ビートルズのDVD『ゲット・バック』を買った。発売当初は公式サイトで13000円。それがアマゾンでは10000円になっていた。これは買っちゃうよねえ。
1969年1月2日から1月30日までの「ゲット・バック・セッション」の映像を、『ロードオブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソンが編集した。「ゲット・バック・セッション」は、もともと1966年以降やめていたライヴ演奏を、もう一度やろうと言って始めたプロジェクトだ。リハーサルからライヴに至るまでの全工程を映像に収め、テレビ特番として放送しようというのである。監督は、「ヘイ・ジュード」「レボリューション」のPVを撮った、マイケル・リンゼイ・ホックス。「原点に返ろう」と、「ゲット・バック・セッション」と命名された。紆余曲折があり、この映像は1970年、映画『レット・イット・ビー』として発表された。この映画はビートルズにとってつらいものになったようで、ビデオにもDVDにもなっていない。
それが今回、ピーター・ジャクソンの編集で、ディズニー・プラスで配信され、その後DVD化された。発表されてしばらく経つので即時性はないが、私なりの感想を書いてみる。
映画『レット・イット・ビー』は上映時間2時間足らず。ジョージとポールの口論やジョンのやる気のなさが前面に出て、これは解散もやむなし、と思わせた。陰鬱なトーンで、見ていて気が滅入ったものだ。
それに対し『ゲット・バック』はDVDディスク3枚、5時間以上に及ぶ。『レット・イット・ビー』では見えなかった所がよく分かる。ピーター・ジャクソンの編集も巧みで、過去の映像をインサートしつつその背景がよく分かるようになっている。
ディスク1の舞台はトゥイッケナム・スタジオ。機材の不満や四六時中撮影されているストレスで、メンバーもピリピリしている。天才ポールには完成イメージが出来上がっている。それに向かっていくやり方をとるが、当然、メンバーは駒として扱われがちになる。リンゴのドラミングやジョージのギターに、細かい注文がポールから出る。曲の仕上がりが遅く、焦るポール。ライヴに消極的なジョージがやがて癇癪を起す。色々あって、とうとうジョージはグループの脱退を宣言する。
ディスク2はアップルスタジオに舞台を移す。取りあえずアルバム制作の過程を映像化することに路線を変更、ライヴは延期となった。説得を受けジョージが復帰した。キーボード奏者のビリー・プレストンをゲストに迎え、レコーディングは軌道に乗る。ジョンがグループを回し始める。
ディスク3はあの伝説のルーフトップ・ライヴだ。画面を分割し、ほぼ全カメラのカットを見せてくれる。高山T君がいみじくも「ライヴバンドとしてのビートルズが躍動している」と言っていたが、まさにその通り。いつまでも見ていられる。実はこのライヴの翌日も、彼らはレコーディングしていた。その映像も収められ、それがエンディングとなっていた。
印象に残ったシーンを挙げてみる。
トゥイッケナム・スタジオ。ジョンのスタジオ入りが遅れている。ポール、ジョージ、リンゴの三人が手持ち無沙汰にしている。ポールがベースでコードストロークしながら、メロディーを口ずさむ。これが何と名曲「ゲット・バック」となってゆく。やがてリンゴがドラムの前に座り、ジョージがギターを合わせる。セッションが始まる。遅れて来たジョンもそれに加わる。名曲誕生の現場を目撃する感動にわななく。
アップルスタジオ。ビリー・プレストンのキーボードが加わった時、メンバーの表情が変わった。特にポールの「これだよ、これ」という表情が忘れられない。ジョン曰く、「エレピの音はいいなあ」。これで苦労していた「ドント・レット・ミー・ダウン」が一気に完成に近づく。
ジョージは黙々とジョンとポールの曲にギターを合わせる。やっとメンバー全員で演奏されるジョージの曲が「フォー・ユー・ブルー」だ。今まで特に好きな曲ではなかったが、何だか愛おしくなったよ。ジョージがジョンに向かって「ソロアルバムを作りたい」と言うシーンがあった。ジョンは「皆で結束してアルバムを作っている最中にソロの話か?」と返すのだが、隣にいたヨーコが「素敵だわ」と助け舟を出すと、すかさず「いいことだ」と豹変。解散後、ジョージが鬱憤を晴らすかのように三枚組の『オール・シング・マスト・パス』を発表し大成功を収めたことを思うと感慨深い。(ちなみにその表題作は、このDVDの中でも演奏されている)
ルーフトップ・ライヴ。ジョンが16歳の時に作った「ワン・アフター・909」が出色の出来。ジョンとポールがノリノリでハモる。リンゴが実に楽しそうにドラムを叩く。「ゲット・バック」、「原点に返る」瞬間。
まだある。ポールがジョンとヨーコを前にして、ジョンの先妻シンシアの思い出話をする場面。ライヴ会場が二転三転し、コロッセウムから豪華客船、果ては病院や孤児院でのチャリティーコンサートが提案されていくのを聞きながら、どんどん不機嫌になっていくジョン。演奏しながら歌詞が出来上がっていく様子。ああ切りがない。
解散寸前、ビートルズは不仲で言い争ってばかりいた、とされていたが、そうではなかった。楽器を手にして誰かが歌い始めると息の合ったセッションが始ったし、昔話に興じ冗談を言って笑い合っていた。ただ、四人はもう寝食を共にしながらトップを目指していた「仲良し四人組」ではなくなっていた、というだけだ。ジョンにとってポールはたった一人のパートナーではなくなっていたし、ジョージはいつまでも引っ込み思案の末っ子ではなかった。父親のように皆をまとめてくれるブライアン・エプスタインはもういない。解散は避けられなかったのだろう。
でも、そのプロセスは、やはり彼らにとっても必要だったんだな、と私は思う。当時、彼らはまだ30歳にもなっていなかった。あのままだったら彼らはどこか子どものままで、ホモソーシャルの中に閉じこもっていただろう。
後年、ポール、ジョージ、リンゴの三人は『ビートルズ・アンソロジー』の中で、もう一度ビートルズを見つめ直す。巻末に三人の短いセッションも収められているが、これが実に味わい深い。そこに、ジョン・レノンがいないことが、今更ながらに悲しくてやりきれないのだ。
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