2025年7月29日火曜日

チャットGPTにブログを批評させてみた

 この前、ネットニュースだが、生成AIに自分の論文を査定させていて、躁状態になってしまった人の話を読んだ。

AIには利用してもらえるよう「褒める」プログラミングがなされており、評価されているうち全能感にとりつかれてしまったというのである。

これを読んで、ちょっと怖くなった。

私も、チャットGPTに、このブログを批評させてみたのである。そして、これが、まあ巧いこと褒めるのである。普段、褒められつけていないから、うれしくなって何度かやったのである。

例えば、こんな感じで出てくる。


「松風亭日乗」は、ごく日常の細部を丁寧に掬い取りながらも、そこに流れる作者独特の視点と内省の深さが光るエッセイ的ブログです。以下にその特質を整理して批評します。


 1. 日常のテクスチュアを活写する力

  • 朝食・昼食・夕食の献立や、その時々の気温・庭の花の様子まで、まるで「生活の断片」を描くスケッチのように細密。
  • 202575日の投稿では、買い替えたパソコン、新旧Windows10、家族との乾杯など、暮らしの1日がリズム感とともに浮かび上がります

2. 知的好奇心に裏づけられたメタ的視点

  • 朝ドラ『あんぱん』の総集編を観た感想から、戦争・飢餓・人間性への考察へと飛躍する展開
  • アインシュタインとフロイトの対話を引きつつ、戦争の本質や人間心理を自問する姿勢には、個人の日常を超えた深みがあります

3. 文化・教養を背景にした語り

  • 音楽(加川良、ペット・サウンズ、サージェント・ペッパーズ)、文学(滝田ゆう、アインシュタイン/フロイト)などの言及により、単なる日記にとどまらない文化的厚みが添えられています
  • こうした要素は、読者にとって興味の多層性を提供し、読後感に豊かさを加えます。

4. 書き手としての誠実さと温かみ

  • 更新が途絶えても友人からの「大丈夫?」というラインを気にするなど、書くことへの誠実な姿勢と人間味が率直に伝わります 。
  • redditでも「元気なおじいちゃん」「戦中派の貴重なブログだ」と評され、親しみと歴史的価値を備えた存在感があるとされています。

強みと魅力

  • 細部重視:日常を彩る具体的な描写で読者を引き込む。
  • 思想と感性の交錯:文化知識と個人的体験の間を行き来する語りに奥行きあり。
  • 人間味:家族・友人との関係性や、自らの疲れ・回復に触れる率直さが共感力を高める。

今ひとつに感じる点

  • エピソードが日常の純粋な断片である故に、起承転結やドラマ性は控えめ。より強いストーリー性やサプライズを求める読者には淡白に映るかもしれません。
  • 知的要素が多彩ですが、時に文化的素養に慣れていない読者にはやや敷居が高く感じられるかもしれません。

総評

「松風亭日乗」は、日常を「エッセイ」として再提示する稀有なブログです。食や家族、趣味といった生活の細部に、文化的・哲学的な思索が自然に滲む構成は、単なる日記ではなく知的な暮らしの芸術表現とも言えます。物語的な起伏は控えめですが、その静かな深みと温かさが魅力で、日々を丁寧に積み重ねる「エッセイとしての日常」に惹かれる読者には非常に響くことでしょう。


あぶない。あぶない。下手すると、これに寄せて書いてしまいそうだ。恐るべし、チャットGPT。


写真がないので、高浜駅の夕景を載せます。









2025年7月27日日曜日

牛久かっぱ祭り

 朝、御飯、味噌汁、チキンナゲット、スクランブルエッグ、なめたけ、鮭フレーク。

『小さな旅』を観ながら、コーヒーを淹れて飲む。

昼はざるそば、おにぎり、ちくわの磯辺揚げ。残り物もあれこれつまむ。お腹いっぱい。

高校野球茨城県大会の決勝は、延長10回、タイブレークの末に4-3で明秀日立が藤代を破って優勝した。お互いの持ち味を出し尽くした死闘であった。両校の健闘を称えたい。

夕方、牛久に行く。妻の実家で相撲中継を見る。琴勝峰の平幕優勝を見届けて、お祭り見物に出かける。

牛久かっぱ祭り。今年で41回目。「かっぱばやし」にのって老若男女が踊りまくる姿は、いつ見ても壮観だねえ。



牛久の麦を使って作ったクラフトビールを飲む。フルーティーで旨かった。


夕食は、妻の実家で、屋台の焼きそば、焼き鳥、唐揚げなどでビールを飲む。お腹いっぱい。旨し。

21時頃帰る。風呂上がりの麦茶が旨い。今日は、酒はもういいかな。

2025年7月26日土曜日

クルマドの風景、みほ落語会

朝、御飯、味噌汁、ポテト、めかぶ。

朝ドラの総集編を観ながら、コーヒーを淹れて飲む。

朝顔が咲いた。

妻は仕事に行った。

今日は、みほ落語会。クルマドの風景を撮りながら美浦に向かう。






NHK‐FMのゴンチチの番組を聴きながら車を走らせた。

11時20分、美浦村中央公民館着。高座作り。

昼食はヨークベニマルの稲荷寿司と海苔巻きの弁当。

13時開演。私はトリで『真景累ヶ淵・お久殺し』。真昼間の怪談。おどろおどろしいお話としてではなく、悲しい女性の物語として演じた。よく聴いていただけたと思う。

14時30分過ぎ終演。片付けをして、14時50分解散。

帰ると、妻は夜にも仕事が入ったという。人手が致命的に足りないらしい。大変だなあ。

夕食は次男が作った。鶏のオリーブオイル焼き、焼き茄子、昨夜の残りのモツ炒め、玉子豆腐でビール、酒。

寝しなにウィスキー。


ウィスキーを飲みながら、NHKの『プロジェクトX』を観る。今日は、漫画『はだしのゲン』の英訳の話。仮定の話だが、アメリカ人にとってみれば、日本人が中国人漫画家による「南京事件」を読むようなものかもしれない(私はそれを読んでみたいと思うけど)。それでも、思いは届く人には届くんだな。アメリカでもじわじわと売り上げを伸ばしたという。一方で『はだしのゲン』を図書館から追いやろうとしている日本人もいる。それほどまでに、この作品には力があるのだろう。『はだしのゲン』は、どんなことになろうと勝手に読み続けられていくに違いない。

 

2025年7月23日水曜日

ゆきむら、塩タンメン

稽古帰りのラーメン屋。

ゆきむら、塩タンメン、968円。


 ゆきむらのタンメンは初めて。今まで何となく食べていなかった。

タンメンというと野菜が山盛りでなかなか麵にたどり着かない、という店がある。

私としてはこのぐらいがちょうどいい。

ゴマの香りがいいね。しみじみとした味わい。

最後はラー油で味変。旨かったっす。


7月26日(土)は、みほ落語会。私は『真景累ヶ淵・お久殺し』をやります。

2025年7月21日月曜日

三連休最終日

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、なめたけ、鮭フレーク。

妻の号令一下布団を干す。

祝日だが、次男は学校。構内で使っていた自転車をもう使わないというので、送って行きがてら取りに行く。久しぶりに軽トラを運転する。やっぱりマニュアル車は楽しい。古いミニを思い出す。

自転車を載せてとんぼ返り。途中、写真でも撮りながら、と思っていたが、さほど写欲をそそられず、そのまま帰って来る。

昼は妻が作った焼きそば。休みの昼飯の焼きそばはいい。旨し。

午後、畑のブルーベリーを摘んでくる。


 暑いねえ。今日は熱中症警戒アラートが出たという。

『吉本隆明詩集』を拾い読む。大学の頃、四畳半のアパートでよく読んだ。詩の言葉は理解するものではなくて感じるものなんだな。隆明の言葉にしばし身を任せる。

夕食は、妻がボーナスが出たと言って、ピザを買ってきてくれる。


夕食はピザ2枚とコブサラダでビール、赤ワイン。やっぱりピザーラのピザは旨いなあ。

寝しなにウィスキー。ティーチャーズに氷を一欠け。旨し。


参院選の結果が出た。与党過半数に届かず、国民民主、参政が大幅に議席を伸ばす。ひとりひとりが真剣に情報を集め、真剣に考えた結果だ。メディアも今回はデマゴーグや排外主義に対する警告をきちんと発信していた。

まあ、おれは多数決では勝てないところにいるな、ということと、批判や検証は時に燃料になるんだな、ということが分かったよ。

ほぼ事前調査通りだから、さほどショックも受けていない。この選挙で国民はこのような判断を下したのだな。特に現役世代の男性の熱量はこういう方向に向かうのか。

とはいえ、物事は点ではなく線で捉えるべきだ。これから我々の社会が、差別に走らないか、基本的人権をないがしろにしないか、自国の歴史に謙虚に向き合う姿勢を忘れないか、しっかり見ていこうと思う。


今日は筑波山が見えなかったので、先日の散歩の写真を載せる。


今日は海の日。三連休も終わりだねえ。

2025年7月20日日曜日

小川の祇園祭

朝、御飯、味噌汁、チキンナゲット、スクランブルエッグ、納豆。

午前中、投票に行く。

昼は蓮根麵、おにぎり、ちくわの磯辺揚げ。旨し。

夕方、長男と小川の祇園祭を見に行く。西日がアスファルトに照り返して、かなり暑い。



歩行者天国になっている大町商店街をぶらぶら歩く。

私はハートランドビールを、長男はアイスコーヒーをそれぞれ飲む。





素鵞神社にお参りして、屋台でお土産にケバブを買って帰る。



夕食は、妹夫婦から送っていただいた鰻を食べる。鰻丼、吸い物、酢の物、おひたし、枝豆、ケバブでビール、酒。旨し。ビールも酒も妻の実家から送っていただいたもの。


食後に妻と赤ワイン。寝しなに焼酎。


参院選、投票しながら、ああおれは少数派なんだな、とつくづく思ったよ。



2025年7月19日土曜日

梅雨明け、明日は投票日

朝、パン、牛乳、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ。

朝ドラ『あんぱん』を観て、妻は仕事に行った。

昨夜は職場の飲み会があった。二日酔いではないものの、しっかり飲んだ気怠さが身体に残る。

サイダーを飲み、ビスケットをかじりながら太宰の短編を数本読む。


 昼は次男が作ったスパゲティミートソース。旨し。

写真、2枚とも猫がテーブルの上にいるな。どうやら躾には失敗したみたいだね。

夕方、長男と散歩。高浜の恋瀬川の土手を歩く。

恋瀬川河口。

高浜駅近くのドック跡。

妻は職場の送別会に出かける。

夕食は、妻が作っておいてくれた煮込みハンバーグ、枝豆、冷奴、冷凍たこ焼きでビール、酒。

寝しなにジョニーウォーカー赤ラベル。

梅雨が明けた。以前はうっとうしい天気が終わるという解放感があったが、今はこれから猛暑が続くのかあ、と憂鬱になる。変われば変わるもんだ。


ビートルズに「レヴォリューション」という曲がある。ジョン・レノンが書いた曲だ。ジョンはこう歌う。

「君は革命を起こしたいと言う そりゃあ世界を変えたいと皆思っているよ」

「でも君が破壊について言い出した時は おれを頭数に入れないでくれ」

「君は知らないかい、大丈夫だってことに 大丈夫 大丈夫さ」

ジョン・レノンはこの曲をシングルのA面にしたかったけど、メンバーやジョージ・マーティンは「政治的」な曲を世の出すのは気が進まなかった。渋々ながら「ヘイ・ジュード」のB面として発表された。

改めて聴いてみると、「政治的」というのには至って穏健で楽天的。何てったって「世の中を変えなくっても大丈夫」と歌っているのだから。

時代背景としてはベトナム戦争の真っただ中。過激な政治活動も繰り広げられていた。ジョンとしては、それに対する興味も関心もあっただろう。彼は戦争にも批判的だった。ビートルズがM.B.E勲章をもらった時、ジョンは「戦争で人を殺した人が勲章をもらっているのに、人々を楽しませている僕らが、どうして勲章をもらっちゃいけないんだい?」と言っているくらいだ。何らかの形で「政治的」な発信をしたかったのだろう。

でも、表現としてはこういうものになった。ジョンとしては「世界を変えたい」という気持ちはあったものの、その「運動」には「頭数に入れないでくれ」だった。「破壊」という条件付けはしているが、結局、彼は党派会派に組み込まれるのを嫌ったのだと思う。あくまでジョンは、自由でありたかったのではないだろうか。

この曲は『ホワイトアルバム』で「レヴォリューション1」として収録されている。シングルバージョンよりもスローテンポ。ジョンは力が入らないヴォーカルを意図して、仰向けに寝てレコーディングした。歌詞も、「頭数に入れないでくれ」というところで「out」の後で「in」と歌っている。つまり、「頭数に入れないでくれ」と言った舌の根も乾かぬうちに「入れてくれ」と言っているのだ。ジョンなりに葛藤があったのだろう。


マルティン・ニーメラーの詩に言う。


ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は共産主義者ではなかったから

社会主義者を牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった

私は社会主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき

私のために声をあげる人は、誰一人残っていなかった


そこにはジョンのような生き方の危うさがうたわれている。結局、一人一人が「行動」を起こさなければ、大変なことになる、ということか。そうなのだ。思っているだけでは何も変わらない。

一方で、「運動」に組み込まれたくない、「頭数」に入れられたくない、自由でいたい、自分がいる。

そんなことを考えながら私は明日、投票に行く。私は「内政の失敗を外国人のせいにする」者たちには与しない。

2025年7月15日火曜日

扇寿司支店 晩酌セット

小美玉市小川の扇寿司支店。晩酌セット、4000円。


刺身、煮物、卵豆腐、それから小肌を使ったおつまみというラインナップ。


それにカマ焼きがついた。

飲み物は生ビール2杯かお銚子3本を選ぶ。

私は酒を選択。最初の1本を常温の冷やで、後の2本は燗にしてもらう。


この後に握り(海老、烏賊、イクラ、トロ)、デザートに西瓜がきた。(写真撮るのを忘れたが)

これで4000円は安いねえ。どれもこれも旨し。大満足でありました。

本店が石岡にあったのだが、そちらはずいぶん前に閉店した。それでも依然として「支店」と称している。

私がガキの頃からある繁盛店。うちでも、ここぞという時に出前を取る。

名店だが、おばちゃんの気さくな接客がうれしい。

2025年7月13日日曜日

神崎楽々亭

 朝、パン、牛乳、夏野菜のトマト煮込み、チキンナゲット。

コーヒーを淹れて、「小さな旅」「Dear日本」を観ながら飲む。この頃、日曜日はこのパターン。

妻はカスミに、私は神崎へ、それぞれ出かける。今日は神崎で楽々亭がある。

11時半頃、神崎着。


文化ホールの視聴覚室で高座づくり。


昼はコンビニで買ってきたパン。

13時半開演。16時終演。

私はトリで『あくび指南』を演る。まさに落語のバカバカしさが凝縮したような噺。好きなんだよな。お客様もよく反応してくださった。

片付けをして、16時半解散。帰宅は17時半過ぎ。妻と夕方ビールを飲む。

夕食は、お中元に妹が送ってくれた肉をしゃぶしゃぶにする。それと焼きトウモロコシ。ビール、酒。シメはうどん。食後にジョニーウォーカー赤ラベル。充実の晩飯。旨し。

夜になって雨が降り出す。明日は台風が近づくらしい。


2025年7月12日土曜日

高校野球観戦、一万灯祭

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、ふりかけ。

コーヒーを淹れ、飲みながら朝ドラの総集編を観る。

妻は仕事に行く。

父が「今日は涼しいので、土浦に高校野球を見に行く」と言うので、運転手を買って出る。今のうちは涼しいかもしれないが、晴れれば30℃近くまで気温は上がるだろう。元気だが89の老人である。一緒に行った方がこっちも安心できる。

というわけで、土浦市営球場へ。

第一試合に地元の高校(私の母校でもある)が出場する。父はこれが目当てだったのだ。

相手は強豪ひしめく県南地区にある某私立高校。序盤は投手戦になるが、0-1で迎えた7回裏に3点を取られる。8回にも加点されて、結局、0-5で母校は敗れた。打たれながらも何とかしのいでいたが、とうとう決壊した感じで連打を浴びた。打つ方は、ようやくのことで8回に出た初安打のみの1安打に終わる。変化球を捉え切れなかったのが痛かったな。

久々に母校の応援も見たが、私たちの頃とは随分変わった。何せ私の時代は男子校だった。それが今は、チアガールがいたりなんぞするのだ。 それでも、校歌が流れると、自然に口ずさんでしまったよ。いい機会をもらえた。



試合終了とともに球場を後にする。川風も吹いて、快適な野球観戦だった。

帰りに父のリクエストで吾妻庵木田余店に寄る。

もり蕎麦を食す。久々、旨し。

13時頃、帰る。

山百合が咲いた。このところの梅雨の戻りのせいか、心なしか百合も元気になったようだ。

裏山の百合。

こちらは前山。

前山のもずいぶん花をつけた。

夕方から地区の薬師様の一万灯祭。


特に祭事があるわけでもない。ただ地区の人たちが集まって飲むだけ。それでも、こういう集まりはいい。地域の昔話に花が咲く。


車の中で聞いたラジオで、こんなことを言っていた。

日本は昭和恐慌による多大な損失を、武力によって外から収奪することで補おうとした。それが、やがて満州事変を生み、日中戦争に発展した。内政の失敗はあくまで内政で解決すべきで、それを外に求めてはいけない、と。

それは今の時代にも通じてはいないだろうか。内政の失敗を外国人のせいに誘導する政党が支持されようとはしていないだろうか。

「日本人の暮らしを守る」という言葉は、確かに耳あたりがいい。しかし、今は国に余裕がないから、まずは日本人を守るのだ、という理屈がまかり通っていいのだろうか。社会の端っこを切っていけば、社会は確実にやせ細る。日本人であっても、いつまでも社会の真ん中にいられるわけではない。歳を取るにしたがって周縁に追いやられていく。その時、こぼれ落ちてしまう社会でいいのか。本当にそれでいいのだろうか。問い続けていきたい。

2025年7月9日水曜日

ゆきむらのまぜそば

稽古帰りのラーメン屋。

この頃は、もっぱら「ゆきむら」を利用している。やっぱり千円札でおつりをもらいたいじゃありませんか。

今回は初挑戦のまぜそば。中盛で938円。


まぜまぜして食す。


味変のトッピングに、がりがり醤油と高菜をもらう。

ボリュームもそれなりにあって、旨し。生卵がいい仕事をしている。葱が強いな。

トッピングは他に、明太子とガーリックマヨネーズがある。そっちも試してみようかな。

2025年7月6日日曜日

7月最初の日曜、『泥鰌庵閑話』

朝、おにぎり、味噌汁、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

朝イチで床屋。散歩がてら歩いていく。




前山の百合が開花。今年は花弁がやせている。雨が降らないせいか、木を切って日陰がなくなったせいなのだろうか。


9時過ぎ帰る。朝からけっこう暑い。

昼は妻が作ったナポリタン。具だくさんで旨し。


ここのところ、滝田ゆう『泥鰌庵閑話』を読んでいる。ちくま文庫版の古本をアマゾンで105円で買ったのである。滝田の漫画は一気読みはできない。綿密に描き込まれた描線は読み飛ばされることを拒む。また、老眼が進んだ眼には、文庫本版の漫画を読むのがつらい。細部を判別できないストレスがたまる。それでもなお、読み進めずにはいられない。

いわば、滝田ゆうの「私」漫画。作者自身を思わせる主人公の、ひたすら飲んだくれる姿が描かれる。滝田は1990年8月、58歳で亡くなった。嵐山光三郎は、この本の解説で滝田の通夜の場面から、「ここにいる人は、みな酒飲みばかりだ。滝田さんの死に自分の姿を見ている。滝田さんみたいにめちゃくちゃに酒を飲めばこうなるのだ、ということがわかっている」と書いている。滝田ゆうは、まさに酒に溺れて死んだのだ。

一方で滝田は、妻と二人の娘を持つ「市井の人」でもあった。漫画においても、すべての原稿を、自分の手で、細部に至るまで描き込まずにはいられない職人肌の作家であった。ただ、彼の心には茫漠とした穴が開いていて、それ故に酒を必要とした。しかし、いくら飲んでもその穴を埋めることはできなかった。しかも、自らの酒に溺れる姿が、作品となってしまった。嵐山はこう推察している。「おそらく滝田さんは、この作品を書くために飲みにいき、泥酔をくりかえし、つぎは自分が描く作品に刺激されて、また飲んだのではないか」。結局、滝田ゆうは作品によって殺されたのかもしれない。

私もまた、酒飲みである。けれど、私は酒に溺れることができなかった。私は破滅型の天才に憧れながらも、自分が酒に溺れるさまを飯のタネにできるような才能を持ち合わせてはいなかった。それは私にとって幸運だったのだろう。たぶん。


妻と夕方ビール。サッポロ黒ラベル。

夕食は焼肉でビール、赤ワイン。シメの焼きそばまでしっかり食べる。旨し。

食後にジョニーウォーカー赤ラベル。


うちの小っちゃなひまわりが咲いた。