前回した四代目小さんの妹の話、もう少し続けてみる。
『あばらかべっそん』と宇野信夫の「桂文楽と塙保己一」を比較してみよう。
『あばらかべっそん』
〇1回目(戦前)
・場所:新宿の花園神社のすぐわき。
・きっかけ:四代目小さんに勧められて。
・お告げ:「あなたは病気だというが悪い所はひとつもない。これから多くの人を指導する立場になるだろう」「戦争はこれからひどくなるからこれこれこういうふうにしておけ」
最後に「両国橋の盲人が・・・」と繰り返すが、詳しいことは不明。
実は小さんは妹から「今年は落語界にとって大切な人が大変なことになる」と言われていたたので、当時、神経衰弱で苦しんでいた文楽のことだと思い、心配になって見てもらおうとした。
しかし、五代目圓生がその直後に死んで、小さんは「ああこれだったのか」と思う。
〇2回目(戦後)
・場所:高畑不動尊近く。
・きっかけ:四代目の未亡人がひょっこり文楽宅に訪ねて来たので、戦争で行方不明になった息子のことを見てもらいたいと申し出た。
・お告げ:「息子は金魚になっている」
その後「両国橋の盲人が・・・」と言い出す。「これは塙保己一先生の霊である」
新宿末広亭の高座を務め神田立花へ車で向かおうとすると、同乗していた金原亭馬の助(当時はむかし家今松)が「その墓なら、生家の近くなので知っている」というので、後日、五代目小さん、馬の助などを連れて墓参りに行く。住職が系図を見せてくれたが、今の当主は小さんが軍隊にいた時の上官だった。
宇野信夫の「桂文楽と塙保己一」
〇1回目(戦前)
・場所:雑司ヶ谷
・きっかけ:戦地に赴いた息子のことを見てもらおうとして。
・お告げ:「もくずとでました」
お告げの半年後、息子が乗った船が撃沈され、全員が戦死を遂げたという知らせが届く。
〇2回目(戦後)
・場所:雑司ヶ谷
・きっかけ:文楽が胸を患い心細くなったから。
・お告げ:「塙保己一が出てきて桂文楽は大丈夫だと言っている」
新宿末広亭から上野に向かう車に同乗した金原亭馬の助が、子どもの頃、保己一の墓のそばにいて場所を知っているという。そこで上野の高座を務めた後、五代目小さんと馬の助を連れて墓参りをする。住職から過去帳を見せてもらうと、子孫は小さんが軍隊にいた頃の上官だったことが判明する。
『あばらかべっそん』は正岡容による聞き書き。1957年(昭和32年)の刊行。当時文楽は62歳だった。
「桂文楽と塙保己一」は『今はむかしの噺家のはなし』に収められている。1986年(昭和61年)刊だから文楽の死から約15年後である。この話は文楽が亡くなる10年ほど前に「ぜひ聞いてもらいたい話がある」と言って、宇野の家まで出向いてしたものだという。宇野もまた文楽から直に聞いたのだろう。それがどうしてこうも違うのか。
人の記憶は面白い。
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