2025年3月29日土曜日

冷雨蕭々たり

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、納豆。

妻は仕事。長男とコーヒーを淹れて飲む。

ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーンを聴きながら『断腸亭日乗』の昭和6年の項を読む。荷風散人53歳。前年の暮れには、「五十二歳の老年に及びて情癡(じょうち)なほ青年の如し」などと書いていたが、その相手が病に倒れ別離を迎える、という年となってしまった。折しも満州事変勃発の年。荷風は不穏な空気を感じつつも、「今日わが国政党政治の腐敗を一掃し、社会の機運を新にするものはけだし武断政治を措きて他に道なし」と書き記す。その「武断政治」がやがて国を亡ぼすことを、荷風はまだ知らない。

冷雨蕭々たり。寒いせいか猫が膝の上を離れない。


長男と図書館に行く。『「軍都」を生きる 霞ケ浦の生活史1919-1968』(清水亮・岩波書店)を借りて来る。

昼は次男が作ったつけ麺。旨し。

サッチモを聴きながら、借りて来た本を読む。かつての海軍の町、土浦、阿見の歴史。軍とともに生きる人々の暮らしが、豊富な資料や証言によって鮮やかに浮かび上がる。面白い。

夕食は、焼肉、焼きそばで燗酒。

寝しなにアイリッシュウィスキー。

2025年3月28日金曜日

こぶしの花と火の見櫓

石岡市東成井の火の見櫓。

こぶしの花とのコラボレーション。

菜の花との取り合わせもきれいだね。

2025年3月27日木曜日

笠間を歩く

ここのところ、ずっと根を詰めた仕事をしていたので、今日は休みをもらう。

連日の夏日で、職場の桜が大分咲き始めた。


 昼は笠間市旧岩間町のてっぺんでけんちんそばを食べた。旨し。


久し振りに笠間日動美術館に行く。

企画展は「ゆる鉄」鉄道写真家、中井精也。列車よりも、風景や人物を主役に据えた作風で知られる。

2015年に日動の「大鉄道展」(2015年4月1日の記事)で、中井も写真を出展していたが、今回は堂々のメインである。見ているだけで心が温かくなる。

ぶらぶらと歩いて常設展の方に行く。


ユトリロ、シャガール、藤田嗣治、モネ、ゴッホ、ピカソ、ルノワール、ボナール、マチスなどに会ってくる。屋上からの眺めも素晴らしい。



美術館を出て、笠間稲荷神社にお参りに行く。






笠間の街を散歩する。古い街並みを見ながら歩くのは楽しい。10000歩歩いた。







ちょっと疲れた。門前のカフェに入ってコーヒーを飲む。旨し。


16時過ぎ帰宅。妻が買って来てくれたドーナツを食べる。

夕食は、キムチ鍋、オニオンスライス、卵豆腐でビール、渡舟の焼酎。食後にアイリッシュウィスキー。

3月で30℃になった所があったという。新聞には「100年に1度の暑さが、毎年やってくる」と書いてあった。まったく、どうなってしまうのだか。


2025年3月25日火曜日

元商店の建物

この前見つけた、元商店の建物。

看板が残っていた。

コカ・コーラが泣かせるじゃありませんか。上の方のも面白かった。

字が読みづらいけど、こんなことが書いてあった。


  郡下随一の山羊専門牧場

  山羊出張種付、買入

  御用命は下記

  稲敷郡桜川村甘田

  郡司種山羊場

  電話 阿波****番


こういう商売が昔はあったんだねえ。

2025年3月23日日曜日

同窓会、土日は初夏の陽気

昨日は中学校の同窓会。5年に1回やっているのだが、前回はコロナのためにとんだので、ほぼ10年ぶりの開催となった。

恩師A先生をお招きし、20人ほどが集まる。昔、とんがっていた奴らも、丸くなっていい感じのじいさんになっていた。

お昼から三次会まで飲んだ喋った楽しかった。次の回まで、皆、達者でいような。



今日の日記。

朝、ホットサンド、紅茶。

NHKの「小さな旅」を見ながらコーヒーを飲み、散歩に出る。汗ばむほどの陽気。こぶしの花が満開だった。もうすぐ桜が咲くんだろうなあ。















ついこの間は雪が降った所もあったというのに、今日は最高気温24℃。一気に初夏の陽気だ。野の花も一斉に咲き始めた。

1時間半歩いて、約8000歩。A先生は1日10000歩を目標にしているという。えらいなあ。

昼はサッポロ一番塩ラーメン。ボイラーの灯油を買いに行く。いやー、本当に高くなった。

夕方、常会の引継ぎ。

帰ってテレビをつけたら、高安の技能賞インタビューをやっていた。そうか、負けたのか。後で優勝決定戦、大の里との対戦のビデオを見たら、あそこで投げにいってしまったんだな。終盤、ずっとリードを許しながら優勝をたぐり寄せた大の里も大したもんだよ。大の里の顔がちょっと大人になってきたように思う。それにしても、またしても高安は涙をのんだか。嗚呼。

妻は夕方から夜にかけて仕事。

夕食は、豚バラ大根のトマト煮込み、ハムカツ、メンチ、ポテトサラダ、鮒の甘露煮、キムチ納豆でビール、燗酒。食後にアイリッシュウィスキー。

2025年3月20日木曜日

春分の日

春分の日。

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、納豆。

彼岸の中日、家族そろって墓参りに行く。


その後、父と留守番の次男を置いて、私たちは牛久へ。

牛久大仏で義父の墓参り。


昨日、家の方は雨だったが、牛久は雪が積もったという。その名残が、所々に見える。

義母にお昼をご馳走になる。一中そばのユーモア。ハンバーグが旨い。

ミニハンバーグとしょうが焼きのセット

妻の実家でお茶を飲んで帰る。

15時頃、帰宅。修理に出していたプリンターを取りに、PCデポに行く。

妻は友だちと夕飯を食べに行く。私は相撲を見ながら夕方ビール。次男が夕食を作る。

夕食は鶏白湯鍋、チャプチェ、餃子、大根の煮物で酒。甥からもらった、岩手県釜石の地酒「浜千鳥純米大吟醸」。旨いねえ。


今朝は筑波山も頂上は白かったな。


猫を膝にのせてアイリッシュウィスキーを飲む。

2025年3月16日日曜日

寒い土日

昨日の日記。

朝、パン、コーンスープ、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ。

妻は仕事に行く。長男とコーヒーを淹れて飲む。

黒門町の『按摩の炬燵』の動画を見る。すごいなあ。

長男と図書館に行く。『河原ノ者・非人・秀吉』(服部英雄・山川出版社)を借りて来る。

昼は次男が作った焼きそば。旨し。

午後は借りて来た本を読む。

夕方、地区の会議。

夕食は、グラタン、スープ、ベーコン炒めで白ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。


今日の日記。

朝、御飯、スープ、ポテト、納豆。

床屋。朝から雨で風もある。歩くのはあきらめて車で行く。

9時半過ぎ帰る。

黒門町の『愛宕山』のDVDを見る。1966年の映像だが、やっぱりすごい。ドラマチックな展開、テンポ、完璧。仕草に注目したが、これがまたいちいち緻密なんだ。圧倒された。

昼は次男が作った、小松菜とベーコンの和風パスタ。旨し。

妻と夕方ビール。

夕食は、豚の角煮、味玉、まぐろの山かけ、厚揚げ、たこ焼きで燗酒。

食後にアイリッシュウィスキー。


この土日は寒かった。先週の終わり頃は、4月下旬ぐらいの暖かさで、こぶしの花も咲き始めたんだけどな。こうして、行きつ戻りつしながら春になっていくんだろうなあ。

ふきのとうが花盛り




2025年3月15日土曜日

【雑談】文楽十八番『按摩の炬燵』

私の両親は、新制中学を卒業して社会に出た。祖母は、尋常小学校。要は、受けたのは義務教育のみだったということだ。義務教育というのは、子どもに教育を受ける義務があるということではない。親が子どもに教育を受けさせる義務がある、ということである。

かつて子どもは労働力だった。ところが、国家が「使える国民」を量産するために学校を作った。低所得層にとって、これは迷惑な制度だった。できることなら、学校になどにやらず、働かせたい。だからこそ、国家は親に、子どもに教育を受けさせる義務を課したのである。

多くの庶民は、学校は義務教育だけで十分で、それを終えれば、社会に出るのが当然だった。都市部の少年は、尋常小学校を卒業すると、商店の小僧や、職人の弟子となり、少女は女中奉公をするのが定番だった。

そして、我らが八代目桂文楽も例外ではない、

八代目桂文楽、並河益義は、青森県五所川原で税務署長の子として生まれた。

並河家は常陸国宍戸藩主松平家の家来筋にあたり、東京根岸の松平家江戸屋敷の近くに住居があった。父の任期が終わると、一家は根岸に帰る。並河の家は「根岸七不思議」に数えられるほど、立派な門を構えた大きな家だったという。

しかし、当主、益功が任地の台湾で客死すると、一家の命運は暗転する。収入を絶たれた並河家は、家の半分を間貸しして糊口をしのいだ。その結果、長男は中学までやらせてもらえたが、次男の益義少年は尋常小学校を三年で中退させられた。

その後。益義は、横浜住吉町の薄荷問屋、多勢商店に奉公に出される。それも、友だちを集めて、新派の芝居「五寸釘寅吉」の立ち廻りを真似して遊んでいたところを母親にめちゃくちゃに怒られた末、そのまま知らないおじさんに横浜に連れて行かれたという。

これは親に捨てられたと言ってもいい。寄る辺のなくなった益義は、自分を庇護してくれる者に、必死にくらいついていく。三代目圓馬や五代目左楽への献身ぶりには、この時の体験が大きく影響していると、私は思っている。

益義は主人にかわいがられたが、商人として真面目に勤め上げることはできなかった。15歳で多勢商店を辞め、米相場のノミヤからやくざの家に出入りするようになる。親分の娘に手を出し、制裁を受けて東京に舞い戻る。そして、四代目橘家圓喬の高座に感動し、義父のつてで初代桂小南に入門。落語家としてのスタートを切った。

並河益義が半端者であったればこそ、私たちは名人、桂文楽を得たのである。

文楽に『按摩の炬燵』という演目がある。按摩に酒を飲ませて炬燵の代わりにし、奉公人たちが暖をとって寝ようという、コンプライアンス上、非常に問題のある噺だ。この演目がラジオで放送された時には、「障碍者をあまりにも馬鹿にしている」という苦情が寄せられたそうだ。

この中に、こんな一場面(炬燵になった按摩が、小僧の寝言を聞く場面)がある。

「ヤーイ、活版屋の小僧・・・」
「オー吃驚(びっくり)した。突然(だしぬけ)に大きな聲を出して。アゝ夢を見て居るんだな。まだ十一だからなア活版屋の小僧と喧嘩でもして居る夢を見ているんだらう。成程前に活版屋があったっけな、可愛いものだ。・・・宜し〱(よしよし)俺が付いているから喧嘩をしろ、負けるな〱確り(しっかり)やれ〱」
「何を吐(ぬか)しやがるんだ間抜けめえ。マゴマゴしやァがると頭から小便を引掛けるぞ」(『名作落語全集』酒呑居候篇/山本益博『さよなら名人藝』より孫引き)

山本は「文楽がそこで小僧時代の自分自身と出会っているようにもおもえた」と書いている。

この噺は、寝言を言った小僧が寝小便をして結末を迎える。小僧の年齢が「十一」であること、小僧が寝小便をしたことを考えれば、この小僧に文楽自身が投影されていることは間違いない。文楽が小僧にやられたのは、まさに数えの11歳であり、文楽自身、小僧時代に時々寝小便をしていたというのだから。

一方で、この噺の中で文楽が同化しているのは按摩の方だ。噺の構造としては、盲人という障碍者を笑いものにしている。番頭が按摩に炬燵になってくれと頼むこと自体に、健常者の無意識な傲慢さが表れているだろう。しかし、按摩はそれを受け入れ、小僧を暖かく応援する。文楽は、按摩の自らの境遇に対する諦念と哀しみ、小さくて弱い者たちへの愛情を丁寧に描いてゆく。決して按摩を笑いものにはしていない。

さらに付け加えれば、按摩を炬燵にする奉公人たちも哀しい。朝から晩まで働き詰めで、夜は薄い夜具にくるまって寝る。寒くて熟睡できない。思案の末の「按摩の炬燵」なのである。文楽演じる按摩は、奉公人たちのこういう事情も飲みこんだうえで「炬燵」になることを同意するのだ。弱い者がより弱い者を搾取する。社会の縮図がそこにある。

ただ、その代償として按摩は酒をふるまわれている。その意味では、ウィンウィンの関係が成り立っているのかもしれない。しかし、それは弱い者同士の、哀しいリアリズムだ。

『按摩の炬燵』で色々考えた。それも、この噺が文楽の体験に裏打ちされた強固なものを持っているからこそなのだと思う。

文楽と同世代の落語家たち、志ん生も、三代目金馬も、彦六の正蔵も、また同じように奉公に出された経験を持っていた。彼らの演じる「お店もの」に、それぞれ特別な味わいがあるのも、当然のことかもしれない。(三代目金馬の『藪入り』が私たちの胸を打つのも、そういうことなのだ。)

2025年3月9日日曜日

君原公民館で落語会

朝、マフィン、スープ。

昨夜はみぞれだった。屋根がちょっとだけ白くなる。これで、今年の雪は終わりかな。

今日は阿見町の君原公民館で、福の家一門の落語会がある。およそ1時間かけて、11時頃、到着。

高座づくりは、ほとんど職員の方々がやっていてくださった。

すぐ近くに塙城跡があるという。時間もあるので、ちょっとだけ見学をすることにした。

この城は江戸崎土岐氏の出城だったが、豊臣秀吉の関東遠征の際に土岐氏とともに滅んだという。町の教育委員会の整備によって、堀や土塁などがしっかり保存されている。

役場でもらった地図を頼りに歩く。建物は全然ないが、楽しい。春風亭昇太もそうなんだろうな。


本城跡

本城跡からの眺め

昼は職員さんたちが作ってくださった汁物をいただく。コンビニで買って来たおにぎりで食べる。旨かった。

13時15分、開演。私はトリで「代書屋」を演る。楽しんでくださったようだ。

15時30分、終演。片付けをして16時過ぎ解散。

帰宅後、妻と夕方ビール。

夕食は石焼ビビンバで焼酎。渡舟の焼酎を初めて飲んだが、旨かった。

食後にカティーサーク。