2021年4月17日土曜日

池内 紀著『ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか』(中公新書)

 図書館で借りてきた。ドイツ文学者池内紀が「『ドイツ文学者』を名乗るかぎり、『ヒトラーの時代』を考え、自分なりに答えを出しておくのは課せられた義務ではないのか」(「あとがき」より)という思いに駆られ著した本。1930年代、ヒトラーが権力を掌握するまでの過程を鮮やかに分析し、分かりやすく解説してくれる。

ヒトラーは武力を用い強引に権力の座に就いたわけではない。選挙や国民投票など、極めて民主的な手続きを経て独裁者となった。

そのプロセスを、池内は以下のようにまとめる。

 

(ドイツには)第一次世界大戦終了後、狂乱の二〇年代があった。古今未曽有のインフレで、ドイツ・マルクが紙クズになり、預金が一挙にかぎりなくゼロに近くなった。失業者がうなぎのぼりで、総数六〇〇万をこえ、ドイツ人の一〇人に一人は失業者だった。ワイマール憲法は史上もっとも優れた憲法といわれたが、三〇をこえる政党の足の引っぱり合いで、どの政権も半年ともたない。とめどない混乱を縫ってナチスがめざましく勢力をひろげ、ついに過激を売りものにする極右政治家に首班の座をあけわたした。

ヒトラーは内閣を組織した翌日のラジオ演説で、「われに四ヵ年の猶予を与えよ、しかるのち批判し審判せよ」と大ミエをきった。誰もがいつもの大ボラだと考えていた。数カ月もせぬうちに行き詰まり、すごすごと政権を投げ出すだろう。

ところが、そうはならなかった。「ドイツ国民への檄」に始まり、きびすを接して「経済四ヵ年計画」「フォルクスワーゲン(国民車)」構想、「自動車専用道路計画」・・・。人気とりの青写真と思われていたことが、一つまた一つと実現する。日ごとに膨大な雇用の場が生まれ、六〇〇万もの失業者が、めだって減っていく。約束の四年が過ぎたとき、全国民所得が一・五倍にふえ、失業者は一〇〇万台にまで減少していた。

   (中略)

1933年~38年は)ドイツ国民がやっと迎えた「平穏の時代」であり、安らぎの時期だった。経済が安定し、暮らしが目に見えて向上した。ナチス体制は多少とも窮屈であれ、体制に口出しさえしなければ平穏に暮らせる。ナチ党員のユダヤ人苛めは目にあまるが、われ関せずをきめこめばすむこと。ナチスの好きな式典の華麗さ、もどってきた戦車隊の大行進、強大な戦艦、短期間にヨーロッパ一に整備されたドイツの翼。第一次世界大戦後、打ちひしがれていた国民感情が誇りと自負をとりもどした。そのすべてがヒトラー総統の偉業によった—。

 

大衆は、ヒトラーを、ナチスを支持したのだ。確かにナチスは雇用を安定させ、地に落ちたドイツ経済を回復させた。しかし、それは個人の自由や多様性と引き換えにしたものだった。大衆は生活の安定と引き換えに個人の尊厳を差し出した。そして体制側につくことで、少数派を蔑み踏みつけにするサディスティックな快感を得るに至る。体制側からこぼれまいと強度な相互監視社会を生み出した。

もちろんドイツ国民の全てがナチスを支持したわけではない。ナチスが議会の第一党に躍り出た総選挙ですら得票率は43パーセント程度で、議席は過半数に満たなかった。だが議事堂放火事件を利用して共産党を排除し国会運営の実権を握ると、非常事態宣言から一気に全権委任まで突き進んだのである。ナチスに批判的な人々は、あれよあれよという間に少数派に追いやられ、体制側につかない限り冷遇されることとなった。

ナチスの得意技に「敵を設定して攻撃することで人々の不満を転嫁させる」という手法がある。ナチスの場合、その対象がユダヤ人だった。「ユダヤ人がドイツの経済界を支配し富を独占している」と繰り返し攻撃することで、インフレの苦しみをユダヤ人への憎悪に転嫁させたのである。

それは「日本社会は在日が支配している」としつこく繰り返す、我が国のある人々と見事に重なり合う。

池内はこうも書いている。

 

ヒトラーが呼びかけたのはつねにこの「国民の皆さま」だった。お得意の演説、ただ一つの標的を狙うように多数派市民に向けられていた。何かあれば、みんなといっしょでいたがる「よき市民たち」である。

 

そしてそれは「多数派でいないと不安でならない。他の誰かに利をさらわれそうで落ち着かない」人々である。それはまるで、少数の貧困者に対する援助に目くじらを立てて攻撃する、我が国のある人々に重ならないだろうか。

 

またこのような記述もある。

 

(マスコミは)多数派の市民に陰謀幻想を煽り立てた。政治家が大衆迎合的効果を図って、マスコミに便乗する。選挙戦のワンフレーズにして訴える。誇張して注目させ、おどしをかけて燃え上がらせる。

 

これは我が国のある種のマスコミと政権を言ったものとしても充分に通用するのではないか。

 

明らかに池内は現在の我が国を意識してこの本を書いている。

この本が出たのは20197月。前政権現政権やある種の人々のやり方は、ここ1、2年でかなり可視化され「みえみえ」となったが、油断はできない。ヒトラーやナチスのやり方もかなり「みえみえ」だったのであり、その「みえみえ」のやり方で彼らはああいうことをしでかしてしまったのだ。それに「過激を売りものにする極右政治家」など、我が国にも掃いて捨てるほどいるのである。

池内は2019830日に亡くなった。ということは、ここに書かれていたのは彼の遺言のようなものか。そう思って心に刻んでおきたい。

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