朝、グラノーラ、牛乳、魚肉ソーセージと卵の炒めもの。
台風接近中。さーっと雨が降ったり、かっと晴れて真夏のように暑くなったり、忙しい天気。
彼岸花がきれいに咲いているので、朝のうちに撮りに行く。
妻と買い物。石岡のサンキでソファーのカバーを買う。豆ちゃんが母屋のソファーを引っ搔いてぼろぼろにしてしまった。ソファーは買えないので、カバーで勘弁してください。
昼はピザトースト、冷製スープ。旨し。
午後、荒れた天気になるが、それも長くは続かなかった。妻と夕方ビール。
夕食はたこ焼きでビール、酒。食後に妻と白ワイン。ワインは昨日買った檜山酒造のもの。地元産の巨峰を使っている。すっきりとした味わい。旨し。やはり昨日買ったブドウをつまむ。
朝刊に三遊亭圓窓の訃報が載った。「15日、心不全で死去、81歳」とある。
もうずいぶん前から寄席には出ていなかった。アマチュア落語の指導に熱心で、私の知り合いでも、梅八さんを筆頭に指導を受けた人は多い。
2010年には、七代目三遊亭圓生襲名騒動でマスコミを騒がせた。五代目圓楽が自らの惣領弟子、鳳楽に圓生を継がせると宣言したのに対抗し、圓窓が「遺族の意向は自分にある」と言って襲名に名乗りを上げたのである。(この辺りの事情は圓窓のブログに詳しい) 果ては「圓生の直弟子は自分だ」と圓丈も参戦。三つ巴の泥仕合になり、圓生襲名は沙汰止みになった。
私が最初に落語を覚えたのは中学生の時だった。圓窓の「寿限無」をテープで覚え、卒業式前日の謝恩会で体育館のステージで演じた。子供心に「圓窓は上手い」と思っていた。
圓窓といえば「五百噺」でも有名だ。意欲的に埋もれていた噺を掘り起こし、ネタを増やしていった。ただ、これには賛否両論あって、埋もれるには埋もれるだけの理由があり(面白くないとか現代の価値観に合わないとか)、それを手掛けることで、かえって芸の上達には遠回りになるのではないか、という声もあった。私も、寄席でさして面白くもない民話風の噺を聞きながら、「上手いんだから定番の落語を演ってくれないかなあ」と思ったことがある。
私の印象では、志ん朝、談志、圓楽らの少し下の世代、柳家小三治、入船亭扇橋、桂文朝らのグループにいた。この人たちも圓窓を最後に、皆、鬼籍に入ってしまったか。
小三治没後の『ユリイカ・特集柳家小三治』の中で、特集記事の巻頭を飾ったのが、圓窓の「小三治のこと」という追悼文だった。彼らの青春時代をしみじみと追想する、胸に迫る文章だった。
三遊亭圓窓師匠のご冥福を祈る。
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