2025年2月25日火曜日

第二回鮟鱇鍋ツアー② 鹿島神宮参拝

高山T君と鮟鱇鍋で大いに飲んだ。とはいうものの、二人とも六十半ばを迎えようとしている。そんなに無茶はしない。部屋飲みの四合瓶もコップ半分ずつ飲んでおしまいにする。T君は、つまみの「いかり豆」を気に入ったようだ。

年寄りの朝は早い。6時には起きて、太平洋から上る朝日を見る。海なし県から来たT君のためにオーシャンビューの宿を用意したのだ。

 
もちろん、この浜には、52両が入った革の財布は落ちていない。

7時半、朝食。正しい日本旅館の朝飯である。

食後はコーヒーをいただく。豆から挽いた本格派。女将さんが昨夜のおじやの残りを撒いてウミネコを集めてくれた。

高山T君撮影

8時過ぎチェックアウト。これからの予定を女将さんに聞かれ、鹿嶋まで行くと答えたら、「けっこう距離ありますね」と言われた。

私はT君を示してこう言った。「海なし県の人に海を堪能してもらおうと思ってね」

ビートルズの青盤を聴きながら海沿いの道を行く。特に磯崎から平磯に向かう道は素晴らしい眺望が続く。T君も喜んでくれたようだ。

大洗で内陸に入り、T君リクエストの鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の駅に寄りながら行った。

涸沼駅、北浦湖畔駅(沿線のなかで最も乗降客の少ない絶景駅だ)、鹿島大野駅(攻めたデザイン)、長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅(できた頃は日本一長い駅名だった)の各駅。T君、ご満足いただけましたか?

長者ヶ浜潮騒はまなす公園の脇を抜けて、再び海沿いに出る。

まず最初の目的地、鹿嶋市明石にある鹿島神宮東の一の鳥居に到着。


鹿島臨海工業地帯を望む。
出雲の国譲りを終えた鹿島の大神建御雷命がここから上陸したという。

鹿島神宮に着いたのは、10時を大分回った頃だった。境内に入ると、楼門の外にまで行列ができていた。1月3日に父と来た時を上回る人出である。恐るべし、三連休の中日。

作法通り高房社をお参りした後、拝殿に参る。




奥参道から御手洗池に下りる。鎌倉時代まではこの近くまで北浦が流れ込んでおり、参拝する者はそこで船を下りた。当時の神域は、御手洗から奥宮、要石までだったと推測される。高山T君にはそのルートでお参りしてもらおうと考えたのである。

御手洗池から奥宮まで、急な坂道をふうふういいながら登る。逆光の奥宮は光に包まれて神々しい。


ここも長蛇の列。後ろについたグループがずーっと喋っている。どうやら東国三社参りをしているらしい。ちょいちょい間違った情報が入っていて正してあげたかったが、差し出がましい真似は慎んだ。並んでいる間、退屈はしなかった。

無事、T君を要石まで案内し、神宮を出る。

神宮参拝のシメは西の一の鳥居。大船津の北浦の湖上に立つ。

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