2025年5月31日土曜日

五月も終わり

朝、パン、ポテト、スクランブルエッグ、紅茶。

雨。コーヒーを淹れて長男と飲み、朝ドラを見る。

妻は仕事に行った。

ミニつくばに行き、車を見てもらう。この前オイルの警告灯が点いたのだ。

コーヒーをもらう。ここのコーヒーは旨い。

ショールームには最新型のミニが並ぶ。この10年でミニもむくむくと大きくなった。まるで大友克洋『AKIRA』の鉄雄のように(誇張です)。性能も格段に上がったらしい。スマート化も著しく、多くのサービスをスマホで受けられるようになったという。もちろん値段も随分上がった。とても私なんぞには手が出ない。モニターから流れるCM映像には、いかにもクールなエスタブリッシュメントたちが登場する。アレック・イシゴニスが設計したミニは大衆車だったよな。

危惧していたオイル漏れはなかった。ただオイルの内部燃焼が多くなって、半年に1度はオイルの補充が必要になったという。丁寧に説明していただく。納得。

Q‘tの向かいの楼外楼でお昼を食べる。

今日の食べ放題サービスは焼きそば。

久々のサンマー麵。

税込968円。旨し。

リブロで本を買う。つくば店ではクオカードは使えなかった。ちょっと悔しかったので、セブンイレブンでお土産にコンビニスイーツを買った。こちらはクオカードでお会計。

帰り道、雨の砕石工場を撮る。


15時頃、帰宅。皆で買って来た「抹茶わらび餅」でおやつにする。

妻と夕方ビール。

夕食はフィッシュ・アンド・チップス、そら豆の丸焼き、パン、スープで白ワイン。食後に赤ワイン。

寝しなにウィスキー。

今日で5月が終わる。ちょっと肩に力が入っていたな。「適当は気楽でいいぞ」と、朝ドラでヤムおじさんが言っていたらしい。そうだな、もう少し気楽にやろう。


2025年5月29日木曜日

東京散歩

この前の東京散歩の写真がまだあるので、載せてみます。

まずは根津界隈。


ここに家があったのね。

教会と長屋。


根津の名店、はん亭。

お次は上野界隈。





上野公園を望む。

黒門町。

御徒町の辺り。






そして、上野に戻る。

今度はここで昼飯を食おう。


おお、養老乃瀧があるではないか。


5月の、気持ちのいい日でした。

2025年5月25日日曜日

雨降りの日曜

 朝、トースト、スクランブルエッグ、チキンナゲット、紅茶。パンにはオレンジマーマレードをつけて食べる。妻がお友だちからもらってきた。軽井沢からのお取り寄せの品だという。上品な甘さ。旨し。

地区のゴミ拾い。霧雨が降っていたが、決行。

コーヒーを淹れて長男と飲む。チャーリー・パーカーを聴きながら、ブローティガンの『芝生の復讐』を読む。時々、ワイエスの画集をめくる。

今、アメリカは狂気の中にいる。と、私は思う。まともじゃない大統領を選び、まともじゃないことをやらせて快哉をあげる。学術を馬鹿にし少数派を蹴とばす。加虐の悦びを隠そうともしない。そして、おれも奴らに足蹴にされる少数派なんだろうな。

雨降りでどこへ行く予定もないので、妻と家の中の片付けものをする。

昼はサッポロ一番味噌ラーメン。旨し。

午後は灯油を買いに行く。

大相撲夏場所の千秋楽をテレビで見る。大関大の里は十三日目で優勝を決めた。昨日まで14戦全勝。結びの一番で横綱豊昇龍と対戦、横綱が意地を見せ、勝ちっぱなしの大の里に土をつけた。大の里は場所後の横綱昇進を確実にしたが、全勝優勝はならなかった。相撲の神様は絶妙な結末を用意したなあ。私としては若隆景がよかった。小結で12勝3敗。大関昇進への足掛かりとなった。右膝十字靱帯損傷で番付を下げたが、見事に復活。不屈の闘志ときれいな取り口が光る。相撲を見るのが楽しみになったよ。

夕食は天ぷら、そら豆で燗酒。旨し。食後にウィスキー。


一日中雨模様。寒い。何だか気が滅入る。

気晴らしに先日の東京散歩の写真を載せてみる。

谷中

谷中、夕焼けだんだん上の富士見ホテル

谷中の路地裏

根津神社前の建具屋さん

根津一丁目

池之端の優良物件

不忍池のボロ市

今日はここまでにしておこう。明日は仕事だ。頑張ろう。

2025年5月21日水曜日

【雑談】文楽十八番『愛宕山』②

私たちの世代で『愛宕山』といえば、古今亭志ん朝であった。

志ん朝の『愛宕山』は、兄の十代目金原亭馬生から稽古してもらったものである。山登りの前の晩、旦那の制止も聞かず、一八が飲み過ぎる場面が幕開け。一八だけが山登りに悪戦苦闘する伏線にもなっている。「オオカミはヨイショが効かない」という珠玉のギャグも有名だ。明るくて華麗で、まさに志ん朝落語を代表する噺である。

文楽十八番は、後に多くの落語家が演じている。『明烏』は、志ん朝、談志、小三治が演じ、『船徳』は、志ん朝も小三治も演じている。しかし、『愛宕山』は、志ん朝の独壇場だった。春風亭小朝を始め、現在演じられている型は、ほとんど志ん朝のものだろう。

私は、文楽の『愛宕山』を先に聴いていたが、志ん朝のを聴いて、すげえなあと思ったよ。文楽に影響を受けながらも、しっかり自分だけのものになっていて、しかも、もう一回り大きな噺になっていた。

だからといって、「志ん朝は文楽を超えた」とは言わない。志ん朝の『愛宕山』は素晴らしい。そして、文楽の『愛宕山』もまた、素晴らしいのだ。

志ん朝の『愛宕山』は、約40分。それに対して、文楽は20分で駆け抜ける。この疾走感がたまらない。いきなり春の野山に連れて行ってくれるのも、文楽ならではの演出である。そして、大正の花柳界が濃厚に匂い立つ。これは、やはり時代のもので、文楽・志ん生の世代にしか出せない味わいだ。


先日、みほ落語会で『愛宕山』を演じた。学生の時も演ったことがない。ネタおろしだ。いやあ、60過ぎて覚える噺じゃないわな。終わった時には、膝ががくがくしていたよ。この噺のきつさを身をもって経験した。この噺は体力を使う。


文楽は晩年、狭心症の発作を起こした。血圧も190を超え、落語研究会を休席する。

主治医から「(体力を使う)『愛宕山』は、もう演らないように」と言われると、文楽は「『愛宕山』ができない文楽は文楽ではない」と言って、それを拒んだ。

「ではもう少し楽な演じ方をしてください」と医者が譲歩するも、文楽は「私にはこのやり方しかできない」と言い張った。

狭心症で休席したのは1970年1月の落語研究会。代演は金原亭馬生が務めた(文楽は『小言幸兵衛』を演じる予定だった)。

その次の会、1970年2月の落語研究会で、文楽は『愛宕山』を出す。医者の反対を押し切ってのネタ出しだった。演じた後、文楽は上半身裸のステテコ姿になって、楽屋で大の字に横たわった。息遣いは荒く、大きく腹を波立たせ、それはかなり長時間続いた。(DVD『落語研究会八代目文楽全集』川戸貞吉の解説より)

文楽は無器用であるがゆえに、芸の高みへと到達した。しかし、身体が衰えるにつれ、理想と現実のギャップは大きくなる。無器用な文楽にはモデルチェンジはできなかった。やがて、その名人芸は崩壊を迎える。『愛宕山』は、その過程を象徴する噺になってしまったのかもしれない。


1970年2月の『愛宕山』の映像を観た。やり方は以前のまま。1954年の録音で20分5秒の口演時間が、この時はマクラを除いて24分30秒(1966年の録音でも20分5秒だった)。口調や間は幾分延びていたのだろう。言葉に詰まる箇所が2つ、3つあったものの、後半の見せ場の迫力は全盛期と遜色ない。この後、楽屋で長い間身を横たえたことが信じられないほど、充実した高座だった。ものすごい執念。でも、鬼気迫るとか悲壮感あふれるとかいうのではないな。文楽らしい陽気でご機嫌な噺になっている。そこが、またすごい。

文楽の最後の高座は翌1971年8月31日の『大仏餅』。そこで文楽は絶句し、その後二度と高座には上がらなかった。

弟子の柳家小満んによると、最後の高座の後、文楽は『愛宕山』を演じた後のように、楽屋で長い間横になっていたという。



2025年5月19日月曜日

【雑談】文楽十八番『愛宕山』①

文楽は『愛宕山』をその他の多くの噺と同じく三代目三遊亭圓馬から受け継いだ。


三代目圓馬。大阪生まれ。父は落語家、月亭都勇。七歳の時、月亭小勇で初高座を踏む。

その後、浮世節の大家、立花家橘之助の身内になり、東京に出て立花家左近を名乗った。

七代目朝寝坊むらくを襲名して真打昇進。落語研究会に抜擢され、将来を嘱望された。

しかし、当時の大看板、四代目橘家圓蔵と諍いを起こし、むらくの名前を返上。橋本川柳を名乗って東京を離れた。この事件の背景には、立花家橘之助をめぐる三角関係があったと言われている。

旅回りをした後、結局、生まれ故郷の大阪に落ち着き、三代目三遊亭圓馬を襲名した。

東京落語の大看板、四代目柳家小さん、八代目桂文楽、三代目三遊亭金馬、五代目、六代目の三遊亭圓生などが若手時代に稽古に通い、大きな影響を与えた。『愛宕山』や『景清』といった上方落語を東京に移した功績もある。

ネイティブの上方弁に加え、江戸っ子弁でも啖呵が切れるほど堪能だった。まさに「落語バイリンガル」。『愛宕山』でも、大阪弁、京都弁、東京弁を見事に使い分けたという。


大正14年、圓馬は落語研究会出演のため上京した。東京では文楽が待ち構えていた。

早速「お稽古を」と願い出る。

「おい、東京まで来て稽古するのかい?」と圓馬が言うと、文楽はこう切り返した。

「そんなこと言わないで、金馬も四代目小さんも待っていますよ」

圓馬は、「お前たちのおかげで、おちおち東京見物もできゃしねえ。まとめて稽古するから立花においで」と、神田立花に彼らを呼んで稽古した。

その時教えたのが、四代目小さんに『提灯屋』、三代目金馬に『孝行糖』、そして八代目文楽に『愛宕山』だった。それぞれに合う噺を選んだんだな。『提灯屋』は後に柳家のお家芸になり、『孝行糖』は金馬の、『愛宕山』は文楽の、押しも押されもせぬ十八番になった。圓馬の慧眼と芸域の広さに恐れ入る。すごいなあ。


文楽の『愛宕山』は東京弁のみ。無器用な文楽はそういう選択をしたのだろう。

現代では古今亭菊之丞が、大阪弁、京都弁、東京弁を巧みに使い分けた『愛宕山』を披露している。テレビによって方言を全国化したのが、こういう演出をより可能にしていったのだろうな。

2025年5月18日日曜日

蒸し暑い日曜日

朝、マフィン、スープ。

「小さな旅」を見ながら、コーヒーを淹れて長男と飲む。

ビリー・ホリデイを聴きながら、ブローティガンを読む。ブローティガンは庄野潤三と同じで、一気には読めない。ゆっくりと時間をかけて読もうと思う。

ゴンチチのゴンザレス三上が、ビリ・ーホリデイの曲がかかった後、「もうこの人に関しては上手いとか下手だとか超えていますな。唯一無二の存在ですよ」と、感に堪えたように言っていた。激しく同意。ずっと聴いていられる。

昼はざる蕎麦。ちくわの磯辺揚げ付き。蕎麦は、妻の岩手の親戚が送ってくれた乾麺。これが旨いのよ。いっぱい食べた。

妻と土浦イオンへ、カルディの紅茶を買いに行く。本屋とCD屋を見るが、買うものはなし。息子たちへのお土産にクロワッサンたい焼きを買う。

15時過ぎ帰宅。おやつ。クロワッサンたい焼き、ひんやりカスタード。旨し。

妻と夕方ビールを飲みながら餃子を作る。

夕食は、自家製餃子をホットプレートで焼き、ビール、酒を飲む。そら豆もつまむ。旨し。

食後にウィスキー。


今日はすっきりとした晴れとはいえなかったが、気温は高く蒸し暑かった。これから暑くなるんだろうねえ。


豆ちゃんは、この間、3歳になった。

お誕生日(とされる日)の豆ちゃん。凛々しい。


 

2025年5月17日土曜日

雨のクルマド、みほ落語会

朝、御飯、味噌汁、ハンバーグ、納豆。

朝から雨。妻は仕事。朝ドラを見て、コーヒーを淹れて長男と飲んで、みほ落語会に行く。

クルマドの風景を撮りながら美浦に向かう。



11時30分頃、美浦中央公民館に到着。高座を作る。

昼はヨークベニマルで買って来た、稲荷寿司とおにぎりの弁当。

13時開演。15時20分終演。

私はトリで『湯屋番』。この雨の中、お見えになったお客様のために、珍芸「蠅取り紙」を披露する。学生の頃、四代目松竹亭金瓶梅さんが演っていらっしゃった。すんごく面白かった。初めて演ってみたけど、楽しかったな。でも、けっこう疲れた。噺に入っても、しばらくは息が切れた。昔は五代目小さんの「百面相」や雷門助六の「あやつり人形」など、テレビや寄席で珍芸をよく見たのだが、この頃めっきり見ないなあ。

17時帰宅。地区の会議に出る。

夕食は、サイコロステーキ、ミニトマトベーコン巻き、チャーシュー、アスパラでビール、酒。

寝しなにウィスキー。


では次回の告知です。

2025年5月11日日曜日

母の日

朝、御飯、味噌汁、ポテト、納豆。

朝イチで床屋。昨日とは対照的ないい天気。

動物病院に行って、豆ちゃんの蚤取りの薬を買って帰る。

ミシシッピ・ジョン・ハートのCDを聴きながら、ブローティガン『芝生の復讐』を読む。時々、ホッパーの画集を見る。アメリカに浸る。アメリカは今、世界を自分の気に入るように変えようとしている。

昼は妻子とマクドナルド。今シーズン最後のチキンタツタを食べる。


やっぱり、チキンタツタは旨いねえ。

あんまりいい天気なので、散歩に出る。霞ケ浦に出て、堤防を歩く。




ファミリーマートでビールを買って戻る。




1時間半ほど歩く。1万歩にちょっと足りないぐらいだった。

妻と夕方ビール。

夕食はしゃぶしゃぶ、コブサラダで酒。ロールケーキも食べる。食後にティーチャーズ。

今日は母の日。息子たちが買って来た花。



2025年5月10日土曜日

雨の土曜日

朝、パン、紅茶、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ。

朝から雨。ただ、予報ほど強い降りではない。

妻は仕事に行った。

サラ・ヴォーンを聴きながら、リチャード・ブローティガンの『芝生の復讐』を読む。


 昼は次男が作った、たらこスパゲッティ。

雨が止んだので、床屋に行く。ところが、お客が立て込んでいて、今日は無理そう。せっかくだから、1時間ほど散歩して帰る。




妻と夕方ビール。


万年筆で絵を描く。もう下書きなしで、さささっと描く。



夕食は、鰻のちらし寿司、吸い物、こんにゃく、卵豆腐で酒。先日は母の命日、明日は母の日ということで、妻が鰻を買って来た。母は川魚が嫌いだったが、鰻だけは大好物だった。存命中は、母の日には土浦の小松屋で蒲焼を買って来たものだった。諸物価高騰の折から、今日はスーパーの蒲焼を一本買って来て、細かく切って、ちらしに載せる。酒に合うな。旨し。

食後、テレビを見ながら、妻と白ワインを飲む。豆ちゃん、テレビの中の猫に夢中。


寝しなにウィスキー、ティーチャーズ。スモーキーな感じがいいね。うん、安くて旨い。


chatGPTでエゴサーチしてみたら、こんなのが出てきた。

「松風亭日乗」は、落語ファンの方が運営するブログで、主に落語や寄席の観覧記録、日常の出来事、旅の記録などが綴られています。特に、池袋演芸場や彦根の街並み、家族との散歩など、日常の中での出来事が詳細に描かれています。

例えば、2025年1月6日の投稿では、滋賀県の醒井宿を訪れた際の様子が記されています。中山道の宿場町としての歴史や、ヤマトタケルの伝説、梅花藻の花が咲く清流など、地域の文化や自然に触れた体験が描かれています。

また、2016年8月13日の投稿では、池袋演芸場での落語鑑賞の様子が詳細に記されています。三遊亭日るねの『堀の内』や、桃月庵白酒の『浮世床』、柳家小満んの新作など、出演者や演目の特徴、観客の反応などが生き生きと描かれています。

このように、「松風亭日乗」は、落語や日常の出来事を通じて、筆者の視点や感受性を感じることができるブログです。興味のある方は、ぜひ訪れてみてください。

「柳家小満んの新作」って『試し酒』のことか。さすがウェブに上がっていることには強いなあ。


今日のシメは、BSテレ東の、オードリー春日の「せんべろ」の番組。なんと尻手で飲むらしい。八海くんがLINEで教えてくれた。



春日は、駅前をうろついた後、私が住んでいたアパートとは反対方向に行って、結局、スリランカ料理の店に入った。スリランカウィスキーと焼カレーパンみたいな料理には、ちょっとそそられたな。今度あの辺に行ったら、寄ってみようかな。