立川談志の死後、談志に関する本が、それこそうじゃうじゃ出た。
その中で私がよく読んでいるのが『談志 名跡問答』である。最晩年の談志が、福田和也を相手に、文楽・志ん生・圓生といった昭和の名人たちについて語ったのをまとめたものだ。
対談相手の福田和也がいい。談志に気持ちよく語らせながらも、おっと思わせるような見解を放り込む。談志もすぐさまそれに反応し、上手い具合に話が転がってゆくのだ。
例えば「文楽を語る」の項。八代目桂文楽といえば、「楷書の芸」や「無器用」、最近では「フレーズ」なんてのが、お決まりのように繰り返される。何だか語り尽くされたような感じがして、今更文楽でもあるまいと思う人もいるだろう。
しかし、この本は違うぞ。ちょっとばかり引用してみよう。
福田「ただ、文楽師匠独特の、ひたすら心地好い世界ってありますよね。調子がよくて、いろんなフレーズが入っている。」
談志「でも『大仏餅』なんて、あまり心地好くないでしょう。」
福田「でも、調子がいいじゃないですか。それに『大仏餅』のようなかなり暗い話でも、深刻にしない。摩擦係数が全然ない世界にいることの心地好さと不気味さのようなものがあります。」
談志「それはあるでしょうね。それらを含めて、名人芸とか十八番とか言ったのかもしれませんね。」
福田「華やかできれいで楽しいところだけ見せるというのが芸人だということなんでしょうか。ドキュメントとして、あがいたりもがいたりするような無様さのところから、ちょっと輝きを引き出したりするようなことは・・・。」
談志「それはなかったんだよな。」
確かに「フレーズ」という言葉は出てくるが、「摩擦係数が全然ない世界にいることの心地好さと不気味さ」という見方は凄い。こんな切り口で文楽を語る人は今までいなかったように思う。
文楽のネタをどう思う?と訊かれた福田はこう答える。
福田「『つるつる』はいいですね。でも、描写というか造形はそんなに深くいかないですよね。どちらかというと、パッと印象が残って、それはもう雪みたいに消えてしまってかまわないという。」
談志「うん。だから、その落語っていうものを粋に気持ちよくやっているという感じが強いな。何なんだろう、歌謡曲と一緒なのかな。歌謡曲と言わないまでも、歌に近い。」
福田「ただ歌謡曲であれば、そこにある悲しみやら感情やらドラマを、聴く人が仮託するわけじゃないですか。でも『よかちょろ』には仮託できないですよね。」
談志「できない。しようがねえよ。」
福田「そこがすごいところです。共感や同情を期待しないで楽しませるという。」
談志「だから、分かりやすく言えば、あれが江戸の落語なんですと、『江戸っ子の鰹じゃないけども、そうなってくるのかなあ。」
いつも文楽に否定的な談志が、何だか福田のペースに巻き込まれているような気がする。
文楽をかつての落語通は「噺家魚見立て」において、「文楽=鰹、これを食わざるは江戸っ子に非ず」と言ったという。
「文楽=鰹」について談志は言う。
談志「世の中の文楽師匠に対する評価は分からない部分もあったけど、『鰹』って言われたぐらいだから、『文楽を食わなければどうにもなんない、江戸っ子としての恥だろう』というところにいたことが、論理的ではないけど、俺は生理的にやっぱり江戸っ子の落語なんだって受け止めたな。」
福田「臭みはないですよね。」
談志「だけど、あの大きな声を出すことだけはね。」
福田「ただ、その大きな声を出すことも、例えば圓生さんのように、努力を感じさせる臭みはないですよね。」
談志「あ、いいこと言ったな。それはないなあ。」
談志が福田の言葉に触発される。そして、対談の終盤にはこうなるのだ。
福田「言葉遣いが難しいですけど、志ん生さんはやはりヒューマニズムの範囲じゃないですか。でも、文楽師匠はヒューマニズムじゃないですよね。人間というものを投げてるところがあって、そこはやっぱり家元に近いんじゃないでしょうか。」
談志「人間性ってのは、常識で判断できる範囲のものに限られてしまうじゃないですか。そうでなきゃ『モチリンです』なんて言ってらんないよ。キザな言葉で言うと、文楽師匠は芸術というものを解釈してたのかもしれない。」
福田「人間とか人生なんかよりも、やっぱり芸の方が大事だと思っているんですよね。」
談志「フレーズという名のもとにおける、非社会性というか、非常識というのを、無意識のうちに出してたのかな。」
福田「フレーズというか、もう音楽に近いようなものになっていて、ルールとか倫理とか、価値観とか関係なくなっちゃうんですよね。」
談志「人間のぎりぎりのところから出てくるフレーズというなら、理解できる。うーん。あのなんとも言えないフレーズ。くどいけど常識の外のものを引き上げたんでしょうな。私のイリュージョンの世界に近いものじゃないんですか。」
新しい八代目桂文楽論がここにある。この本が出たのは2012年だが、それは少しも古びていない。
談志も喋っていて楽しかったと思う。それを引き出した福田和也に、私は大いなる賛辞を贈りたい。
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