以前、大洗磯前神社で出雲の国譲り神話を思わせる神事が行われていたと紹介した(「大洗で出雲神話が再現されている」)が、そのうちのひとつ、「網掛祭」について調べてみた。この間、網掛に行ったのがきっかけになったのである。当時見たウェブサイトの記事を基にして書いたのだと思うが、あの記事は、けっこう不正確なものだった。改めてここで記事にしたい。
これは旧暦の8月1日に、網掛と宮ケ崎(ともに茨城町)、両神社の神官が大洗磯前神社に赴いて行っていた神事である。「八朔祭」というのが一般的なようだ。
古くは鹿島神宮から(馬で行ったという説と海路だったという説があるが)盾と矛を奉じたという。ところが距離が長く大変だということで、近世以降は大洗磯前神社の末社である両神社で執り行うこととなった。
この二社は、網掛の神明雷神社と宮ケ崎の鹿島神社、大洗磯前神社の末社というが、祭神はともに建御雷(タケミカヅチ)であり、鹿島神宮の代理である。鹿島神宮の末社と言ってもおかしくはない。
網掛、神明雷神社。涸沼を望む高台にある。 |
宮ケ崎、鹿島神社。 網掛の隣の集落。神明雷神社から数百メートルの鬱蒼とした森の中にある。 |
当日は両社の神官はじめ7名が馬に乗り大洗に向かう。(昭和初期の記録によると、それに多数の氏子が行列を組みながら随行したという)
一行は大洗に入ると、夏海と大貫の海際、潮見塚で休憩をとる。ここでは磯浜の町々が年番で手作りの酒を振舞った。
その後、浜辺を馬で駆けて曲松に入り、笹竹で支えられた注連縄を長太夫馬あるいは平太夫馬と呼ばれた神官が剣で切り払って吉凶を占った。
そして、また騎馬で大洗磯前神社に向かい、北殿の壇場で神事を行う。神官は盾と矛を持参している。盾は鬼板と呼ばれ、幅二尺、長さは三尺、神獣らしい絵が描かれていたという。この鬼板を、三回・五回・七回と翻し、三度勝どきを上げる。そして鬼板と矛を一缼(いっけつ)に鎮めて海内寧謐を祈り、もう一度勝どきを上げ、神事を終えた。
鹿島神を祀る神社の神官が、大国主神を祀る大洗磯前神社の神域を示す注連縄を切って参入し、社内で勝どきを上げる。まさに出雲征服を模した神事と言えるだろう。
ちなみにこの神事は道路事情から昭和37年(1962年)以降行われなくなった。
現在、八朔祭は大洗磯前神社の例大祭として8月25日に神事が行われ、その週の土曜日には宵祭として山車が町内を巡り、日曜日は本祭として神輿や山車が歩行者天国となった大洗商店街を練り歩き磯節のパレードが行われるという一大イベントとなっている。
八朔祭というのは全国各地にある。旧暦8月1日頃は稲に実がつく時期であり、五穀豊穣、子孫繁栄を祈って行われるものだ。
大洗でもそういうお祭りにはなっているが、もともとは出雲神話の再現を目的としており、その点でとりわけユニークなものなのではないかと思う。
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