以前、石岡市の旧八郷町太田地区の善光寺の写真を載せたが、ちょっと調べてみたので記事にしてみる。
善光寺は石岡市から笠間市へ向かう峠道の登り口にある。「国重要文化財 善光寺楼門」という案内板がある。
楼門は室町時代中期の建造、県内最古の木造建築である。国の重要文化財に指定されている。
楼門とは普通二階建ての門のことをいうが、この門に二階はない。最初、二階建てで建てられる予定だったのが、途中で諦めて一階の仁王門になった。屋根裏には二階部分を築くための痕跡が残っているという。
門をくぐると地区の公民館があり、地区の人々の憩いの広場になっている。
奥の石段を上ると、善光寺の本堂がある。
室町時代、筑波の小田城主二代目、小田左衛大尉成治の母は、山之荘村小野(現土浦市・旧新治村)の新善光寺を信仰していて、後に出家して雪主比丘尼と号した。
1501年(文亀元年)、小田成治は、母の願いを受けて善光寺再興を図り、新治郡太田の月光山麓に月光山無量寿院善光寺を建立。1701年(元禄14年)11月、現在の堂山に移されたという。
その本堂が、現在はこのようになっている。
本堂は江戸中期頃に藁葺屋根で建てられたらしいが、その後、瓦屋根にしたことで重みに耐えきれず崩壊したという。
朱塗りで堂々とした造り、健在であれば文化財級の建物であろう。崩壊前に文化財の指定を受けていればこんなことにはならなかったろうに、今はもう如何ともし難い。
奉納額も素晴らしい。 |
見事な彫り物もある。 |
本堂の裏には小田一族の墓と見られる五輪塔が並ぶ。
本堂については崩落したことが注目され、廃墟マニアのブログでよく紹介されている。この場所で仮面ライダーや忍者戦隊などの映画撮影が行われたことなども話題に上るが、本堂そのものの故事来歴などはあまり出て来ない。このまま埋もれちゃうのかなあ。
境内には神社も祀られているが、神社の名前もよく分からない。
とにかく不思議な空間でしたなあ。
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