2025年12月17日水曜日

北条の史跡

この前歩いた、つくば市北条の史跡。

まずは多気太郎義幹の墓。


多気太郎義幹は、この北条を治めた多気城六代目城主である。桓武平氏、常陸大掾の流れをくむ。名君の誉れ高く、無量院裏池及び町中を流れる裏堀を開削し、水利に貢献した。しかし、源頼朝の全国支配が進む中、隣接する小田に八田知家が進出。両者に確執が生まれた。建久4年(1193年)、曽我兄弟仇討ちに伴い、八田の計略と讒言で謀反の嫌疑を受け、領地は没収、駿河へ流された。義幹はそこで失意のうちに死んだが、遺臣たちによってこの地に葬られた。義幹は今も地元住民から「たきたろさま」と呼ばれ、親しまれているという。

彼が作ったという裏堀。


この山が、城があったという多気山か。



熊野神社。創建は鎌倉時代。祭神はイザナギノミコト。

江戸後期の建築。

けっこうな石段をふうふう言いながら登る。

この鳥居は寛永13年(1636年)に建てられたもので、市内最古の鳥居だという。

熊野は死者の霊魂が宿る所とされ、四十九日の法要の際には、「山登り」と称して神社の裏山に登り、草鞋を供えるという風習があった。

神社は拝殿のみ。裏には切り立った山になっている。この山自体がご神体か。

ここは生と死が交わる場なんだな。


神社からは北条の町が一望できる。



日向廃寺跡。

ここに平安時代末期から鎌倉時代にかけて、宇治の平等院鳳凰堂のような中央堂を中心に東西に回廊を持つ、阿弥陀堂建築の寺院があったという。時代的には多気氏が建立したと見ていいのではないか。

それにしても、ここにあの鳳凰堂を思わせる建物があったとは。夢のような話である。

 

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