ページビューの合計

2019年1月2日水曜日

村松虚空地蔵尊堂

妻子を連れ、村松虚空地蔵尊堂にお参りに行く。
いつもの駐車場に車を止め、参道を歩く。


村松虚空地蔵尊堂。大同2年(807年)創建。明治33年(1900年)門前の民家からの出火で、堂宇が悉く焼失する。本堂は大正6年(1917年)、仁王門は昭和45年(1970年)に再建された。



お参りを済ませ、裏手へ回り奥の院と三重塔を見る。

三重塔は平成10年(1998年)再建。

昭和9年(1934年)に寄進された奥之院多宝塔。

参道の屋台で大判焼きを買う。
妻と子どもたちはお参りのお楽しみ、甘酒を買って飲む。


干しいもを買って阿字ヶ浦へ移動。海を見ながら、コンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べる。


磯崎漁港に翻る大漁旗を見る。




平磯から那珂湊、大洗を、海を眺めながらドライブ。1時半には家に帰る。
夕食はレンコンハンバーグ、厚揚げ、おせちで酒。
食後、ミー太郎を膝にのせボウモアを飲む。
昨夜、妻にひとくち飲ませて「どう?アイラ島の北の海の香りがするだろう」と訊いたら、「吉田小児科の匂いがするよ」と言われてしまいました。

2019年1月1日火曜日

謹賀新年

朝は雑煮、おせちで酒。
常会の新年会に出る。12時過ぎにお開き。
初詣に近所の神社へ行く。





帰ってコーヒーを飲みながら、ミー太郎と遊ぶ。


夕食は豚すき焼きで燗酒。
また新しい年が始まりました。

2018年12月29日土曜日

ちょっとだけ高浜散歩

朝、納豆餅、味噌汁。
妻は仕事。本棚の整理をする。
ミー太郎と遊びながら、村上春樹『騎士団長殺し』をとろとろ読む。
昼はチャーハンを作って子どもたちと食べる。
午後は長男の友だちが遊びに来る。
2時頃、妻が帰る。
ちょっと外に出る。高浜の街を散歩。風が強く寒い。
















40分ぐらい歩き、途中ガソリンを入れて帰る。
夕方ビール。
夕食は刺身で酒。次男の誕生日のお祝いでケーキを食べる。

ミー太郎はずっと家の中に入って遊んでいた。
あんなに逃げ回っていたのに、けっこうぐいぐい来るようになったな。




2018年12月27日木曜日

㋑食堂 まるいの焼きそば


鉾田、㋑食堂、まるいの焼きそば。600円。
この店のオリジナルメニュー。肉野菜炒めのような味付けなのだが、そこはかとなくソースの香り。紅ショウガがよく合うんだな。味噌汁、小鉢、香の物が付いてこの値段はうれしい。旨いよ。絶対、ビールに合うと思う。
ではアップで。


ボリュームもあり、大満足の一品でした。

2018年12月25日火曜日

メリークリスマス


先日、仕事で鉾田に泊まる。
晩飯に一杯ひっかけようと思って街に出たが、適当な店が見当たらず、けっこう歩いた。商工会の見事なイルミネーションを見る。何かイベントをやっていたようだ。
昼食でよく利用した、天宝という中華料理屋に入る。冷奴、ゴマ手羽2本、白モツ炒め、ビールと酒2合で2250円。旨し。やっぱり困った時は町中華だな。

翌朝、早朝の鉾田を散歩する。白く光を失った月が、西の空に浮かぶ。








きりっと冷えた朝の空気が気持ちいい。

昨日は長男の習い事があったので、今日、家族でクリスマスパーティーをやる。
鶏モモの照り焼き、ピザ、生ハムのサラダ、ソーセージ、フライドポテトで赤ワイン。デザートは妻と次男で作った、苺とブルーベリーのタルト。もうお腹いっぱい。旨し。
食後、ミー太郎が家の中に入って来たので、膝にのせてまったりする。昨日から、突如、触らせてくれるようになったのだ。何かの加減でストッパーが外れたか。喉をごろごろ鳴らして甘える猫の感触は、久し振り。いいもんだねえ。


今年も色々あったけど、とりあえずメリークリスマス。
ジョン・レノンは「君は何をした?」と問いかけるけど、私は口ごもってしまうけど、とりあえずメリークリスマス。
メリークリスマス。

2018年12月22日土曜日

冬至 留守番の日

今日は長男が土曜講座。朝、駅まで送って行く。
帰りに恋瀬川の河口から朝焼けを見る。

恋瀬川の河口。

こちらは山王川の河口です。

朝食は、パン、わかめスープ、ハム、スクランブルエッグ。
妻もお出掛け。次男と二人でお留守番。
昼は、次男が蕎麦を食べたいというので、小月庵に行く。
次男は海老天盛り、私はカレー南蛮と半ライス。



御飯はカレー雑炊風にしていただく。

午後は年賀状の印刷。加川良のレコード、クラシックのCDを聴く。
おやつに妻が買って来たドーナツを食べる。
ミー太郎が最近、メスであること判明。でも私はそのままミー太郎と呼ぶ。芸者みたいでいいじゃん。この頃は近寄って来るようになったが、まだ触らせてはくれない。今日は一瞬だけリビングに上がって来た。


夕方ビール。
夕食は石狩鍋で燗酒。冬至なのでカボチャの煮物を食べる。
北海道の八海君から電話。20分ほど話す。
柚子湯に入って温まる。

2018年12月19日水曜日

山本祥三『東京風物画集』




山本祥三という名前を知ったのは、『画集・銀座のカラス』(沢野ひとし 本の雑誌社1995年刊)の沢野の文章によってである。
「銀座のカラス」は、椎名誠が朝日新聞に連載した小説。他の椎名作品同様、挿絵を沢野ひとしが担当した。その挿絵をまとめたのが、『画集・銀座のカラス』である。
この本で、椎名誠は「この十数年で沢野君の絵は随分変わった。とくにこの七~八年の変化は線がやさしくなり、描く人間や風景にどこか深い哀調が漂うようになってきた。」と書いている。
これには私も全くの同感で、沢野の描く、一見ラフな線で細かく描きこまれた東京の風景に、強く心惹かれたのだった。
そして、沢野のこんな文章にぶつかる。
「山本祥三という画家を知っている人が何人いるだろうか。彼は昭和三年、東京は深川に生まれ、昭和三十二年に二十九歳の若さで亡くなった。東京の下町から盛り場、名所旧跡まで、ぬくもりをもったペンや筆で描かれた東京の風景はかぎりなく優しい。
(中略)
モノクロで描かれた彼の絵を、ペンや筆で模写し、模倣することによって、僕の絵もこの数年大きく変わっていった。インパクトのある強い絵から叙情的な風景へ少しずつ変わっていったのは、山本祥三の絵の影響といっていい。」
こんなこと書かれると、どうしたって山本祥三の絵を見たくなるでしょう。
以来私の頭には、山本祥三と彼の唯一の画集『東京風物画集』が強く刻み付けられた。
ところが、この本になかなか巡り合えない。
アマゾンで本を買い始めた頃、一度注文にまでこぎつけたが、いざとなったら品切れで、買い物は成立しなかった。
それが最近、そのアマゾンで買えたのだ。『東京風物画集partⅠ』『東京風物画集partⅡ』ともに相次いで買えたのだ。ほぼ二十年越しの夢がかなったのだ。さすがアマゾン、恐るべし。
昭和56年に雪華社から出た初版本。ということは、沢野ひとしが持っていたのとまさに同じ本である。
年譜によると、山本が東京のスケッチを始めたのが昭和2910月。昭和3110月には、その絵と行動が朝日新聞に紹介され、同年同月に江東楽天地で路上展を開催。その時に木村荘八に激励され師弟関係を結んだ。引き続き、池袋西武デパートで展覧会を開き、翌月には早稲田大学文化祭に出品するも、昭和321月に持病の胃下垂が悪化。同年9月に入院。そして、1029日、胃下垂神経症による栄養失調で29歳の短い生涯を終えた。
この画集は、昭和38年に発行されたものを分冊にしたもの。昭和29年から昭和31年までの、167点の東京の風景が収められている。素朴で丁寧なタッチで描かれた、詩情あふれる作品の数々に圧倒される。
山本が師と仰ぐ、木村荘八の評を紹介する。
「(前略)その絵の仕事は、何といっても『出発』早々のことであるから、稚筆は免れない影に、早くも光鋒きらめき、『写実』の眼のよく届いた人で、太筆の素描(毛筆)と、細緻の(ペン画)を技法とし、何れかといえば細緻のペン画の素描に、鋭さが汲めて、色彩はまだ多く使うことをしなかった。黒白の調子は、その屢々『版画』に向く画式に、既に堂に入った出色があり、第一に僕が山本君に惹かれたのは、材料の着眼の、平板凡庸でないことだった。常に取材の急所々々緩急抑揚のカンがよく働いて、一つには同君が、一方、『詩人』だった感受性も助太刀したことだったろうか、それが若い人のまゝに、極めてたのもしい・好ましい感を受けたのだった。」(「まえがき・山本祥三の『東京スケッチ』」より)
もう何も足す言葉はない。
蛇足だが、巻末に収められている、日記やスケッチ・メモもいい。それはもはや一編の詩である。

実物も見てみたいなあ。笠間日動美術館あたりで特別展、やってくれませんかね。