2025年8月31日日曜日

那須にお出かけ

この夏、家族でお出かけをしていなかったので、今日は妻子を連れて那須高原に行くことにした。

8時前に家を出て、南ヶ丘牧場に着いたのは10時半頃。


 まずは、ソフトクリームを食べる。牧場のソフト。旨し。

アーチェリーで遊んで、牧場内のレストラン、庄屋に入る。元庄屋だった民家を移築したものだという。


ジンギスカンセットを食べる。ラム肉は久し振り。タレも絶品。旨し。


お土産を買って、那須岳の登山口まで車で登る。上は気温24度。やっぱ、高原はいいなあ。昔、「茨城県一高原の似合う男」というフレーズを、高山T君との旅行で連発したっけ。




大丸温泉は、今、こんな感じ。




温泉神社の鳥居脇の足湯に寄る。


2つ湯舟があって、最初入ったのはすんげえ熱かったけど、もう一つは適温だった。

「バターのいとこ」でお土産を買って帰る。

カスミに寄って晩飯のおかずを買い、帰宅したのは17時30分。

夕食は、買ってきた刺身と、父が買ってきた串カツ、カキフライでビール、酒。遠出の後のビールは旨い。食後にカティサーク。


今日は「越の国漫遊記」はお休みしました。

2025年8月30日土曜日

今日の日記

 今日の日記。

朝、パン、牛乳、魚肉ソーセージ入りスクランブルエッグ、ジャーマンポテト。パンは焼き立て、タルタルソースをつけて食べる。

朝イチで床屋。妻は仕事に行った。

床屋の後は車の給油に行く。9時過ぎ帰る。

うちの田圃ももうすぐ稲刈りだ。

昼は蓮根麺を次男が茹でた。お腹いっぱい食べる。

長男はバイトに行く。その際鍵をかけなかったので、猫が自分で玄関の戸を開けて脱走した。外に出たのはいいものの、暑かったのか木陰に入って動かない。難なく回収。

17時過ぎ、ちょっとだけ仕事に行く。

19時30分頃、帰宅。

夕食は、鳥焼き、マカロニサラダ、厚揚げでビール、酒。

寝しなにカティサーク。

今日は各地で異常な暑さ。埼玉県熊谷市や鳩山町などで40度越えを記録、この辺でも最高気温37度の猛暑日となった。

いやー、たまんない。


越の国漫遊記⑦ 長岡、二人の偉人

長岡には二人の偉人がいる。河合継之助と山本五十六。

まずは山本五十六記念館に行く。

五十六の書簡や遺品を見ながら、彼の生涯をたどる。

圧巻は五十六が戦死した時に搭乗していた、海軍一式陸上攻撃機の左翼の実物展示だ。彼が座っていた座席も展示してある。昭和59年(1984年)山本五十六生誕百年を記念してブーゲンビル島のジャングルの中にある搭乗機の残骸前で慰霊祭が行われ、平成元年(1989年)より左翼一部がパプアニューギニア政府から貸与されている。

山本五十六は日米開戦には徹底的に反対の立場をとっていたが、開戦やむなしとなるや、真珠湾攻撃を企画立案、指揮を執って大戦果を挙げた。マレー沖海戦にも勝利をおさめ、日本軍の快進撃とともに、名将山本の名声はいやがうえにも盛り上がった。

しかし、開戦の半年後、ミッドウェー海戦で大敗を喫する。ガダルカナルでも苦戦を強いられ、形勢はみるみる傾いていく。

昭和18年(1943年)4月18日、五十六はブーゲンビル島、シュートランド島の前線基地の将兵をねぎらうため、ラバウルを飛び立つ。暗号電文を解読していた米軍はブーゲンビル島上空にP38、16機で待ち構え、山本機を撃墜。山本五十六暗殺に成功した。

最高司令長官が自ら前線に慰問に行くなど異例のことで、「山本は死に場所を探していたのではないか」との見方もある。

山本五十六戦死は国民に衝撃を与え、皇族・華族以外で初の国葬が営まれた。それはまるで五十六を楠木正成のような「軍神」に祭り上げたように見えた。

記念館を出て、近くの山本記念公園に行った。五十六の胸像が、静かにたたずんでいた。





昼食をはさんで、河合継之助記念館に行く。


河合継之助は幕末、長岡藩の藩政改革を進めた。アームストロング砲、ガトリング砲、スナイドル銃、シャープス銃などの最新兵器を次々と購入、長岡藩を近代兵器で武装した自主独立の中立国にすることを目指す。

しかし、長岡藩も時代のうねりに飲み込まれる。戊辰戦争が勃発。新政府軍は長岡藩に恭順を迫る。継之助は藩内の恭順論を抑え、あくまで不戦、自主独立を主張する。新政府軍との談判は決裂し、戦端は開かれた。当初、近代兵器と継之助の巧みな用兵とで長岡藩は健闘、互角の戦いとなった。その後、絶対的な兵力に勝る新政府軍が巻き返し、長岡城を占拠するに至る。継之助は敵の意表を突いて八丁沖という沼地を渡る作戦を敢行、長岡城を奪還する。だが、反撃もここまで。長岡城は落城、継之助は戦闘で重傷を負い、会津只見の地まで落ち延びて死んだ。

死後、長岡の地では河合継之助の評価は二分された。その人間性が賞賛される一方で、戦争責任者として糾弾する声もあり、継之助の墓は何度も倒されたという。


あくまで不戦を主張しながら、やむを得ず戦争となるや大いに暴れてみせた。しかし、その戦いの結果、藩が、国が亡びることとなった。そういう意味で、河合継之助と山本五十六は軌道を一にしたと言っていい。

五十六が生まれたのが、戊辰戦争の17年後。しかも彼が家督を継いだ山本家は、当主、帯刀が北越戊辰戦争で戦死し廃絶となった家である。彼が、自らを長岡藩士として、河合継之助の遺志を継ぐ者として意識しただろうということは、容易に想像できる。しかも、五十六が妻に迎えたのが会津藩士の娘だ。戊辰戦争で敗れた元奥羽越列藩同盟の藩士たちを新政府は冷遇した。薩長閥が支配する軍の中で、彼らは不屈の闘志を持ってのし上がろうとした。もちろん、山本五十六もその一人である。

昭和の戦争を主導した者には、東北地方にゆかりのある者が多い。東条英機、石原莞爾、板垣征四郎、米内光政等々。薩長が作り上げた大日本帝国を、奥羽越列藩同盟の子孫が滅ぼした、というのはいささか皮肉な見方だろうか。

山本五十六の死後、戦況の悪化とともに海軍は体当たり特攻へと傾斜してゆく。ブーゲンビル島上空で山本機とともに撃墜され生き残った五十六の側近宇垣纒は、菊水作戦最高指揮官として特攻命令を連発する。そして、昭和20年8月15日の玉音放送の後、宇垣は彗星11機を引き連れ特攻に出て沖縄県伊平屋島で死んだ。その時宇垣は、五十六の形見の短刀を持参していたという。

2025年8月29日金曜日

越の国漫遊記⑥ 醸造の町、摂田屋

まず向かったのは、長岡と小千谷の間にある榎峠古戦場。

北越戊辰戦争では、恭順を迫る官軍と中立を主張する長岡藩代表の河合継之助との談判が決裂。両軍の間で戦闘となった。榎峠は、はじめ官軍が占領していたが、長岡軍がこれを撃破。対岸の官軍との砲戦となった。


河合継之助は、司馬遼太郎の小説『峠』の主人公。坂本龍馬同様、司馬に発掘されたことによって有名になった。


その次の目的地は長岡市摂田屋。私は知らなかったが、「醸造の町」として知られているらしい。

拠点となるのが、ここ、「機那サフラン酒製造本舗」。


初代当主、吉澤仁太郎が明治22年26歳の時、薬用酒「サフラン酒」を売り出し、一代で財を成した。サフラン酒は昭和初期にはハワイにまで販路を広げ、薬用酒として「養命酒」と人気を二分するほどだったという。

また、ここの蔵がすごい。




見事な鏝絵でしょ? 

街歩きに出ようとしたら、この家の方から声をかけられ、開館前の資料館に案内していただいた。

色々お話を聞きながら、展示を拝見する。こうやって見ていくと、仁太郎氏というのは、優れた美術的センスの持ち主だったんだなあ。



荒井由実の『コバルトアワー』のレコードがかかっていた。素敵な空間でした。

摂田屋の街を歩く。この日も相当暑い。なるほど、酒、味噌、醤油と醸造蔵が軒を連ねる。





酒どころ新潟県の最大酒造メーカー、吉乃川酒造もここにある。



こうなると、酒蔵というより工場ですなあ。

私は20代の後半に日本酒に目覚めた。その頃に愛飲したのが、この吉乃川純米である。喉ごしの良さ、鼻腔に立ち上る米の香り、典型的な越後の酒だ。

敷地内の酒ミュージアム「醸蔵」に入る。



ここで父の土産に吉乃川特別純米を買う。まあ、一緒に飲むことになるんだろうけど。

さあ、長岡に向かおう、と車を走らせたが、すぐ、醤油の醸造所を見つけた。これは寄らねばなるまい。そそくさと車を止める。


商標のお地蔵さんのモデルはおそらくこれだろう。

旧三国街道の道しるべ地蔵。

近くにはお稲荷様もある。

吉乃川酒造を出る時、ご主人に声をかけられた。

「暑いですねえ。この頃は、新潟や長岡も暑くなっちゃいましてねえ」

私が高山T君を示して、「この人は日本一暑い多治見から来たんですよ」と言うと、

「いやあ、もう色んなところに抜かれました」と高山T君は変な謙遜をした。


さあ、いよいよ今回の旅の仕上げ、長岡に向かおう。

2025年8月28日木曜日

越の国漫遊記⑤ 公楽園の朝、そして日本海へ

いつもと同じく5時30分起床。朝食は階下の自販機のトーストサンドにしようと決めている。

高山T君を誘い下に行く。

朝の公楽園。

背景は、見渡す限りの田圃。さすが日本一の米どころ。


1階の自販機。チーズトーストは売り切れ。ハムトーストのボタンを押す。1個買うと、すぐ売り切れのランプが点く。残り1つであったか。


トーストサンドは、スタッフが一つずつ手作りしているという。この自販機は新潟以北には存在せず、「北限のトースト」と呼ばれている。

お待たせしました。トーストサンドがこれ。



アルミホイルが熱い。素手では火傷するほど。

高山T君と半分こして食べる。旨かったよ。食パン2枚なので、それなりに量もあった。缶コーヒーも二人で分けて飲む。

6時45分チェックアウト。今日も快晴。暑くなりそうだ。

見渡す限りの田圃の向こうに弥彦山が見える。

この旅で、私は高山T君にひとつだけリクエストした。「日本海が見たい」。やっぱりT君は優しいなあ。行程に寺泊海岸を入れてくれた。

一路、寺泊へ。トーストサンド半分では足りないので、コンビニがあったら、何か買おうと言っていたのだが、何と、寺泊までコンビニは一軒もなかった。

1時間ほどで寺泊海岸に到着。念願の日本海である。

どうやらここはジェットスキーのメッカらしい。テントがあちこちに張られ、ジェットスキーがぷかぷか浮いている。

夏の日本海は波が静かだなあ。弥彦山も美しい。


やっぱり海はいいなあ。



海岸に大きな銅像があったので行ってみる。

それは、第二次世界大戦の犠牲者を追悼する「平和の礎像」であった。明治維新以降の寺泊町における約600人の戦没者を慰霊するために1980年建立されたという。合掌。


ファミリーマートに寄って、パンを買う。私は焼きそばパンを1つ、健啖家の高山T君は惣菜パンを2つ買った。

よし、それでは長岡に向かおう。