2021年9月13日月曜日

圓蔵師匠が語る 文楽の妻たち③

次は三番目の妻、しんについて。

丸勘の女主人とその前の女房については『あばらかべっそん』の中に出てくるが、この人については一切の言及がない。関東大震災から、「長屋の淀君」こと寿江夫人と結婚するまで、文楽の婚姻関係は混沌としている。

では、『聞き書き七代目橘家圓蔵』の記述を引用する。


三番目のお神さんは横浜で芸者屋をしていた人で、金語楼師の妻女の養母に当たる人だった。浮気症で、東西の芸人を軒並み撫で斬りにしたので有名な人で、しかも文楽師より十歳(とお)も上だったから、自分でも気になるのか、文楽師を舐めるように大事にした。御当人もすっかりのぼせているから、楽屋で自分の女房の評判の悪いことなぞは知る由もない。しかし、弟子の耳には、よくまァ、あんな女とねえ」というような噂が次々と飛び込んでくる。

《ここが忠義の見せどこだと思ってね、お神さんのことを洗いざらい話したら、師匠は夢中ンなってるとこだから、「出てけェー」って言われちゃった。だけど。弟子がそんなこと言やァ、怒ンのが当たり前ですよ》


こうして圓蔵師匠は破門になる。この後、鈴々舎馬風の紹介で柳家小三治(後の七代目林家正蔵、初代三平の父である)の弟子になり、柳家治助と改名するものの、吉原の花魁に入れあげて楽屋の金をくすねるようになり、噺家を辞める。それから、吉原の若い衆から牛太郎(客引き)、それも続かない。とうとう名古屋で幇間をすることになる。


文楽、三番目の妻に関しては、これがいちばんまとまった証言ではないかな。

他に雷門福助の話があるが、時系列がごちゃごちゃしていて、よく分からない。震災後、雑司ヶ谷で新しくできた女と寺の離れを借りて暮らす。文の家かしくが死んだ後、そのかみさんと関係を持って黒門町のかしくの家で所帯を持つ。そのかみさんも死んで寿江夫人と関係を持つ。という流れらしい。

私としては文楽の直弟子として常に傍にいた圓蔵師匠の証言を取りたい。でも、もしかしたら全て同時進行というのも、文楽師匠ならありそうで怖い。 

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