那須ハイランドパークの一角に、いかにも「アメリカ」な所がある。
ゲートをくぐると、まず”でっかい奴”がお出迎え。
| 無意味に「ハイリハイリハリホー、ハリハリフレッホー」と口ずさんでしまったよ。 |
さらに奥に進むと、ビッグなスターが勢ぞろいだ。
| エルビス・プレスリーとマリリン・モンロー。 |
| おっと、こっちはチャック・ベリーではないですか。 |
もちろんアメ車もありまっせ。
建物の外装もポップ。
ずーっとロックンロールがかかっておりました。
朝、パン、牛乳、ウィンナーソーセージ入りオムレツ。
妻と豆を医者に連れて行く。
妻は「今度猫を飼う時は、きちんと面倒を見るからね」と宣言していた。宣言通り、まずはお医者に見せておこう、ということにした。
目ヤニの処置、蚤取りをやってもらい、ワクチンや検査の計画を立て、エサやりのアドバイスなどをいただいて帰る。いろいろ勉強になった。
緊張でぶるぶる震えていた豆も、家に帰ると、途端にのびのびする。猫は寝子というけど、よく寝るなあ。
妻と夕方ビール。
夕食は、ピザ、サラダ、アメリカンチェリーで白ワイン。
食後に妻ともう少し、妻は白ワイン、私はアイリッシュウィスキーを飲む。
豆は長男のスリッパがお気に入り。
朝、マフィン、牛乳、アメリカンドッグ。
朝イチで床屋に行く。散歩がてら歩いて行く。
次男は模試、妻は仕事。昼は長男とサッポロ一番味噌ラーメンを作って食べる。
長男はバイトに行く。
私は美浦へ行く。福の家一門のボス、梅八さんと待ち合わせて子猫をいただく。
白黒ぶちのかわいい子猫。家に連れてきた途端、膝にのってくる。さすが梅八さんに仕込まれただけあって、人見知りしない。
W・P・キンセラの小説で『シューレス・ジョー』というのがある。ケビン・コスナーの主演で『フィールド・オブ・ドリームス』という映画にもなった。
主人公はアイオアで農業をしている。ある日彼は「それを作れば、彼はやってくる」という声を聞く。そしてその声に従うようにトウモロコシ畑をつぶして野球場を作ると、ある夜、そこに現れたのは、伝説の名選手、シューレス・ジョー・ジャクソンだった。というのが、この話の発端である。
もし私がその声を聞いて野球場を作るとしたら、そこに現れてほしい野球選手が一人いる。大下弘である。
大下弘。1922年12月15日生まれ。1979年5月23日没。享年56歳。第二次世界大戦後、プロ野球の復活とともに彗星の如く現れ、軽々とホームランを量産してファンの度肝を抜いた。天衣無縫で底抜けに明るい人柄は多くの人に愛された。東急フライヤーズ(現日本ハムファイターズ)、西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)に在籍し、実働14年間、1547試合に出場して、1687安打、201本塁打、861打点、生涯打率3割3厘の成績を残した。
私は大下の現役時代を知らない。彼の引退試合は、私が生まれるちょうど1年前に行われた。
それでも、名前は知っていた。「赤バットの川上、青バットの大下」は、あまりにも有名だった。
私が大下の生涯について知ったのは、『青バットのポンちゃん 大下弘』(桑原稲敏・ライブ出版・1989年刊)を読んでだった。この本で、ほぼ大下の生涯は網羅されている。ぽんぽんと弾むような軽快な文章で、それがいかにも大下を語るにふさわしかった。私は大下の破天荒な生き様に魅了された。試合が終われば若手を引き連れ一晩中飲み歩く。一試合7打席7安打の日本記録は、翌日が雨で中止だと思い込んで朝5時まで飲み歩いた末の、ひどい二日酔いでのものだった。スター選手で高給取りだったが、そのような生活に加え、母親の薬物依存症の治療も重なり借金まみれ。引退後はプロ野球界でコーチ、監督を務めるも、いずれも失敗。晩年は少年少女野球の指導に生きがいを見いだすが、脳血栓に倒れ失意のうちに死んだ。まさに破滅型の天才だった。
もう一冊、『大下弘・虹の生涯』(辺見じゅん・新潮社・1992年刊)では、綿密な取材のもと、前出の「ポンちゃん」では明かされていなかった事実が記されている。大下が復員後、世話になっていた明治大学の同級生は実名で出てくる。「ポンちゃん」ではその妹と結婚したことになっているが、実はそれは婚約しただけで解消になり、「ポンちゃん」でいう最初の妻、登志子は、その妹とは別人であった。また、大下とともにプロ野球に身を投じた明大の同輩、清水喜一郎が自殺したこと、大下が東急を退団する際、大下の代理人となり大騒動を引き起こした加藤正志が、後に自殺したことなども書かれていた。そして、何よりも衝撃だったのは、大下自身が睡眠薬自殺を遂げていたことである。その様子はエピローグでひっそりと綴られている。天才大下が放つ光が強烈であればこそ、くっきりと濃い影が落ちる。
大下弘の打撃フォームを映像で見たことがある。右足を高く上げ、バットをヒッチさせてすくい上げるように振りぬく。流れるような美しいフォームだった。右と左の違いはあるが、田淵幸一がそれに近い。そこから放たれた打球は大きな弧を描きどこまでも飛んで行った。それはまるで虹のようだったという。
二冊の本に同じ言葉が出てくる。大下の西鉄時代の監督、知将、三原侑の言葉だ。辺見じゅんは、これで『虹の生涯』の最後を飾った。
「日本の打撃人を五人あげるとすれば、川上、大下、中西、長島、王。三人にしぼるとすれば、大下、中西、長島。そして、たった一人選ぶとすれば、大下弘」
さあ夢の野球場のスタンドに座り、大下が描く虹を見よう。
妻と長男は、次男の学校の文化祭に行く。文化祭は同居の家族2名までという制限がある。父も行きたかったようだが早々に辞退したので、今日は父の趣味、県内の酒蔵巡りに付き合うことにする。
境町の「徳政宗」の醸造元、萩原酒造に向かう。この道は、独身時代、妻が住んでいた所に行く道を通る。ずいぶん久し振り。色んなバイパスができたが、ずーっと旧道を行く。
萩原酒造の営業は平日のみだった。徳政宗を売っているという道の駅に行く。
ここで父は純米吟醸の四合瓶を買う。一升瓶がなくて不満そうだったので、街中の酒屋を目指す。
ここで吟醸の「花丸」購入。隣には吉祥院という名刹があった。
昼は境河岸近くの船町で食べる。大もりそば。手打ち、旨し。
境の街並みを撮る。
| この階段の向こうに境の渡し跡があります。 |
父が、もう一つ、古河の酒蔵が見たいと言うので、そちらに向かう。
古河、「御慶事」の蔵元、青木酒造。
| 八千代の火の見櫓。 |
3時頃帰宅。妻と長男は既に帰っていた。境の道の駅で買って来た味噌饅頭をおやつに食べる。旨し。
夕食は焼肉でビール、赤ワイン。食後に妻とワインカクテル。私はアイリッシュウィスキーも飲む。