三代目林家正楽の訃報を知る。
21日、自宅で倒れているところを家族が発見し、死亡が確認されたという。前々日まで寄席に出演していた。
当代一の紙切りの名人である。
白紙にハサミ一本で様々な形を切り抜く。下書きなし。その場で注文を受けて切る。切る形も人物や風景など多岐にわたる。
師匠先代正楽は埼玉県春日部の出身で訛りが強く噺家を諦め紙切りとなった。それだけに土の匂いのする素朴な味の高座だった。
それに対して当代は洒脱だった。飄々と高座に現れ、体を揺らしながら鮮やかに紙を切った。切った作品は黒い台紙に載せて見せるのがお約束だったが、正楽はオーバーヘッドプロジェクターで高座背面の板戸に映し出して見せるという新機軸を開発した。
「どうして体を揺らしているかというと、・・・揺らさずに切ると・・・暗くなります」
「何でも切ります。この間、何でも切りますと言うと、お客様が立って、ここまでお出でになって、おせんべいの袋を差し出し、『ここを切ってくれ』と言われたことがありました」
定番のギャグが懐かしい。
注文の中には難題も多い(特に池袋演芸場・・・)。それでも紙切りの芸人さんは断ることはない。いつか、朝ドラのタイトルを注文した客がいた。正楽はこのドラマを知らなかったようで、思案した挙句、テレビを見る家族の姿を切った。こういう引き出しを持っているのも、毎日寄席に出て様々な客と丁々発止の勝負をしているからなんだろう。
五代目小さんが存命中だったか、「柳家小さん」という注文が入った。正楽は小さんの横顔を切った。それは輪郭だけであったにもかかわらず誰が見ても小さんそのものであった。客席からため息が漏れ、私もすげえなと思った。
師匠の二代目が落語家からの転向であったのに対し、三代目は紙切り一筋の高座人生だった。小正楽から三代目正楽を襲名した時は、東京の定席4軒で披露目を行いトリをとった。色物の芸人が定席でトリをとるのは異例のことで、まして紙切りでは後にも先にもこの三代目林家正楽しかいない。
紙切りの第一人者として数々の賞を受けたが、一貫して寄席をホームグラウンドにしてきた。高座では矢継ぎ早に注文が殺到し、私なんか注文する隙などなかった。一枚も彼の作品はもらっていない。それでもいいや。あの高座姿はありありと目に浮かぶ。長い間楽しませていただいたことを感謝したい。
享年76歳。あまりにも急だった。合掌。ご冥福をお祈り申し上げます。
コロナ以降寄席から離れているので最近の高座を観ていないのですが、写真ではかなり衰えていて、正楽師匠そんな歳だったんだ、と思いました。小三治師のトリで膝替わりを務めた高座に結構会っていると思います。注文したこともないし、定番は別として何を切ったかもあまり覚えていませんが、確かディズニー関連の注文で、囃子がミッキーマウスマーチになった、といったことはあったような。そのあたりのライブ感が楽しかった。そういえば「豆腐」と注文した客がいて、師匠が白紙をそのまま差し出して場内爆笑、その後振り売りの豆腐屋を鮮やかに切ったことを思い出します。後継者がいることは素晴らしいですが、惜しい方です。師匠もいわば八代目林家正蔵一門ですね。正雀師の著書にある正蔵会一門勢揃いの写真にもおられました。
返信削除寄席に行くようになってから10年ほどですが、紙切りの第一人者にもかかわらず、とても身近に感じられる師匠さんだったのでショックは大きいです…。日乗さんがおっしゃる通りの飄々とした高座姿はかけがえのない思い出となってしまいました。YTで「ホンキートンク ラストステージフィナーレ」という動画に出てくる正楽師匠の笑顔、いいんだなぁ…😿。ご冥福をお祈りいたします。
返信削除追記 あの世で「なんだ正ちゃん、もう来たのかい?まぁいいよ、こっち来て一緒に一杯やろう」なんて先輩芸人さんにいわれてるんだろなぁ。
quinquinさん、こんにちは。
返信削除そうですね、写真を見るとずいぶん老けた感じがします。新聞記事によると、くも膜下出血をやったそうですが、持病もあったのでしょうか。
どうしても色物の芸人さんは落語ほど気を入れてみないし、ずーっと同じようなことをやっているのであまり細かくは覚えていないのですが、正楽が出ていると得したような気持ちになりました。亡くなったことで、その存在の大きさを改めて知らされたような気がします。
決して偉そうではないけれど品格がある、稲荷町に通ずるものが、正楽にもありましたね。
moonpapaさん、こんにちは。
本当にちっとも偉そうなところがない師匠でしたね。お酒が好きだったみたいなので、あっちで先代や稲荷町の師匠なんかと御挨拶がてら酒を酌み交わしているかもしれません。
「ホンキートンク ラストステージファイナル」の動画、見ましたよ。後からすーっと高座に出て来て、すーっとはけていく。いかにも正楽らしい。笑いながら寂しくなっちゃいました。