2019年10月21日月曜日

金原亭の落語協会分裂騒動(『小説・落語協団騒動記』より)


以前書いた落語協会分裂騒動の記事にコメントをいただいた。
落語協会、芸術協会に加え、3つ目の協会を作って落語界を活性化させるという案は、元々は上野鈴本演芸場社長のもので、立川談志を焚きつけて騒動を起こしたところ、金原亭馬生から「落語協会は鈴本出演をボイコットする」と言われ、慌てて引っ込めた。つまりは「鈴本が金儲けをしようとした結果、分裂騒動にまで発展した」というのが真相らしい、とのことだった。

「金原亭馬生の鈴本ボイコット」を確認しようと思い、物置から金原亭伯楽の『小説・落語協団騒動記』を持って来て読み返す。ほとんど一気に読んでしまったよ。


平成16年(2004年)12月本阿弥書店刊。私はその第三版を翌年買った。
昭和53年(1978年)の落語協会分裂騒動を小説として描いている。この出来事に関しては、三遊亭圓丈著『御乱心』(昭和61年・1986年)が決定版だと思うし、三遊亭圓生とその弟子との確執という点では、春風亭一柳著『噺の咄の話のはなし』(昭和55年・1980年)が圧巻である。騒動の張本人、立川談志の主張は、『現代落語論其二・あなたも落語家になれる』(昭和60年・1985年)で読むことができる。席亭側からの見解としては、北村銀太郎聞書き(富田均著)による『聞書き・寄席末広亭』(昭和55年・1981年)に書かれている。それらの著作から約20年後に『小説・落語協団騒動記』は出た。この本が貴重なのは、協会側で大きな役割を担った、金原亭馬生の側から書かれている点であろう。これで重要なピースがひとつ埋まった。貴重な資料だと思う。
馬生の惣領弟子の筆だけあって、馬生、志ん朝兄弟については詳細に描かれている。特に馬生の行動は冷静で、大局観を見据えたものだった。
馬生宅に小さんが談志を連れてきて詫びを入れさせた時の、馬生の台詞を引用してみよう。(なお、この文章は「小説」として書かれており、登場人物も実在の人物をもじった名前になっている。本文のまま記すが、括弧書きで実名を入れておく。)

「お前さんは自分の都合の良いように話をしているだけだ。あたしの眼は節穴じゃない。第一新協団が出来レースで、そこに参加を呼びかけられただと。出来レースのわけがないだろう。お前が金楽【圓楽】に働きかけて、二人して金生【圓生】さんを嗾(けしか)けたんだ。そこで金生さんはその気になって、自分と同じ考えを持っている朝光【志ん朝】を誘ったんだ。お前さんはまさか朝光が新協団に加わるなんて考えもしなかった。計算外れだったなあ。金生さんは朝光に言ったそうだ。禽吾【談志】からの話の切っ掛けで新協団の設立を考えているが、禽吾が何を考えているか分からない。本当に金生さんが作りたい協団を作るには、朝光が必要だから、朝光を誘ったんだ。お前には、うちの朝光が眼の上のたんこぶなんだろ。今の協団にいたんでは、朝光の上に行かれないもんだから、おかしな画策なぞしおって。いいか、お前は、自分の師匠を裏切って、新協団を作る事などかんがえ、そこで自分の我儘を通そうとしたんだ。そしたらまた、そこに朝光が現れた。そこでまた逃げ帰ってきた。これが本筋だろう。いいか、この一連の騒動を引き起こした張本人は、禽吾、お前だ。お前みたいな身勝手な奴は百叩きにしても、俺は勘弁できん」

馬生師匠、かっこいいねえ。ここに協会分裂騒動の経緯やそれに対する馬生の見解が簡潔にまとめられているな。この解釈は、伯楽はじめ金原亭・古今亭一門に共有されていたものだったのだろう。
では、同じ場面を談志が書くとどうなるか。こちらは『現代落語論其二・あなたも落語家になれる』からの引用である。

 (小さんと)仲直りした晩に馬生宅へ行った。弟子たちを集めて緊急会議のその場所ではシャーシャーとした顔の私にたいし、非難の眼が集中した。
 こんなこと屁とも思わない。歯牙にもかけていない。慣れているから平気である。
「お前さんは百叩きですヨ」
 と冗談とも本気ともつかず、馬生師匠にいわれた。〝円生師匠に泣きついたのは一体誰なんだ〟と、喉まで出かかったのを、我慢して呑みこんだ。

と、あっさりしたものだ。まあプライドの高い談志のことだ。馬生に叱責されたとしても、こんなふうに書くしかあるまい。

では、「鈴本ボイコット」の場面を見てみよう。
馬生は小さんとともに、自宅で鈴本の社長と対面する。以下はその会話である。

「お二人とも既にお聞き及びでしょうが、金生【圓生】さんがこしらえる山遊協団【三遊協会】というやつを、落語協団【落語協会】も認めてやっては貰えませんか」
 貴さん【小さん】と羊生【馬生】は既に、綿密に今後のことは相談済みか、貴さんが口を開いた。
「落語協団もと、おっしゃると所を見ると、芸術協団【芸術協会】は認めると言ってるんですか」
「いや、芸協の方には、まだ、話はしておりません。おりませんが、こちらの協団が認めてくれれば、問題ありませんよ」
「問題ないといいますが、新しい協団を認めて、寄席の興行を打たせるという事は、我々の協団の興行日数が減るという事ですよ」
「まあ、それはそうですが、落語界のためには、お互い競争相手が増える方がいい。その方が、お互い刺激となって活気がでますよ」
「それは鈴本さんの考えであって、他の席亭さんは賛成しておりません。事実、新宿さんを初め、浅草、池袋さんも、打たないと言ってますよ、寄席組合を離れてでも、上野さんは新協団に打たせるとお言いですか」
「そこは、明日、寄席組合の寄り合いがありますから、私が説得してみます」
 今度は羊生が言った。
「浅草と池袋さんは、新宿さんに一任してあって、新宿さんは協団の分裂は困ると明言しています。それでも上野さんはやりますか」
「やってみたいですねえ」
「上野さんがどうしてもやると言うのなら、うちの協団は、上野鈴本演芸場の興行を止めに致します」
 社長は一瞬羊生の言った意味が、分からなかったようだが、
「いやあ、それは困ります、それはだめですよ」
 鈴本の社長はあわてて言った。羊生は続けて言った。
「うちの協団には、半年や一年分の、鈴本さんのワリを、協団会員全員に支払うだけの金はあります。それで我慢して貰えるように、会長とあたしとで、皆に話をして理解して貰うつもりです」
「いや、それは困りますよ。じゃあ、この話はなかった事にして、いままでどおりという事で、よろしくおねがいしますよ」
 鈴本演芸場の社長はその場を、あたふたとして帰っていった。

ここも馬生師匠の名場面ですな。
この一手が効いた。これで新協会は寄席に出られなくなった。この決定を受けて、当時桂太(作中では桂馬)だった伯楽が、志ん朝と圓鏡に協会に戻るよう説得に行く。この辺りの描写は精密で、恐らく実際にそういうことがあったのだろう。
こうして、志ん朝一門、圓蔵・圓鏡一門は落語協会に復帰を果たし、圓生一門のみ脱退という形で、この騒動は収束する。

この本が出た時は批判も多かった。
先に書いたが、小説という体裁と、すぐにそれと分かる人物を登場させながら、実名を伏せた所が、あくまで実名で騒動の内幕をドキュメンタリーとして描き切った圓丈と比較して、いかにも腰が引けているような印象を与えたからだ。
また、執筆の動機も、圓丈が結果的に三遊本流をずたずたにした圓生・圓楽に向けた怒り、つまり義憤と言うべきものであったのに対し、伯楽のそれは、自分が理事になれなかった私怨と取られたのも大きかったろう。
しかし、この騒動について一切言い残すことなく鬼籍に入った十代目金原亭馬生の行動の一端が、こうして明らかになったことはとても意義あることだと思う。馬生の、ひそやかでやわらかな印象からは想像できない、果断に富んだ男っぽさに魅了される。貴重な記録を残してくれたことに感謝したい。
ただ、登場人物のもじった名前が煩わしい。頭の中でいちいち変換するという作業を、どうしてもしてしまう。また、このもじりのセンスがなあ、桂文楽が桜永楽、古今亭志ん生が東西亭美朝、三遊亭圓生が山遊亭金生、林家正蔵が森家登喜蔵、柳家小さんが柏家貴さん、だぜ。また、小説としたことで、演出めいた箇所も所々に見られるような気がした。著者は「あとがき」で、「暴露本とか、告白本を書くつもりはありません」と書いているが、どうせ敵を作るんだし、ここは腹を括って、実名でありのままを書き切ってほしかったなあ。その方がより人の心を動かしたと思うんだ。その点のみ、惜しいと思う。


12 件のコメント:

  1. 「馬生の、ひそやかでやわらかな印象からは想像できない、果断に富んだ男っぽさに魅了される。」
    物事の道理はわきまえていますよ、という馬生さんの一本気にほれぼれしますね。それでも、馬生さんの系譜をひくお弟子さん達がこれからの落語界を見据えて,「one
    team」でやっていこうという気概をもっていると思うのですが。時間は必要だと思いますが、これからの落語界の楽しみですね。moonpapa


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  2. 落語協会分裂騒動は、もはや遠い過去のことです。
    現役の落語家の大部分もこのような確執とは無縁の人たちでしょう。中堅・若手の時代には協会の垣根を越えて、色々なことができるようになると思いますよ。
    落語にとってはいい時代が来るんじゃないですかね。

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  3. お久しぶりです、以前『鈴本』の件の情報を書いた者です。

    この度は私の発言で、主さんの時間を割いてまで記事を書かせてしまったみたいで、申し訳ありません。

    実は、この記事が作成された後で自分が聞いた情報はデマじゃなかったどうか確認するために、
    以前の会社の上司に問い合わせて、今回の記事を閲覧してもらったところ、全部事実との事でした。

    更に、詳しく聞いたら、新しい情報も出てきました。
    どうやら馬生さんは、この騒動の原因が『鈴本』にあるのではと疑っていたとの事です。

    以前の記事のコメントに主さんが書かれていた通り、
    寄席のベテランの末廣亭の席亭さんは、『三遊協会』のメンバーの層が薄く集客が見込めないと考えて『新協会設立』を却下したのに、
    『末廣亭』よりも昔からあり、営利目的の高い『鈴本』は何故に『三遊協会』の設立を容認したのかが腑に落ちなかったんです。

    そこで馬生さんは、「談志さんが新協会容認条件として鈴本に集客力のある芸人を中心に回す契約をした」、
    或いは「鈴本自体が金儲けの為に新協会を談志さんに作らせた」と分析までしてたらしいです。

    馬生さん個人としては、後者だった場合、『鈴本』に何らかの責任を取らせたかったらしいですが、
    どちらにせよ、下手に動くと「分裂騒動」以上に角が立つ事件になりかねなかった為、
    『鈴本』への事件についての追及は避けたとのことです。

    以上の事は、前回のコメも含め会社の上司から聞いた情報なので、
    それを裏付ける確実な「証拠」はございません、申し訳ありません。

    ですが、『鈴本』は私個人としては、この騒動を含め、余り良いイメージがございません。

    なにせ、大正期に起きた『演芸会社』設立から『落語睦会』の分裂も『鈴本』が絡んでいたのですから、
    次に落語界で分裂や統合みたいな事が有ったら『鈴本』が何か企んでるんじゃないかと、少し疑っちゃいます。

    因みに、『演芸会社』から『落語睦会』の騒動についての出典は、下記の鈴本のURLに乗っています。

    http://www.rakugo.or.jp/oboegaki5.html

    そのページには当時の月給制度について書かれています。

    綺麗事を言っていますけど、『鈴本』としては月給制度を提案して儲けようとした腹だったのかもしれません。


    長くなりました、申し訳ありません。
    何かおかしいことが有れば、時間があるときに記述します。

    後、これとは全然関係ありませんが、文楽さんのまとめ記事一覧を楽しく読ませていただきました。
    ありがとうございました。

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  4. コメントありがとうございます。
    調べたり記事を書いたりするのは好きなので、きっかけをくださったことに感謝しております。
    鈴本の席亭の話、面白いですね。
    大正時代の騒動も興味深い。少し調べてみようかなと思います。いずれ記事にするつもりですので、その時はまた読んでいただけたら幸いです。
    どうぞ今後とも御贔屓の程、よろしくお願いいたします。

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  5. この小説 Amazonで購入し読ませて戴きました。
    やはり鈴本が集客を考えた事と立川談志師が第三の協会を作り、
    自分の意見を通せる協会にしたいと考えたのが、発端だったという事が伺われました。

    唯作者(伯楽師)の視点ですが、談志師は才能や企画力はあるが、
    駆け出しの新人を麻雀に誘い、イカさまで上がり金を巻き上げたり、この馬生師に
    云われた事でも、人柄的にはあまり良い様に書かれていないと思います。

    反面志ん朝師 円鏡師は「信頼のできる人物」として描かれております。

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  6. 「落語協会分裂騒動」も、色々な角度からの証言を集めてみると、人それぞれの見方があって面白いです。
    談志もずいぶん神格化されていますが、この騒動に関してはあまり褒められたものではないな、というのが私の感想です。ただ、こういう意地汚さを含めてが談志の魅力なんだろうと思います。
    志ん朝・圓鏡は、黒門町の文楽の名マネージャー出口一雄も高く評価していました。

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  7. コメント有難うございました。

    》こういう意地汚さを含めてが談志の魅力なんだろうと思います

    多分、談志師のファンはこの様な人間の持つ弱さや汚さも含めて魅力だという事かと思います。

    唯談志師の視点から見ると志ん朝師は「修羅場をくぐっていない坊っちゃん」
    圓鏡師は「無節操な奴」と成るのでしょうか?(吉川潮氏との対談の本でそう云われていたと思います。)

    弟子の談之助(当時談Q)師の著書でも何処かの楽屋で志ん朝師が「離れたらいけないと云ったのは兄さんじゃないか?」と涙ながらに訴えて要るのを談志師は「お前が譲らないから悪い」「俺は帰る」といい
    「いいか談Q ああいう時謝ったら負けだぞ」と言ったそうです。
    芸は優れているが、プライド高く それで意地汚さ弱さもある、これが談志師という人物なのでしょうか?

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  8. 談志について、私は直接交流があったわけではないので正確なところは分かりません。
    私の印象では、落語は巧い、プライドは高い、コンプレックスは強い、承認欲求が強い、優しい一面もある、ヨクワカラナイ・・・、とても一言ではまとめられません。
    談之助の本も読みました。志らくとか談春とは違い、ちょっとした距離感があって面白かったですね。
    談志の対談での人物評は的確ですが、結論としては「俺の方がえらい」ですので、そのまま受け取るのはどうかと思います。志ん朝はあの時点では「苦労知らず」だったのかもしれませんが、分裂騒動によって随分人間的な深みを増したように思います。円鏡(八代目圓蔵)は、「節操がない」というより「頭がいい」人だと、私は思います。

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  9. 記事を見させていただきました。
    主さんを疑う様で申し訳ないのですが、記事に書かれている事は真実なんでしょうか?
    この騒動は不透明な部分が多くて、20年ほど目新しい情報がなかったのに、
    ここまで核心に踏み込んだ情報が今になってなぜ出てくるのが信じられなくて、
    そもそもこの情報を提供していただいた方はどこからこの話を知ったんでしょうか?
    ガセネタにしては余りにも出来過ぎて笑えないんですけど、
    この情報は落語協会や圓楽一門会とか他の定席の方達は知ってるんでしょうか?
    それとも余りにもタブー過ぎて誰も敢えて語っていなんでしょうか?
    もしくは本当に唯のガセだったか?
    疑いのコメントばかり書いて本当にすみません、
    でも余りにも衝撃的過ぎて頭の中が追いついていなくて。

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  10. 出典は金原亭伯楽の小説からです。脚色はあるでしょうが、大筋ではこうなんじゃないですかね。伯楽は馬生の弟子で、ほぼ当事者みたいなものですから。
    落語協会分裂騒動は、三遊亭圓丈『御乱心』を始めとして、色々な人が本に書いています。調べていくとなかなか面白いです。
    もちろん、立場によって見方が違うので、どれが正しいというものでもないとは思いますが。
    このブログでも、それぞれの立場の記事を載せていますので、よかったらお読みください。「落語」というラベルの中にあります。

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  11. 返信ありがとうございます、
    一応、伯楽さんの本の事や圓丈さんの本の事は知っていました。
    私が知らなかったのはこの騒動を鈴本演芸場が大きく関わっていたと言う事で、
    当初は圓楽さんと談志さんが圓生さんを担いでたと思っていたのですが、
    この情報も加味して見ると、圓楽さんも談志さんと鈴本演芸場に担がれていたと言うのが、
    私の率直な感想です。
    確かにこの本も寄席側の情報も記載されていますが、
    明確に鈴本演芸場が犯人だと断定した情報はありませんでした。
    YouTubeでもこの騒動について、落語家側秘密を他の落語家さんが暴露はしますが、
    鈴本演芸場等の当時の寄席側の秘密は誰も暴露していません。

    これはジャニーズやバーニングのプロダクションの秘密をスルーするのと一緒で、
    落語家さんは寄席の秘密を喋るのはやはり寄席側から干される事を恐れているからでしょうか?

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  12. その情報は、読者の方がコメントで提供してくださいました。このコメントの上の方にある「匿名」さんです。「匿名」さんの元上司からの情報とのことでした。
    私はその痕跡を持っている本の中から探してみただけです。
    まあ鈴本もけっこう新協会には前のめりだったなとは思いました。

    落語家と席亭では、そりゃあ席亭の方が強いですよね。ただ、寄席から干されたって痛くも痒くもない大看板の売れっ子もいますので、一概には言えないと思いますが。

    鈴本については「鈴本の方向」(http://densukedenden.blogspot.com/2020/02/blog-post_3.html)という記事も書いているので、よろしかったらお読みください。

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