2022年5月27日金曜日

三代目林家九蔵襲名騒動からの、彦六批判記事を読んだ

前回の記事を書くのに参考にしようと、ネットで「正蔵 襲名問題」で検索したら、林家九蔵襲名問題の記事が続々と出てきた。

笑点メンバーの三遊亭好楽は、もとは八代目正蔵門下で九蔵を名乗っていた。師匠の死後に五代目圓楽門に移り、三遊亭好楽となった。

好楽は、2018年、弟子、好の助の真打昇進に際し、思い入れのある林家九蔵を襲名させようとする。八代目正蔵門下で、同じ笑点メンバーの林家木久扇の了承を得、九蔵襲名を公表し、配り物も用意した。そこで当代正蔵から待ったがかかった。林家を名乗るからには、林家の止め名である正蔵の承認が必要である、ということだ。正蔵及び海老名家との話し合いの結果、結局この襲名は実現しなかった。

八代目正蔵は、自分の名跡が一代限りの借り物であるところから、弟子が真打になる時には林家以外の亭号にした。惣領弟子に五代目春風亭柳朝を襲名させた時には、春風亭の総本山、六代目柳橋にきちんと了解を得ている。そう考えれば、好楽のやり方はいかにも脇が甘い。

 

この騒動で、彦六の八代目正蔵について、とばっちりのようなとんでもない記事が書かれていたのを見つけた。さすがに落語ファンは相手にしなかっただろうが、これを見つけた若い人に真に受けられても嫌なので、ここできちんと批判させていただく。

 

これはリアルライブというサイトに載った、「三代目・林家九蔵襲名騒動で噴出した海老名家「積年の怨念」」(週刊実話 2018.3.24)という記事である。

まずは、この記事では、正蔵側が九蔵襲名を許さなかった理由として、次の証言を挙げている。

 

「好楽の師匠で八代目・林家正蔵を一代限りで襲名した彦六さんへのわだかまりがあるんです」(事情を知る演芸関係者)

 

ここで言う八代目正蔵襲名のいきさつはこうだ。

 

「権力志向が強かった彦六さんは、五代目・柳家小さんの名を弟弟子の九代目・柳家小三治に取られたことから、当時、空き名跡だった林家正蔵を一代限りの約束で海老名家から譲ってもらったとの話が伝わっています」(ラジオ落語番組関係者)

 

さらっと「権力志向が強かった彦六さん」と書いているが、私たちが知る彦六ほど「権力志向」と程遠い人はいなかったと思う。何しろ、六代目圓生に請われるまま、香盤順を譲ったくらい。共産党支持者であったこともよく知られている。

次のエピソードはもっとすごい。

 

「九代目・正蔵が、懇意にしているビートたけしに、彦六さんが根岸の海老名家に来て、日本刀を突き付けて名跡を迫ったというエピソードを語ったことがある。彦六さんは浅草の稲荷町に住んでいたことで“稲荷町の師匠”として親しまれていましたが、一方で喧嘩っ早いことから“トンガリの師匠”と呼ばれていましたからね。かなり強引だったことは間違いない」(落語雑誌編集者)

 

実名を出してまことしやかに語っているが、真偽のほどは疑わしい。五代目小さん襲名の話を進めていた、八代目桂文楽を、馬楽だった彦六を贔屓にしていた山春という親分が、日本刀だかピストルだかで脅したという噂はあったが、彦六が海老名家に日本刀持って行ったなどという話は聞いたことがない。

まさか、あの謙虚な九代目が、こんなことを言うとは、にわかには信じられない。

「トンガリ」の解釈も間違っている。あれは「正義感が強く頑固一徹で周囲との摩擦を生みやすい」ということで、ただの「喧嘩っ早い」とは違うのだ。

襲名のいきさつは、前回紹介した『笑伝 林家三平』の記述とまるで違う。同じ海老名家目線であるにも関わらず、である。

 

「三平さんはテレビで大ブレークして落語界に貢献しましたが、彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、返上したのは三平さんが亡くなった後だった。三平さんの妻、香葉子さんは、そんな彦六さんをいまだ許していないんです」(噺家関係者)

 

「彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、」はひどいよなあ。

山本進の『図説 落語の歴史』の中のコラムでは「律儀で知られた正蔵は、生前弟子が真打になるとき、必ず林家以外の名跡を継がせることにしていた。また、三平が売り出してからは、何度か正蔵の名前を返そうとしたこともあるらしい」と書いてある。三平は、芸風が違うから、と言ってその申し出を辞退したと言われている。

 

証言は、皆、見事に「関係者」。名前を出して証言している人は一人もいない。ちょっと、この記事を書いた人と、その関係者を名乗る人、一人一人に会って真偽を確かめたい。もし、これが事実なら、私の中の八代目正蔵、彦六像が根底から覆されてしまうなあ。

6 件のコメント:

  1. ちょっと悪口になりますが、海老名家は先代の三平さん基本的に嘘つきなので、それを証言している人も基本的に嘘つきなので信用しない方が良いです。
    確信が有ると言う訳ではないですが、これを証言している人は海老名家の着物仕立てやテレビ関係で先代の三平さんにお世話になった人達であり、そのために海老名香葉子さんに媚びを売り、悪口を言っている人達の集まりなので私の個人的な感想ですが信憑性は無いと言っても良いです。

    海老名家に馬楽の正蔵がドスを乗り込んだって?
    笑えますよね?一緒に乗り込んだ二人のヤクザである、五代目柳亭左楽という70過ぎのおじいさんと50過ぎの初代の林家正楽さんという三人でどうやって正蔵を寄こせって脅したんでしょうね?
    主さんの言う通り文楽さんの家には、正蔵さんの贔屓のヤクザが文楽さんに対する苦言を聞いて乗り込んだって話は、文楽さんや小さんさんや新宿の席亭さんなどの関係者が証言しているから裏が取れますけど、海老名家に乗り込んだって誰が証言したんですか?どう考えても海老名家の周りからしか証言は出てきませんよ。しかも香葉子さんはまだ海老名家に嫁いでなかったのに、こんな自分がそれを見たかのように話している。
    多分嘘をつき過ぎて本当の事と嘘の区別がつかなくなってしまったんでしょうね。

    最近の嘘で有名な話と言えば、笑点で川柳さんの席だったのを海老名家の物だったと言った話ですね。
    海老名香葉子さんは笑点の立ち上げたのは、当時のプロデューサー達が出入りしていたウチのおかげであり、笑点メンバーの一人に三平さんがいたけどこん平さんに譲ったため、その席は海老名家の物だと最近の記事で言っていましたが、これも全部嘘です。
    真相はレギュラーメンバーに内定してた川柳さんが収録をすっぽかして席が空いた為に、補充メンバーとして談志さんがこん平さんを選んだ訳であって海老名家にその力なんてないんです。
    しかもこの話の何が腹が立つかと言うと、川柳さんが死んだ後に、これを言っている訳ですから、卑怯と言う言葉もかわいく見えるくらいの嘘つきです。
    日付を見ればわかりますが、明らかに川柳さんが死んだからこんな虚言を喋ったと言っても過言ではないです。
    https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_44157/?p=2

    海老名家は「正蔵」の名前の為に嘘をついて、馬楽の正蔵さんを乏しめて、自分達の持っていた「正蔵」の名跡が奪われる切っ掛けを作った文楽さんは、当時落語協会で相当な権力を持っていたから文句を言わず媚びを売る、本当に面白いですよね。


    でも私も共感できるところが一つあって、好楽さんが好の助さんに林家を名乗らせようとしたことですね。好楽さんが元々林家を名乗ってたとはいえ、林家正蔵を貸してた海老名家に話もせずに勝手に話を進めたのは確かに筋違いだと思いますね。
    これは勝手に自分のところが名乗っている屋号を勝手に使われて何か問題が有ったらコッチに責任が来るかも知れないとと思うと襲名をストップするのも話が分かります。
    林家でなく、三遊亭九蔵だったら問題はなかったでしょうね。

    ただ、この話で筋を通すなら、海老名家はもう一つやらない行けないことが有るはずですよね。
    「橘家圓蔵」と「橘家」の亭号はどうなるんだよって話で、「林家」と違って、「三遊本家」の噺家達が存命な上で「橘家」を使っている今の月の家の一門に「橘家」を「三遊派」に返してやれって言うのが完全な筋じゃないでしょうか?
    「橘家圓蔵」は元々七代目が六代目圓生さんから借りていた物で、その弟子である「林家一門」が名跡の貸与についてあれこれ言うんだったら、今生きている「三遊本家」の「圓楽、圓窓、圓丈一門」に「橘家」を返して自分達は「月の家」を名乗りなさいって進言するべきでは無いでしょうか?
    一応圓生の奥さんは八代目が圓蔵を名乗ることを許していますが、死んでもいない「三遊本家」を無視して「圓蔵」を使うのはどうだって言えば良いのに、どうなんでしょうね?
    別に八代目の圓蔵さんが悪いわけではないですよ、ただ今は「圓蔵」の名前が空いている状態ですし、これを機に「橘家」を返してやれって言わないのはどうかと思います。
    三平さんの師匠の一人が一応「橘家圓蔵」で、しかも総領弟子だったのだから、それぐらいの始末をしてやるのが海老名家の仕事ではないでしょうかね?

    まぁ、これは別に海老名家の話を通すのであればの話であって、今の八代目の一門が「橘家」を名乗るのは全然悪いとは思いません。
    八代目の一門から有望な方が圓蔵を名乗っても良いです。

    まぁ「三遊本家」からだれかが圓蔵を名乗っても良いですけどね。

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  2. 襲名に関するエピソードについて八代目正蔵師(どうも彦六というのがしっくりきません)の娘さんの証言をお示ししたのですが(2010年12月とあるので没後28年後ですから記憶違いもあるでしょうが)、海老名家が至極真っ当で付き合いを弁えていた、という証跡と思って出したものでした。

    週刊実話、という雑誌は買ったこともないですし(待合室かなにかで存在を知っているくらいで)、そもそも三流ゴシップ記事でしょうから、真剣にとらえる必要はないのでは、と思います。書いた人物は、八代目正蔵が落語界においてどういう存在かも一切知らないでしょうから、まさに誰かの出まかせを確認もせず書いたのでは、と思われます(誰の出まかせかは置いておいて)。

    そもそも落語協会の大幹部である八代目正蔵師に、「三平に名跡を返すべきだ」などという人物が落語界にいるわけがないですよね。襲名の経緯からして「返せ」などと言えるはずもなく、かつ当時最高峰である文楽師は、当事者ですからそんなことを言うはずもないですし(正蔵を返せといったら、じゃ小さんをよこせ、になりますよね)。

    八代目正蔵師については、圓生師と異なり、人物について悪口を書かれた文献を見たことがないのですが(私が知らないだけでどこかにあるのかもしれませんが、談志師ですら芸で批判はしても人柄について悪く言ってはいませんよね。早起き名人会の追悼放送では「稲荷町の長屋ならふらっと寄る気にもなる」「母親の里である深谷から送ってきたネギを届けたら喜んで、牛めしを作ってわざわざ届けてくれた」というエピソードを語っているくらい)、したがって常識で考えればこの記事の内容はまったくの妄想だろうと思います。問題はその妄想がどこから出てくるのか、です。先代三平夫人も相当の高齢ですが、無関係である我々が気にしても仕方ないことでしょう。

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  3. 並河さん。
    私は当代正蔵が、日頃の謙虚な態度から、あんなこと言うとは思えないんですよね。あのエピソードが本当だとすれば、当代正蔵に対する私の認識も改めなくてはいけません。
    七代目橘家圓蔵は私の落研時代の師匠でした。確かにあの名跡は三遊派の大きな名前ですので、そちらで継承するのが筋だと思います。ただ、三遊亭本流がずたずたになっている状態では、どこが受け継ぐのか難しそうですね。

    quinquinさん。
    これが与太記事であることは間違いないと思います。
    落語ファンであれば、こんなのがでたらめだというのはすぐ分かると思います。
    でも、検索すると、この記事、わりと上位に出てくるんです。
    「デマも百回言えば真実になる」と言います。デマはきちんと正しておきたかったんですよ。

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  4. それにしてもこの記事、そもそも海老名家のために全然プラスになっていないんですよね。

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  5. densukeさん
    私は桂文楽という噺家も馬楽の正蔵も大好きですし、御二方の五代目小さんに対する思いと、それで八代目正蔵が誕生する事になった経緯についても全然納得は出来ます。
    私は単純に何で海老名家は嘘をつくの
    かが理解出来ないんです。
    文楽さんも馬楽の正蔵さんも本音と建前はあったでしょうけど、こんな息を吐く様に嘘をつく程強欲な人間では無いと思います。
    まぁ昔、笑点でこん平さんに問題でこぶ平と言われても無視して、こぶ平坊ちゃんと言われて漸く返事を返した今の九代目の正蔵さんから見れば、八代目の正蔵さんは権力思考の強い方なんでしょうね(皮肉)。

    圓蔵は誰が継いでも良いと思いますよ、三遊本家からでも今の月の家一門からでも。
    ただ、どっちにも圓蔵を名乗れる程の度胸か実力のある噺家さんが居るとは思えませんが。

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  6. 私はこの記事の出処が海老名家なのか海老名家周辺なのかは分かりませんが、デマである以上、デマと言っておきたかったのです。やはりファクトチェックは必要ですよね。

    並河さんのおっしゃる通り、圓蔵はしばらく出ないかもしれませんね。ただ圓蔵自体は四代目が大看板にしたぐらいで、圓生の前名としての役割の方が大きかったのではないでしょうか。いわゆる止め名ではないような気がします。私のよく知る七代目も、評価の高かった人とは言えませんでしたし。でも、橘家圓蔵って、いい名前なんですよねえ。

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