2021年10月10日日曜日

コスモス満開、柳家小三治の訃報を知る

昨夜は父が買って来た魚屋の刺身。しかも戻り鰹と鮪の中トロ、これでいただきものの純米酒を飲む。しみじみと旨し。



今日は朝のうちは曇り空だったが、やがて晴れて暑くなる。

次男を図書館に送った後、霞ケ浦の堤防を歩く。コスモスが見頃を迎えた。



昼はサッポロ一番塩ラーメンを作って食べる。

妻は午後から仕事に出た。


柳家小三治の訃報を知る。今月の7日に亡くなっていた。81歳。

志ん朝が死んで20年、談志が死んで10年か。志ん朝・談志亡き後、小三治は名人として落語界を支えてきた。異論はあるだろうが、私にとっての最後の名人だったな。もちろん、これからも名人と呼ぶにふさわしい人は出てくるだろう。人は彼らを名人と呼び支持もするだろう。それは一向に構わない。ただ、私が名人と呼ぶのは、柳家小三治で最後だというだけのことだ。そこには世代的なものもあるし、好みもある。つまり、私の私的な感情の表出に他ならない。

柳家小三治師匠のご冥福を祈る。


夕食はピザを焼く。ビール、白ワイン。食後に妻と飲む。私はアイリッシュウィスキーを飲んだ。

 

6 件のコメント:

  1. 「本人は全く死ぬつもりはなかったんだと思います。」というご親族の談話に小三治師匠の飄々とした表情がダブりましたねぇ。去年、浅草演芸ホールでの主任が私にとって最初で最後の生小三治となってしまいました。(初天神・・・凧あげの糸が見えるような高座が印象に残ります)ご冥福をお祈りいたします。

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  2. 私は池袋演芸場での『一眼国』が最後でした。その時にはもう寄席にふらっと入って聴ける人ではなくなってしまいました。
    小三治の落語を、随分長く楽しむことができ、私は幸運だったと思います。

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  3. とうとうこの日が来てしまいました。私にとっても最後の名人です。これからどうしよう・・・

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  4. そうですね。本当に長い間ありがとうございました、と言うしかないですね。

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  5. いつかは来ると思っていましたが、急すぎましたね。deusukeさんが初めて小三治師を聴いたのはいつですか。私は中学生の時で1978年ですが、鈴本のトリで禁酒番屋を演じたのが忘れられません。その後長い間楽しみ、かつ師匠の生き方から影響を受けたと思います。
    小三治で良かった噺ベストテンなど考えても面白いでしょうね。私の場合実際に聴いたものでは、青菜、鰻の幇間、うどんや、かんしゃく、そしてたった一度の、たちきり、などが浮かびます。

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  6. 私も中学の時です。私の方がちょっと年上のようですね。1975年頃でしょうか。ラジオの『湯屋番』でした。
    今、「小三治の思い出」の記事を書いています。近いうちにアップしますので、よろしかったらお読みください。

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