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2014年3月23日日曜日

風柳の根多帳③

4年の春合宿には『鰻の幇間』を持って行った。


うちの落研の合宿は、1年に3回。夏は伊豆は河津のいわたに旅館、冬は伊豆長岡の東屋旅館と決まっていた。春合宿だけが自由選択、その時の2年の渉外係の腕の見せ所だった。
私の1年の時は草津、2年では房総の千倉、3年は小諸だった。それぞれに何かしらの旅情があって、楽しかった。
4年の時、2年の渉外係は江の島を決めてきた。係の2人とも家が湘南で、近場で済ませた感がありありだった。
我々4年は「最後の春合宿にそれじゃあんまりだ。せめて旅行気分を味わわせろ」と言って、新宿集合、ロマンスカーで江の島へ向かうこととなった。(もちろん、湘南住まいの2人にも現地集合を許さず、新宿まで出て来させた。)
でも、考えてみれば、江の島に泊まったのは、あの春合宿の1度だけ。貴重な経験をさせてもらったんだな。五里ん君、紋次郎君、ありがとう。あの時は我儘言ってすまなかった。


さて、『鰻の幇間』。昭和落語の最高峰、八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、ともに得意ネタにした噺だ。
志ん生がうらぶれた野だいこを活写、秀逸なギャグで爆笑を呼んだのに対し、文楽は品よく幇間の悲哀を描き切った。古今亭志ん朝は2人のいいとこ取りかな。幇間はきれいで本寸法、志ん生譲りのギャグは、志ん朝の心地よいテンポにのって、どっかんどっかんウケてくる。
私は志ん朝のテープで覚えた。そりゃあ文楽のは大好きだが、これを演っても絶対ウケないよなあと、さすがに思ったのだ。「連隊旗と日章旗がぶっちがいになっている盃」とか「狐が三匹じゃんけんぽんしている徳利」とか「二宮尊徳の掛け軸」とか、演ってみたいよねえ。
だけど、このネタ、学生時代の立川志の輔も馬鹿な蹴られ方をしたネタなんだよね。私も発表会で演って全然ウケなかった。そりゃそうだ、皆志ん朝のを聴いているんだもん。
その後、川崎の議員さんの宴会に呼ばれて落語を演った時、高座に上がる寸前までこの噺を演るつもりだったけど、前に出ていた後輩たちの蹴られ振りを見て(客が飲み食いで盛り上がっていたのだ)、突如『豆屋』に替えて何とかウケた。あのまま『鰻の幇間』演ってたら惨敗だったろうな。賢明な選択だった。
結局、この噺を人前で演じたのは発表会の1度きり。真打になってから覚えた噺には、こういうのが多かった。





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