2022年12月28日水曜日

『真景累ヶ淵・お久殺し』

先日、父と常総に出掛け、『真景累ヶ淵』ゆかりのお寺を見てきた。

一つは『真景累ヶ淵』の下敷きとなった怪談の主人公、累の墓所がある法蔵寺、もう一つは累の祟りを鎮めた祐天上人がいた弘教寺である。

累が夫与右衛門に殺害されたのが、法蔵寺に程近い鬼怒川のほとり累ヶ淵。そして、私が持ちネタにしている「お久殺し」で、お久が新吉によって殺されるのが、やはり累ヶ淵付近なのである。

 

「お久殺し」は『真景累ヶ淵』の中では比較的地味な場面である。直前には名場面「豊志賀の死」がある。どうしても、その後日談としての扱いを受けることが多い。以前、あるベテランの落語家が鈴本で『真景累ヶ淵』の続き物を演じた時も、この「お久殺し」を「豊志賀」の付け足しのような感じ(実際、そんなことをマクラで喋っていたし)で、ごくあっさりとやっていた。

 

私はそれが不満だった。「お久殺し」は重要な部分だと思う。何と言っても、ここで新吉は初めて殺人を犯すのだ。この後彼は悪の道に転げ落ちていくのだが、この時点ではまだ、人間に甘い所はあるものの、基本的に善人だったと思う。『真景累ヶ淵』全体から見ても、一大転機となる場面なのだ。

 

それに、お久という娘が何とも哀れだった。継母からの虐待から逃れ、新吉とともに下総羽生村で新生活を始めようという道行の途中、愛する新吉の手で殺されてしまう。救いがない。全くない。

お久のためにも「お久殺し」を、きちんとした一席の噺にしようと、私は考えたのだ、大それたことに。

 

下敷きにしたのは、岩波文庫、三遊亭圓朝作『真景累ヶ淵』。あえて落語家の音源は聴かなかった。

豊志賀と新吉の馴れ初めから豊志賀の死までは、あっさりと地の語りで済ませた。豊志賀の死の直前、新吉とお久が池之端の寿司屋の二階で語り合う場面もいいのだが、後のことを考えて割愛した。

物語の幕開けは、豊志賀の墓前から。そこでお久は継母の虐待を打ち明け、新吉に下総へ連れて逃げて欲しいと懇願する。私はここで新吉に「お前さんのことは、あたしが守る」と言わせた。新吉は本気でお久を守ろうとしたのだ。

そこから二人は手に手を取って駆け落ちをする。その晩泊った松戸の宿で契り。翌日、水海道から羽生村を目指す頃には、もう夜になっていた。

・・・あの辺の鬼怒川には何度も行った。そこから見える筑波山の形まで分かる。

やがて、雷鳴がとどろき雨が降り出す。羽生村へと土手を下りる道で、お久は足を滑らせ、土地の者が置いていった鎌で膝を突き刺してしまう。応急措置をして歩き出すが、新吉は豊志賀の幻影を見て逆上し、その鎌でお久を殺してしまう。我に返った新吉が、土砂降りの中、呆然と立ち尽くす場面でエンディングとした。

本来はその後、新吉が土手下の甚蔵という土地のならず者に出会う場面で切れ場となる。圓朝自身もそこで切っているのだが、私はカットした。あくまでお久と新吉に焦点を当てたかったのである。

私は、雨に打たれる新吉にこう呟かせた。「何でこうなるんだ・・・。俺はお前を守りたかっただけなんだ・・・」。

 

お久が新吉を誘ったように演じる人もいる。新吉を不実に描く人もいる。だけど、新吉は豊志賀を懸命に看病していたし、豊志賀を置いて家を飛び出したのだって、彼女の嫉妬からくる執拗な責め事に対して感情を爆発させたのだ。新吉は、お久の境遇に心から同情し、お久の純愛に応え、新たな土地で再出発することで、豊志賀の死から立ち直ろうとしたのだ。私はそう解釈した。

甘いかな。でも、そうでなければ、お久がかわいそうじゃないか。そう思って、私はこのような噺にした。たとえ、その悲劇的な結末から逃れ得なかったとしても、である。

法蔵寺、累の墓所の案内板

累の墓所


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