2019年4月18日木曜日

「ねじまき鳥」的状況

村上春樹の短編に「ねじまき鳥と火曜日の女たち」という作品がある。妻に頼まれて、失業中の夫が失踪した猫を探しに行く話だ。その話は、後に「ねじまき鳥クロニクル」という、村上春樹の大きな転機となった長編に発展した。
私の経験則から言って、猫は探しに行っても見つからない。そうなったら、帰ってくるのを辛抱強く待つことしかできない。そして、多くの場合、そのままだ。

ミー太郎が昨日の朝出かけたっきり、一晩帰って来なかった。
次男の落胆ぶりは可哀想なくらいだった。
妻が「ミー太郎は自分の意志でやって来た。もしかしてどこかへ行ったとすれば、それもミー太郎が決めたことだよ」と話して聞かせると、次男は健気にも「ミーちゃんはバックパッカーなのかもね」と答えたという。

昨夜、私は猫の夢ばかり見た。
そのうちのひとつ。両手でミー太郎を抱いている。帰って来たところを見ていないので、「これは絶対夢だ」と自分で思っている。しかし、ミー太郎に色があって、きちんと感触や重みを感じる。「夢のはずなのに現実みたいだ」といぶかしんでいるうち目が覚める。気がつくと私は両手を自分の胸に当てて寝ていた。
フロイトなら、どのように診断してくれるだろう。

今日の夕方、長男を迎えに駅まで行こうとして家を出ると、山から猫の鳴き声がする。「ミー太郎」と呼ぶと激しく鳴く。声のする方へ行ってみると、ミー太郎が木の上で鳴いていた。勢いで上って、下りられなくなったらしい。皆総出で大騒ぎをした挙句、やっとのことで下りてきた。
ミー太郎は、私が駅に行った後、すごい勢いで帰って来たという。
まずは一件落着。ほっとした。
夕食後、ミー太郎を膝にのせる。やっぱりこの重さだな。昨日今日と私もつらかった。罪な奴だよ、ミー太郎。


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