2018年10月18日木曜日

『牛褒め』の牛乳屋のおじさん

私の落研時代の持ちネタで、『牛褒め』という噺がある。与太郎がお父つぁんに教えられて、おじさんの家に、新築した家と牛を褒めに行くというお話である。まあそこは与太郎のこと、ドタバタになっていくのだけれど。
普通の型では、佐兵衛おじさんの家に牛もいるという設定なのだが、私が覚えた十代目桂文治の型では、牛の方は牛乳屋のおじさんの所に褒めに行くことになっている。与太郎が住んでいたと思われる下町に、果たして牛を飼っている牛乳屋などあるのだろうか、と私もいささか疑問に思っていた。
ふと芥川龍之介の生家が牛乳屋だったことを思い出し、ちょっと調べてみたら、なかなかに面白かった。(以下は大月牛乳のHPから要約し引用した。)

我が国で牛乳を商品化したのは明治になってから。渋沢栄一が発起人となって、明治13年、箱根の仙石原に耕牧舎という牧場を開く。これは三井財閥も資本参加した一大事業であった。しかし、夏の避暑時期を過ぎれば需要は落ち、しかも冬場には牧草が不足するなど、単一拠点による経営は難しかった。
そこで耕牧舎は東京に進出する。明治15年に下谷区中根岸に第二牧場を設け、翌年には京橋区入船町にも支舎を増設した。
そして、その二つの東京支舎の管理・経営を任されたのが、芥川龍之介の実父、新原敏三である。彼は商才があり、店を大いに繁盛させた。龍之介は入船町で生まれたが、間もなく母親が病み、母の実家である本所小泉町の芥川家に引き取られた。
その後、東京の都市化や法規制進行に伴い牧場維持が困難になって、明治末期には東京市内での牛乳生産は著しく衰退。大正初期には新宿にあった牧場も臭気などを理由に閉鎖せざるを得なくなったという。

そうか、明治時代には根岸や入船に牧場があったのか。だとすれば、与太郎が行っても不思議はない。もしかしたら「牛乳屋のおじさん」とは、芥川龍之介の実父だったかもしれない、と考えると楽しくなる。
『牛褒め』から思わぬ方向に話が飛んだ。掘れば掘るほど何か出てくる。面白いもんだな。




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