2025年7月13日日曜日

神崎楽々亭

 朝、パン、牛乳、夏野菜のトマト煮込み、チキンナゲット。

コーヒーを淹れて、「小さな旅」「Dear日本」を観ながら飲む。この頃、日曜日はこのパターン。

妻はカスミに、私は神崎へ、それぞれ出かける。今日は神崎で楽々亭がある。

11時半頃、神崎着。


文化ホールの視聴覚室で高座づくり。


昼はコンビニで買ってきたパン。

13時半開演。16時終演。

私はトリで『あくび指南』を演る。まさに落語のバカバカしさが凝縮したような噺。好きなんだよな。お客様もよく反応してくださった。

片付けをして、16時半解散。帰宅は17時半過ぎ。妻と夕方ビールを飲む。

夕食は、お中元に妹が送ってくれた肉をしゃぶしゃぶにする。それと焼きトウモロコシ。ビール、酒。シメはうどん。食後にジョニーウォーカー赤ラベル。充実の晩飯。旨し。

夜になって雨が降り出す。明日は台風が近づくらしい。


2025年7月12日土曜日

高校野球観戦、一万灯祭

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、ふりかけ。

コーヒーを淹れ、飲みながら朝ドラの総集編を観る。

妻は仕事に行く。

父が「今日は涼しいので、土浦に高校野球を見に行く」と言うので、運転手を買って出る。今のうちは涼しいかもしれないが、晴れれば30℃近くまで気温は上がるだろう。元気だが89の老人である。一緒に行った方がこっちも安心できる。

というわけで、土浦市営球場へ。

第一試合に地元の高校(私の母校でもある)が出場する。父はこれが目当てだったのだ。

相手は強豪ひしめく県南地区にある某私立高校。序盤は投手戦になるが、0-1で迎えた7回裏に3点を取られる。8回にも加点されて、結局、0-5で母校は敗れた。打たれながらも何とかしのいでいたが、とうとう決壊した感じで連打を浴びた。打つ方は、ようやくのことで8回に出た初安打のみの1安打に終わる。変化球を捉え切れなかったのが痛かったな。

久々に母校の応援も見たが、私たちの頃とは随分変わった。何せ私の時代は男子校だった。それが今は、チアガールがいたりなんぞするのだ。 それでも、校歌が流れると、自然に口ずさんでしまったよ。いい機会をもらえた。



試合終了とともに球場を後にする。川風も吹いて、快適な野球観戦だった。

帰りに父のリクエストで吾妻庵木田余店に寄る。

もり蕎麦を食す。久々、旨し。

13時頃、帰る。

山百合が咲いた。このところの梅雨の戻りのせいか、心なしか百合も元気になったようだ。

裏山の百合。

こちらは前山。

前山のもずいぶん花をつけた。

夕方から地区の薬師様の一万灯祭。


特に祭事があるわけでもない。ただ地区の人たちが集まって飲むだけ。それでも、こういう集まりはいい。地域の昔話に花が咲く。


車の中で聞いたラジオで、こんなことを言っていた。

日本は昭和恐慌による多大な損失を、武力によって外から収奪することで補おうとした。それが、やがて満州事変を生み、日中戦争に発展した。内政の失敗はあくまで内政で解決すべきで、それを外に求めてはいけない、と。

それは今の時代にも通じてはいないだろうか。内政の失敗を外国人のせいに誘導する政党が支持されようとはしていないだろうか。

「日本人の暮らしを守る」という言葉は、確かに耳あたりがいい。しかし、今は国に余裕がないから、まずは日本人を守るのだ、という理屈がまかり通っていいのだろうか。社会の端っこを切っていけば、社会は確実にやせ細る。日本人であっても、いつまでも社会の真ん中にいられるわけではない。歳を取るにしたがって周縁に追いやられていく。その時、こぼれ落ちてしまう社会でいいのか。本当にそれでいいのだろうか。問い続けていきたい。

2025年7月9日水曜日

ゆきむらのまぜそば

稽古帰りのラーメン屋。

この頃は、もっぱら「ゆきむら」を利用している。やっぱり千円札でおつりをもらいたいじゃありませんか。

今回は初挑戦のまぜそば。中盛で938円。


まぜまぜして食す。


味変のトッピングに、がりがり醤油と高菜をもらう。

ボリュームもそれなりにあって、旨し。生卵がいい仕事をしている。葱が強いな。

トッピングは他に、明太子とガーリックマヨネーズがある。そっちも試してみようかな。

2025年7月6日日曜日

7月最初の日曜、『泥鰌庵閑話』

朝、おにぎり、味噌汁、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

朝イチで床屋。散歩がてら歩いていく。




前山の百合が開花。今年は花弁がやせている。雨が降らないせいか、木を切って日陰がなくなったせいなのだろうか。


9時過ぎ帰る。朝からけっこう暑い。

昼は妻が作ったナポリタン。具だくさんで旨し。


ここのところ、滝田ゆう『泥鰌庵閑話』を読んでいる。ちくま文庫版の古本をアマゾンで105円で買ったのである。滝田の漫画は一気読みはできない。綿密に描き込まれた描線は読み飛ばされることを拒む。また、老眼が進んだ眼には、文庫本版の漫画を読むのがつらい。細部を判別できないストレスがたまる。それでもなお、読み進めずにはいられない。

いわば、滝田ゆうの「私」漫画。作者自身を思わせる主人公の、ひたすら飲んだくれる姿が描かれる。滝田は1990年8月、58歳で亡くなった。嵐山光三郎は、この本の解説で滝田の通夜の場面から、「ここにいる人は、みな酒飲みばかりだ。滝田さんの死に自分の姿を見ている。滝田さんみたいにめちゃくちゃに酒を飲めばこうなるのだ、ということがわかっている」と書いている。滝田ゆうは、まさに酒に溺れて死んだのだ。

一方で滝田は、妻と二人の娘を持つ「市井の人」でもあった。漫画においても、すべての原稿を、自分の手で、細部に至るまで描き込まずにはいられない職人肌の作家であった。ただ、彼の心には茫漠とした穴が開いていて、それ故に酒を必要とした。しかし、いくら飲んでもその穴を埋めることはできなかった。しかも、自らの酒に溺れる姿が、作品となってしまった。嵐山はこう推察している。「おそらく滝田さんは、この作品を書くために飲みにいき、泥酔をくりかえし、つぎは自分が描く作品に刺激されて、また飲んだのではないか」。結局、滝田ゆうは作品によって殺されたのかもしれない。

私もまた、酒飲みである。けれど、私は酒に溺れることができなかった。私は破滅型の天才に憧れながらも、自分が酒に溺れるさまを飯のタネにできるような才能を持ち合わせてはいなかった。それは私にとって幸運だったのだろう。たぶん。


妻と夕方ビール。サッポロ黒ラベル。

夕食は焼肉でビール、赤ワイン。シメの焼きそばまでしっかり食べる。旨し。

食後にジョニーウォーカー赤ラベル。


うちの小っちゃなひまわりが咲いた。




2025年7月5日土曜日

パソコン買っちゃった

 朝、御飯、味噌汁、茄子とトマトの豚冷しゃぶ、ジャーマンポテト、納豆。

地区のイベントがあり、役員として参加する。昨年、一人で仕切ってくださっていた会長が亡くなり、新体制での初めてのイベントとなった。色々大変だったが、何とか成功裏に終わる。

昼は次男が作った冷やし中華。

加川良のライヴレコードを聴く。猫が回転するレコードが面白いらしく、ちょいちょいするので、追い払う。

夕方、買い替えたパソコンを取りに行く。結局、1時間半ほどかかる。

Windows10のサポート終了半年前という絶妙なタイミングでパソコンが壊れたのだ。痛い出費だったよ。

帰って妻と夕方ビール。

夕食は、焼き鳥、焼き茄子、焼きトウモロコシ、イカ焼きでビール、酒。

寝しなにジョニ赤。


高山T君から「しばらくブログの更新がないので心配している」というラインが来た。いや、申し訳ない。今日から平常運転に戻ります。


桔梗が咲き始めた。