2023年5月7日日曜日

ChatGPTに落語の演目を聞いてみた

この前の「みほ落語会」で、梅八さんは『権助魚』、私は『猫の災難』をかけた。

その後、お仲間とグループLINEで会話をしていて、ChatGPTの話題になった。こいつに落語について聞いてみたらどうなるだろう、ということになり、お仲間の一人がやってみた。

で、その回答が、これ。まずは『権助魚』から。

権助魚とは、食べた魚のあとに現れるとされる幽霊のような存在で、魚を食べたことで死んだ人間が成仏できない怨念が込められたものとされています。落語の「権助捕物帳」では、権助魚のことが面白おかしく語られます。

お次は『猫の災難』。

「猫の災難」という落語は、猫を飼っている男性が、猫が魚を盗むのを防ぐために小判を鈴で鳴らしていたところ、誤って猫を殺してしまうというお話です。その後、猫の葬儀をすることになりますが、そこで猫屋敷という場所で葬式を行うことになってしまい、そこには実は「猫」という名前の男がいて、混乱が生じるという展開が続きます。落語の名作の一つで、多くの人が親しんでいるお話です。

すごいねえ。AIってのは「知りません」って言えないのかね。まるで『千早振る』のような珍解釈をしてくれた。まあ、これからどんどん学習して進化していくのでありましょうが、やっぱりネットの情報を鵜呑みにしちゃあいけないな、と改めて思いましたよ。


 

6 件のコメント:

  1. こんにちは。

    話題のGPT私もこの間試したのですが、噺家の名前を聴いてもかなりめちゃくちゃな答えが帰ってきて笑ってしまいました。
    黒門町は十八番が蛙茶番で能面を使った高座で一斉を博したとか、七代目円蔵はお若伊之助が得意演目だったり 笑
    科学面や情報系は得意そうですが、文化・演芸に関してはまだまだという感じかもしれませんね。

    最近は桂文紅さんの日記を読んでいます。
    彦六師匠とどこか似てるところがあり、正義感や芸論は人一倍あるんだけど肝心な時に遠慮して前に出ていけない性格が読んでて大変興味深いですね。
    満員御礼落語会という明治大学の落研OBの方のYouTubeで最近初めて文紅さんの高座拝見しました。
    この方のお父様が主に関西の放送の演芸関連のテープ管理業務をされてたとかで、編集前の貴重な映像がかなりあるようですね。
    (私の勝手な推測ですが、花王名人劇場系の映像がいくつかあったので、澤田隆治さんの東阪企画絡みかな?とも思いました。)

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  2. ゆうさん、こんにちは。

    GPT、ウケますねえ。黒門町が能面かぶったって、「文楽」からの関連でしょうか。

    実は私、上方落語に疎いので、桂文紅のことは知りませんでした。ウィキペディアで見ましたが、面白そうな人ですね。「ぜんざい公社」の作者、文團治襲名の話もあったんですか。
    「肝心な時に遠慮して前に出ていけない性格」というのは、私も似たようなところがあるのでシンパシーを感じてしまいます。本も見つけたら読んでみたいです。

    また、色々教えてください。

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  3. 横から失礼します。ゆうさんのコメントで文紅師の名前を見て懐かしく思いました。
    2002年5月に、なんばのホール(元々旅館で、志ん朝師始め東京の噺家の定宿だった)で、志ん朝師追善の落語会が開かれた時、米朝師と文紅師が出られた回で「天神山」を聴いたのが唯一の出会いです。当時大阪勤務だったので運よく聴けたのですが、確か談志家元とも親しかった方ですね。早起き名人会の百生師の回で、「文紅の人の良さ」と談志師がしゃべっていたのを覚えています。稼ぎは大体本に費やす、という話を読んだ記憶があります。学識肌の方でしょうから日記も興味深いのではないでしょうか。

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  4. quinquinさん、コメントありがとうございます。

    桂文紅の高座、御覧になったんですね。噺はどんな感じでしたか? 興味あります。
    私は上方落語はほとんど聴いてきませんでした。でも、大阪で聴く上方落語はいいだろうなあと思います。
    文紅日記も読んでみたくなりましたねえ。

    定宿で思い出しましたが、黒門町の時代の東京の落語家の定宿は初勢旅館で、文楽はここから三代目圓馬のもとへ稽古に通ったといいます。また金子光春の『どくろ杯』にも金子夫婦が泊まった宿として登場します。大阪で金子の案内役を務めたのが正岡容でした。

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  5. なぜか上方落語にも惹かれ、20代の頃は、東京サンケイホールでの米朝枝雀二人会や、鈴本の米朝、枝雀独演会に行ったり、大阪京都神戸まで遠征して聴いていました。米朝師が主でしたが、今は無き梅田花月も行きましたし、神戸の東西落語会は楽しかったですね。

    「天神山」は、先代文枝の小文枝師の落語研究会での口演をテレビで見て強く印象付けられていたので、文紅師のは至極あっさりしているな、という印象でしたが、嫌みがなく、東京落語ファンでも十分聴ける人だなという思い出があります。なお、ホールはトリイホールでした。元は「上方」という旅館だったそうです。オーナーの鳥居学さんが赤ん坊の時に、朝太時代の志ん朝師が抱いている写真のコピーも配られていました。

    金子光晴は米朝師の随筆にもありましたが、正岡容の友達だったのですね。前にも書きましたが、先代圓太郎の知己でもあった人ですね。個人的には大好きな詩人の茨木のり子が金子光晴崇拝者だった印象が強いです。

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  6. 学生時代は枝雀全盛で「鷺取り」や「壺算」で爆笑したり、仁鶴の「延陽伯」を自分の「垂乳根」に取り入れしたりしていましたし、米朝の「天狗裁き」「百年目」に心惹かれ、春団治の「皿屋敷」のテープは繰り返し聴いてもいました。上方落語を全く聴かなかったわけではないんですよね。けれど、夢中になることはなかったなあ。何でだろ。東京落語へのこだわりが、私の中にあったのでしょうか。酒を飲めない人や甘いものが嫌いな人に対し、「人生の半分を損している」と言うことがありますが、私もまたそうなのかもしれません。これから、ちょっと聴き直してみようかなあと思います。

    志ん朝は大阪公演が好きだったようですね。『よってたかって古今亭志ん朝』シリーズで大阪篇もあったかと思います。

    茨木のり子は「倚りかからず」や「自分の感受性くらい」ぐらいしか読んでいませんが、あの毅然とした感じに胸を打たれました。
    金子光春はずっと好きな詩人です。あんな変な爺さんになりたいと思っていましたが、どうやらキャラ的に私には無理なようです。

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