2022年3月19日土曜日

『寄席育ち』を読んだ

今日やっと六代目三遊亭圓生の『寄席育ち』を読み終えた。買ってから随分時間がかかったが、それだけボリュームがあったということなんだろう。

本来ならもっと早く読んでおくべきだった。だけど青蛙房版は値段も高いし場所も取る。去年岩波から文庫本が出て、遅ればせながら読んでみた。

私自身、圓生があまり好きではなかったということも、今まで手が出なかった理由のひとつに挙げられる。もちろん、芸は凄いと思う。ただ、本などで知るその人物像に、どうしても好感を持てなかったのだ。

で、読んで思った。やっぱり圓生は凄いや。芸に対する見識、姿勢、審美眼、分析力、マジで敬服したよ。何より凄いのが記憶力。明治の東京を語る資料として、まさに第一級。しかも圓生は記憶だけに頼らず、文献を読み込んできちんと裏付けを取ってくる。対象への向かい方が至極知的なのだ。けっこう古い時代の落語についての本を読んできたが、この本を元ネタにしているのも多いんじゃないかな。

また、意外にここでの圓生が謙虚なのだ。この本が出たのが昭和40年(1965年)。文楽も志ん生も、芸術協会では春風亭柳橋先生もいたからね、それも無理ないか。特に黒門町には首根っこを押えられていたからなあ。圓生が大名人として振る舞い出したのは、文楽が死んで天皇の御前口演をしてからだった。(彦六の正蔵は「御前口演後、あなたは変わった」と著書で言っている)

ただ芸人評で目についたのが、やたら「この人は上手い」とか「下手だ」とか言うところ。明らかに芸の巧拙が判断の基準になっている。この辺りは立川談志に通じる(談志はすぐに「俺の方が上手い」となるけど)。私は、立川談志は三遊亭圓生みたいになりたかったのだ、と思っている。大西信行が『落語無頼語録』の中で、談志はうまいと言われたい落語家だ、と言っているのは、的を射ていると思う。談志は権力志向が強かったが、圓生もまた芸術院会員になりたがり、圓朝襲名も望んだというから、その点でも似ているな。


私の上の世代は圓生ファンが多かった。それはそうだろう。文楽、志ん生が老いた昭和40年代から昭和54年に亡くなるまで少しも衰えず、ずーっと最高峰にいたのだ。至高の人情噺に加え、滑稽噺で笑いも取れ、唄も歌える。守備範囲の広さとクオリティの高さ併せ持つ、ミスター・パーフェクト。当時の落語愛好者の多くが、その芸に魅了された。

でも、私の同年代では、それほど人気はなかったな。圓生ファンは1学年上の美恋さんぐらい。皆、「くさい」と言って敬遠していた。「昔からこの、」とか「てへっ」とか「・・・でげす」とか、あの謡い調子とかが、若い世代には苦手だったのだろう。

当時は古今亭志ん朝と立川談志が人気を二分していたね(圓楽はうちの落研では評価が低かった)。桂枝雀にも熱心なファンがいた。とんがった奴は談志や川戸貞吉経由で古今亭志ん生に行っていたな。ちょっと下の代には柳家小三治がきていた。

シブい趣味の人もいて、3つ上の二代目紫雀さんは十代目金原亭馬生、1つ上の三代目紫雀さんは八代目林家正蔵、3つ上の小柳さんが川柳川柳、同期の八海くんは八代目三笑亭可楽、1学年つ下の風公くんは三代目桂三木助のファンだった。

黒門町は五代目一生楽さんと私か。そして一生楽さんも私も、当時は談志ファンでもあった。文楽と談志にはあまり芸の上で共通点はないんだけどな。どうしてだろう。


今日からは『明治の寄席芸人』を読み始めた。ゆっくり大切に読んでいこうと思う。


付記。談志と圓生が権力志向が強かったところに共通点がある、と書いたけど、談志の方は国会議員になったり協会の会長の座を欲しがったりと、まさに権力志向だけど、圓生の場合は無邪気に権威を欲しがったのだというような気がしてきた。やっぱり微妙に違うかなあ。

 

15 件のコメント:

  1. お彼岸ですので、永年続けております芸界スクラップの内「芸人の訃報」を取り出して眺めておりました。訃報のスクラップ第一号は円生師、S54.9.3没でありました。以来訃報を目にしますと帳面に貼り、その夜は手元にある録音で故人を偲ぶのが習慣であります。
    正蔵師の著書にある「御前口演後あなたは変わった」の件は円生師への質問状の中で書かれていたと記憶致します。正蔵師は円生師をライバルと思っていたのに、円生師は正蔵師を芸では格下と考えていた様に感じておりました。そして正蔵師はそれにかなり気を悪くしていたのではないでしょうか。ワタシの手元に地域寄席の主催者録音ですが、正蔵師がS54.11月に随談で「円生の死を語る」と題したモノがございます。そこで正蔵師は「ある時から円生さんはヒトが変わっちゃった。あんな方ではなかったのに。名誉が好きなんでしょうね」と言い、また「亡くなってアタシは演り良くなった」とも言っておられます。正蔵師が「中村仲蔵」には自信があると語ったと聞いて、円生師は持ちネタには無かったのに稽古してホールの会に出したりしたとの事。
    TBSRの「早起き名人会」や東海放送「源兵衛多助寄席の旅」等、最近又取り出して聴いております。

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  2. ご指摘の通り、あの言葉は『噺家の手帖』に収められた「円生師匠への公開質問状」からのものです。
    正蔵は圓生とは昔、評論家に酷評された者同士のつもりでいたけれど、圓生の方は、昔はともかく今は違う、という意識だったのでしょうね。
    圓生は、円歌の得意ネタ『紋三郎稲荷』も演りました。しかも弟子の好生が円歌から稽古をつけてもらったものを、無理矢理自分の型に直させて演らせました。おかげで好生は円歌をしくじってしまう。本当に罪なことをしたものです。
    それにしても東志郎さん、色んな音源お持ちですねえ。「源兵衛多助寄席の旅」ってどんな噺なんですか?

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  3. 先日浅草演芸ホールにて、仲入り前で正蔵師匠の「紋三郎稲荷」を聴く機会に巡り会えました。日乗さんの「2020年4月11日土曜日『紋三郎稲荷』聴き比べ」という記事より、圓生~小せん師匠の型(取手を「とって」と言うくだり)で演られていました。民話風のほのぼのとした雰囲気というよりは、物語りとしてこういう噺がありましたというあまり押しの強くない感じで、微笑ましい中に小粋な江戸落語のエッセンスが混ざったようで好感でした。寄席は流れの中でもちろん爆笑するのもたのしみですが、こういう高座に会えるのも嬉しいです。ぜひ機会があれば・・・。

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  4. 数年前に蔵書の3分の2を処分してしまったので、今では確認出来ない事が多く、時々悔やんでおります。まあキリが無いと思っての処分でしたから・・・。「噺家の手帖」はまだ手元にあり、今回取り出してみました。林家の素晴らしい笑顔の写真が扉に。公開質問状では自らが金八、三遊亭が円童の時代からの事ですから、円生師にとっては不遇だった頃の事をつぶさに知っていて時に公に指摘する林家を嫌っていたのは仕方ありますまい。円生師はかつて真打昇進試験の際に、林家の弟子照蔵を名指しして「下手」と公言、アレで二人の仲は決定的に悪くなったと思われます。林家はその際「かつて貴方と私は評論家に、骨ばかりで肉の無い芸と皮ばかりで骨の無い芸 と言われながら読まん年書かん年でやってきた。みんな下手だったんだ、これから売っていこうとする者に対し愛が無い」と語っておりました。
    TBSR「早起き名人会」は、当時の落語好きテープマニアならご存じでしょう。川戸氏ワールド全開の番組であれが元になって全国の演芸テープ仲間が繋がったエポックメイキングでした。その流れで始まったTBSTV「おはよう名人会」では、TBSに残った噺家の映像が次々放送されるという素晴らしい番組でした。既に実家に戻っていたワタシは、テープ仲間に依頼してどちらも録音録画してコレクションに加えて楽しんでおりました。東海放送「源兵衛多助寄席の旅」は、「早起き名人会」の終了後に東海放送の社長が私たちテープ交換仲間の一人でして、TBSを退職した川戸氏を起用して名古屋に呼び同じ様な趣旨で製作した番組でありました。TBSの様な大きな所では扱いにくいモノや話題、マイナー芸人も取り上げ、4年の長きにわたり楽しませて戴きました。ワタシは名古屋の仲間から録音して貰い残す事が出来ました。
    後に「早起き名人会」始め他局のオリジナル録音を、NHKが無断で放送した事が発覚しニュースになりました。以来この手の番組はほぼ一掃されてしまい残念な事になりました。ネットのこの時代で何でも聴ける様に思っている方もいるでしょうが、元が消されたらそれまでです。「何でも手元に無くっちゃ」の考えがこのMDの山になってしまいました。この先MDからHDへというのは最早出来ません。
    話題がとっ散らかってしまいましたね、失礼!! 懐かしくて書き出すとアレもコレも、になっちゃいます。

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  5. moonpapaさん
    正蔵の『紋三郎稲荷』聴けましたか。よかったですねえ。彼には先人へのリスペクトが感じられて、いいなあと思います。林家ブランドを上手に使いながら、着実に地歩を固めている。昔のこぶ平のイメージが邪魔をして正当に評価できない傾向がありますが、よくやっていると思いますよ。
    寄席のリポート、ありがたいです。楽しみにしております。

    東志郎さん
    「早起き名人会」は、学生の頃に始まりました。あれで昭和30年代の落語黄金時代の録音がずいぶん聴けました。私は当時、友達のアパートを泊まり歩いては酒を飲むという、中原中也みたいなことをしていたので、自分で録音はできませんでしたが、落研の同期がずーっと録っていまして、けっこうダビングしてもらっていました。
    「おはよう名人会」は録画して見ていました。毎回というわけではなく、目ぼしいものをでしたが。動く黒門町に感動、でした。小三治も『落語家論』で書いていましたが、本当に素晴らしい番組でした。
    「源兵衛多助寄席の旅」は東海放送の番組だったんですね。すごいとこまでカバーしていますねえ。
    私は根気がなくてコレクターにはなれませんでした。反省しきりです。
    今後とも色々ご教授ください。

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  6. 追記
     昨日何気なく見ていたYTに先代馬生師匠の「付き馬」がアップされていて(すでにご存じでしたらスミマセン)。今まで拝見してきた映像のイメージとはちょっと違って志ん朝さんがダブって見えるのは私の気のせいでしょうか…ハハハ。

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  7. 『付き馬』見ました。なるほど馬生にしては、ぽんぽん言葉が出ていますね。面白かったです。
    改めて思うのは馬生の若いこと。私よりもずっと年下になってしまったんですね。
    時計の表示で、もしやと思っていたら、東志郎さんとの話題で出ていた「おはよう名人会」の映像でした。

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  8. 多分ですけど圓生さんの人間性が良くなかったのは親の代からの借金と、自分の家族を大事にしていたことが原因ではないかと思います。
    圓生さんは自分の実父の借金を返す為に芸人になって、結婚してからも借金を返す為に師匠の四代目圓蔵や義父の五代目圓生のおこぼれで生活している状態だったからこそ、余裕が無くて結果的にドケチで余り融通が効かない人間になってしまったんではないかと思います。
    若い頃に文楽さんや志ん生さんの様に家族を放り出してまで芸の冒険をしてれば、もしかしたら他の人との付き合い方とかも良くなってたかもしれませんが、圓生さんは義母や子供達など家族は大事にしていたから、芸人仲間との付き合いを増やせなかったというのも一つの理由でしょう。
    長女の竹田静尾さんが産まれた時に嬉しくて乳母車に乗せて毎日散歩したり、長男の燿一郎さんや次男の佳男さんに噺家にならない様にした事など、家族に愛情を注ぎすぎて、他の仕事仲間との交友が上手くいかなかったとなると本当に寂しいですね。助兵衛だけど。

    そう考えると、こんな偏屈になってしまった圓生さんと真っ直ぐに接していた四代目の小さんさんという人は本当に人格者ですね。
    無口だけれど親切で、圓生さんや志ん生さんみたいな異端の人達が満洲で行方不明になった時も香盤は残しておこうと言ったり、いざ2人が帰ってきた時に家族以外で誰よりも喜んだのが四代目小さんさんで、亡くなった時に他人の死で圓生さんが初めて泣いたのが小さんさんだったって話ですから。

    四代目の小さんさんが生きてれば、また圓生さんの性格も違っていたんでしょうかね?

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  9. 何だか、圓生の人間性への批判の方に話がいってしまったようですね。
    私としては『寄席育ち』を読んで、圓生もなかなかいい人だったのではないか、と思いましたよ。
    融通は利かないかもしれないけれど、生真面目で素直に芸に向かって行った姿勢に好感を持ちました。苦労もしたし、家族思いだし。
    人はいい面もあるし、よくない面もある。当たり前のことだけど、私たちは案外それに気づかない。直接知らない有名人に関してはその傾向は顕著なのではないでしょうか。
    人の性格は色んなものが絡まり合って形成されるものだし、長所と短所は裏表の関係にもあります。そういう複雑な所が人間の面白さだと思います。

    四代目小さんは、色んなものを読むたびに人格者だなあと思います。また飄々とした面白さがあって、圓生「支那の留学生」というあだ名をつけたのは彼だそうです。亡くなったのは60歳、長生きしてほしかった一人です。

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  10. 人それぞれ好き嫌いは有りますよ、圓生さんが嫌いな人もいれば好きな人もいます。
    私も圓生さんの人格を否定するつもりはありませんが、実際の社会で圓生さんみたいな方がいたら、
    一緒に仕事はし辛いとは思います。
    悪い人では無いけど生真面目で融通が効かない人ってのはいるものです。

    あと、圓生さんの芸がくさいのは何となく分かります。
    その中でも人情噺が私は個人的にくさいと思います。
    でも圓生さんは落とし噺の大家の品川の圓蔵の弟子で、落とし噺の語り口でやってきたから、
    人情噺の下地が出来てないから普通の人がやるよりくさく感じてしまうんだと思います。
    しかも圓生さんはどの場面も満遍なく演じ過ぎるが故に噺に山場が無いのも臭く感じる要因かと。
    だから唐茄子屋政談とか文七元結の様な噺は、若い頃から人情噺を稽古してきた志ん生さんとそれに影響を受けた馬生さん、志ん朝さん兄弟、
    双蝶々や火事息子等の芝居掛っている物や真景累ヶ淵等の怪談噺は正蔵さんと、
    得意分野を積み重ねて来た人達と聞き比べると圓生さんの噺がくさく感じるのは無理はないんです。
    笑いあり涙ありの人情噺が本人は向いていると言っていますけど、
    師匠の品川の圓蔵、大師匠の四代目三遊亭圓生から受け継がれて来た落とし噺をやるのが一番なんです。
    木乃伊取り、品川心中、引っ越しの夢、首提灯、ああいう噺を伸ばしていけば圓生さんは良かったんですよ。
    私はエコ贔屓しているつもりはありませんが、
    人情噺は志ん生親子、太鼓持ち系は文楽さん、芝居噺と怪談噺は正蔵さん、落とし噺は圓生さんが良いと思います。

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  11. 「何だか、圓生の人間性への批判の方に話がいってしまったようですね」と書いたのは、私の文章が、という意味です。隆一さんのコメントについてではありませんので、お気を悪くしたのであれば申し訳ございません。
    圓生は好き嫌いの激しい人でした。自然、圓生が嫌った人は圓生のことも嫌いになると思います。圓生批判が多いのも、多分こんな所から来ているのでしょう。

    圓生自身は圓朝直系を自負していたので人情噺には自信があったと思います。また、寄席の20分よりもホール落語の30分以上の方が持ち味を発揮でき、より長講に傾いていきました。人物描写が巧みで演劇的だったので観客からの支持も絶大でした。続き物の人情噺、怪談噺を現代によみがえらせたことの功績は、やはり大きかったと思います。
    ただ文楽などは、圓生が人情噺に傾斜していくのに批判的でしたし、圓朝の名跡を預かっている藤原敦も『三遊亭圓朝の遺言』という本の中で「人情噺はいけない円生」という文章を書いています。
    談志も『浮世床』とか『四宿の屁』とか、バカバカしい噺を演じる圓生を評価していますね。

    実は私、文楽・志ん生・圓生の中では技術的には圓生がいちばんなんじゃないかなと思っています。でも、どちらを取るかというと文楽・志ん生、最終的には文楽になるんですよね。

    こういう話、楽しいです。私は圓生では『百川』『包丁』が好き、『三年目』もいいですね。



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  12. 付記
    談志は圓生の『四宿の屁』とか『おかふい』などについて、あんなバカバカしい噺を演る気が知れない、と言っていますね。ただ、談志はそのバカバカしさを愛していたんだと思います。

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  13. いえいえ、逆に気を使わせたみたいで申し訳ありません!
    別に私は圓生さんを否定した事というより、densukeさんが落語家さんを否定的に書く事が珍しかったんで、
    そこまで書く圓生さんが嫌われる理由や、そう言う性格になったのは、
    こういう経緯があったからじゃ無いのかな?って思って書き込んだだけなので、
    本当に此方こそ申し訳ありません!

    私は圓生信者でも特別圓生さんが好きな訳でも無いので、そんな怒ったりはしませんよ。
    私はどちらかと言えば文楽さんや馬生さんをしっかりとした理由も無しに否定される事の方が、
    ちょっと落ち込みますけどね。

    くだらない噺も圓生さんには向いてますね。
    元々が生真面目な人がバカバカしい噺を演じるからこそ、面白さがより倍増するんでしょうね。

    確かに圓生さんは技術は有るけど、演者さんの噺に対する心が見えるのは文楽さんや志ん生さんなので、
    そういう意味では私もこの御二方を選ぶでしょうね。
    鰻の幇間や唐茄子屋政談で圓生さんが文楽さんや志ん生さんより面白いとは思えないので。

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  14. 間違って匿名で書き込んでしまいました(笑)
    申し訳ありません(笑)
    謝ってばかりですね(笑)

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  15. ご丁寧にありがとうございます。
    今まで小朝とか談志、立川流、圓生とかへの批判的な記事は書いてきました。
    私としては批判はしても全否定はしないようにしてきたつもりです。
    昨今、批評で見られる、一方を賛美するために一方を貶めるという手法が、ちょっと受け入れがたいからです。
    落語家という人たちは、いわば人生をかたに博打をしたような人たちで、それを安全な場所から攻撃なんかしてはいけない、というのが私の考えです。批判は必要ですが、そこにはリスペクトがなければならないと思います
    大学の頃にも、「圓生なんか聴いていられないよ」という奴には、「圓生だぞ、この巧さ、文句あるか?」と言いたくなってしまいました。

    私の場合、世間の評価が文楽よりも圓生を上に置いているように感じられて面白くない、という思いも正直あります。だからといって圓生をけなして文楽を上げたくはないな、と思います。自戒を込めて、書いておきます。

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