「かごぬけ地蔵」といわれるお地蔵様。
江戸の昔、霞ケ浦の対岸に、水戸藩の追放所があった。水戸から唐丸篭で送られて来た罪人は、このお地蔵様の前で篭から出され、船に乗せられて対岸へ渡る。対岸にも地蔵堂があり、罪人はそこで縄を解かれ、刑期の終わるまで、すぐ前の建物で仕事をしたという。
ここで篭から出されたので、このお地蔵様を「かごぬけ地蔵」、対岸のお地蔵様は、そこで縄を解かれたので「縄とき地蔵」と呼ばれた。
私は高校時代、文芸部に所属していた。隣の女子高で開かれた句会に参加した時、「木枯らしやかごぬけ地蔵の首もとれ」という句を出して一等を取った。文芸部の顧問は「味風」という号を持つ俳人だったが、私の句を評して、「若い人が詠んではいけない句だとは思いますが、切っ先の鋭さを感じます」と言ってくれた。私は評の前半をすっとばして、「そうか、おれの句には切っ先の鋭さがあるのか」といい気になったものだ。(もう一つ出した句は「季重ね」を厳しく指摘されたが。)
というわけで、私が俳句に興味を持つきっかけになったのが、このお地蔵様なのである。
この首のとれたお地蔵様が、かつて私が俳句に詠んだものなのだろう。 |
20年ほど前の「かごぬけ地蔵」。 後ろの木は伐採されてしまったのだな。 |
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