーソーセージ、納豆。

妻は仕事。CDでベートーヴェンの第九と黒門町の『富久』を聴く。

昼は次男が作ったチャーハン。

テレ東の『孤独のグルメ』をチラ見。井之頭五郎は沖縄の残波岬でぜんざいを食べていた。


 おお、ここは春に我々がブルーシールアイスを食べた金城パーラーではないか。

また沖縄に行きたくなったよ。

夕方、高山T君がLINEで多治見の「薄い建物」の写真を送ってくれた。


どうやら看板建築の看板の部分だけが残っているらしい。正面から見るとこんな感じ。


まさかこれを横から見るとあんな光景が広がっていようとは誰も思わんわな。

さーて、これから年越し蕎麦食べて、紅白見て、2024年が終わっていくんだなあ。


湖国探訪③ 近江八幡の洋風建築

近江八幡を代表する人物として、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが挙げられるだろう。

1880年、米国カンザス州生まれ。1905年に近江八幡の滋賀県立商業学校(現八幡商業高校)の英語教師として赴任する。ところが、その熱心な布教活動が原因で教師をクビになってしまう。その後、独立伝道者に転じ、副業として建築設計事務所を創業。全国で約1600にも及ぶ建築設計に携わる。また、米国の塗り薬、メンソレータムの輸入、製造販売も始め、近江兄弟社を設立した。医療や教育など多岐にわたる社会貢献事業を展開、近江八幡名誉市民第一号となった。1964年、83歳で永眠。日本名を一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)といった。

ここ近江八幡にはヴォーリズ事務所の手になるものを含め、多くの洋風建築が残っている。そのひとつひとつを高山T君は案内してくれた。

八幡宮の鳥居の正面に白雲館がある。

元八幡東学校校舎。現在1階は観光案内所に使われている。
明治10年建築。ヴォーリズ来日前の日本人大工による擬洋風建築である。

市立資料館。
元八幡警察署でヴォーリズ建築のひとつ。

八幡商業高校校舎。ヴォーリズ建築。
前身はヴォーリズが働いた県立商業学校。創立140周年の垂幕が出ていた。
滋賀県最古の商業高校は近江商人発祥の地に建てられたのだ。

八幡小学校校舎。

この建物を見るために、学校の敷地の周りを一周してしまったよ。

八幡教会

地塩寮
近江兄弟社の独身寮として建てられた、ヴォーリズ建築である。
現在は1階は教会の会議室などに使用され、2階は牧師家族の住居となっているという。

アンドリュース記念館
ヴォーリズの大学時代の友人、ハーバート・アンドリュースを記念して建てられた。
ヴォーリズ建築最初の建物である。

旧八幡郵便局

1921年建設。ヴォーリズが設計した。

ヴォーリズ記念館
ヴォーリズ夫妻が設立した清友園幼稚園の教師宿舎として設計された。
晩年の夫妻の自邸となった。

こういう家で暮らしてみたいものですなあ。

近江兄弟社のメンターム資料館の向かいにはヴォーリズ像がある。



ヴォーリズは米国の塗り薬「メンソレータム」を輸入、製造販売していたが、彼が設立した近江兄弟社は1974年に経営破綻する。「メンソレータム」はライセンスを取得したロート製薬のものになった。後に近江兄弟社がメンソレータムの製造設備を活用して新たに開発したのが「メンターム」である。

メンターム資料館の前には、メンターム「飛び出し坊や」がいる。



近江八幡は岡林信康の出身地でもある。

岡林の父親は新潟県の出身だが、30歳で滋賀県の紡績工場に就職。その時期にヴォーリズと出会いキリスト教に目覚めた。彼は大阪の神学校に学び、近江八幡で教会を開いた。

岡林はそこで生まれ、近江兄弟社中学、県立八日市高校を経て同志社大学神学部に進む。父の跡を継ぐべく牧師を目指していたが、その後、大学を辞め肉体労働者となり、自作の「山谷ブルース」でフォーク歌手デビューを果たす。彼の『ベア・ナックル・ミュージック』というアルバムに収められている「江州音頭物語」では、キリスト教による呪縛でクラシックと讃美歌しか音楽を知らなかった自分が、盆踊りの江州音頭のリズムに根底から揺さぶられる様が歌われている。

ヴォーリズさん、ここでも一枚噛んでいたか。

岡林の父が伝道活動した金田教会は、近江八幡駅近くに現存する。それもまたヴォーリズ建築であった。

2024年12月30日月曜日

湖国探訪② 近江八幡を歩く

いよいよ1日目のハイライト、近江八幡を散策する。

近江八幡市は人口8万人余り、商業都市として発展し、近江商人発祥の地としても知られている。父の運転手で地元の酒蔵を巡った時、近江商人を始祖に持つ蔵がけっこう多かった。

もともとは豊臣秀次の居城があった城下町。織田信長滅亡後、安土の城下町を移したものらしい。

秀次は秀吉の甥で養子。秀吉の長男鶴松の夭逝後は関白職を継いで、名実ともに豊臣家の後継となった。しかし、秀吉と淀君との間に秀頼が生まれると、その立場は微妙なものとなる。やがて謀反の疑いをかけられ、秀次は切腹。加えて、妻妾、子ども、乳母など40名近くが京都三条河原で斬首され、眷属は根絶やしにされた。この秀吉の苛烈な処置は、朝鮮出兵とも相まって、豊臣政権から人心を離れさせる元になった。

秀次自身の人間性にも問題があったとして「殺生関白」の悪名を着せられるが、八幡城下では善政を布いたという。地元では近江八幡市の基礎を築いた人物として評価されており、八幡山公園には銅像も建てられている。

近江八幡は碁盤の目に整備された美しい街だ。日牟禮八幡宮を起点に、縦横無尽に歩く。歩数は優に1万歩を越えた。では、その街並みをご堪能いただきたい。

八幡堀

碁盤の目なので、まっすぐ見通せる。

こういう板張りの壁が多かった。

防火壁「うだつ」も見事。

明り取りが施されている、凝った造りのうだつ。

愛宕神社は火伏の神様だ。

城のあった八幡山を望む。


私好みのシブめの建物もある。







市名の謂れとなった日牟禮八幡宮に参拝。




近江八幡を代表するもうひとりの人物、ヴォーリズについては次回書くことにする。では、今回はここまで。

2024年12月29日日曜日

湖国探訪① 佐和山遊園夢の跡

この前、高山T君と滋賀県を旅した。LINEをしているうちに、ひょんなことから盛り上がり、かねてからの望みだった近江乱入が実現することになったのだ。

当日、朝5時に起きて上野行の電車に乗る。東京駅に着いたのは8時少し前。8時3分発のひかり岡山行きと8時33分発のひかり新大阪行きがあった。迷ったが、生来のせっかちが出て岡山行きに飛び乗る。海側の窓際に座ることができた。降りる予定の米原には停車しない。名古屋でこだまに乗り換えればいいか、と軽く考えていた。

相模湾、駿河湾、三河湾を眺めながら、新幹線はひた走る。途中、反対側の窓越しに富士山がくっきり見えた。

名古屋で降りると、こだまではなく20分後に新大阪行きのひかりがやって来ることを知る。なあんだ、一本後に乗れば米原まで直で行けたのに。でも、この隙にきしめんが食えるな。

すかさずホームにある立ち食いのきしめんを食う。



いちばん安いきしめんが420円になっていた。値上げの波はここにも押し寄せたか。ともあれ、今回、きしめんは諦めていたのだが、自らのせっかちのお陰で食べることができた。やっぱり、ここのきしめんはしみじみと旨い。

後発の新大阪行きに乗って30分、念願の滋賀県米原に着く。

駅を出ると、高山T君が待っていた。彼は岐阜県の多治見から車でやって来た。これからT君の運転で、滋賀県の湖東地方を回るのだ。

まずは久闊を叙し、お互いの息災を祝う。

旅のメニューはほぼ高山T君にお任せ。まずは近江鉄道、鳥居本駅に行く。今は無人駅だがかわいらしい駅舎が残っている。



鳥居本町は中山道の宿場町として栄えた。合羽が特産で、この駅からも全国に発送されたという。2007年にはギネス世界記録の連続演奏記録に挑戦するコンサートが催され、見事184時間の世界記録を打ち立てた。

駅の裏へ回ると、足踏みのトロッコが無造作に置かれていた。すごい。


それから、また国道8号線を西へ向かう。佐和山トンネルをくぐり彦根市に入るとすぐ、佐和山遊園がある。地元の建設業者が、石田三成の居城、佐和山城を記念するテーマパークを構想して建てた。1976年に着工し、建設中も無料で開放していたというが、未完成のまま廃園となった。今見ても、展示物のひとつひとつに創設者のただならぬパッションが感じられる、滋賀県を代表するB級スポットだ。

では、ご覧いただこう。

佐和山城、再現天守

金閣寺を模して三成が建立した瑞岳寺

能舞台か

門内にあった佐和山城の模型

金色に輝く謎の美女像

この他にも五重塔や六体力士像などがあったらしいが、現在は撤去されている。高山T君が最初に訪れた時に比べ、廃墟感は加速しているという。

「おれは、君をここに連れて来たかったのだよ」と高山T君は言った。まぎれもなく私の大好物だ。T君、ありがとう。

ここで私のデジカメがおかしくなってきた。SDカードに書き込みができなくなってしまったのである。カードとカメラ、どちらに原因があるのか。カメラだったら嫌だなあと思いながら、ヤマダ電機に寄ってもらう。1000円で32ギガのSDカードを購入。試してみると異状はない。ほっと胸をなでおろす。

昼は国道沿いの日本晴食堂。


さすがは人気店。駐車場には車がいっぱいだ。

私たちはいちばん人気のトンテキ定食を注文。健啖家のT君は大盛、私はきしめんを食べていたので中盛を選ぶ。


もう間違いなし。旨し。(詳しくは後程「飲んだり食ったり」で)

旨い飯を食うと幸せな気分になる。その幸せな気分で、さあ近江八幡へ向かうのだ。