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2021年2月28日日曜日

2月も終わり

朝、マフィン、スープ。

朝イチで床屋に行く。


9時過ぎ帰る。子どもたちと図書館に行く。

昼はチャーハンと肉まん。

妹が来る。ちょっと早いけどと言って、誕生日のプレゼントをくれる。

これは赤いパンツ。他に酒やらペンケースやらタオルやら。色々ありがとう。

皆で「世界の果てまでイッテQ」の録画を観る。ほとんど1年前のもの。「手越祐也のノーチャラ生活」がしみじみと味わい深い。

妻と夕方ビール。奮発してハートランドビール。旨し。

夕食はピザで赤ワイン。食後にウィスキー。

今日で2月も終わりかあ。早いなあ。

2021年2月27日土曜日

今日の日記

朝、御飯、鶏鍋、ハム、鮭フレーク。

次男は模試。妻は仕事。

CD『立川談志 ゆめの寄席/第三夜』を聴く。

その1は、三代目金馬「花見の仇討」、山野一郎「女剣劇」、二代目円歌「呼び出し電話」。金馬はしみじみ上手いと思うし、円歌は本当に面白い。山野一郎の語りは味があるなあ。

その2、先代馬風「闘病日記」、西川たつ「浮世節」、圓生「包丁」。脳卒中で倒れた自分をも笑いにする馬風のしたたかさ。西川たつの品のある高座。そして極めつけ、圓生の「包丁」。たっぷり堪能いたしました。

長男とちょっとだけ本屋に行く。

昼は、妻が作っていってくれた稲荷寿司とどん兵衛揚げ玉そば。

長男をバイト先まで送る。


何枚か絵を描く。細かい絵を描いていると気持ちが落ち着く。

これは何日か前に描いたもの。

夕食は鶏の唐揚げ、ポテトフライ、ペンネで燗酒。食後に妻と赤ワイン。

寝しなにスコッチウイスキー。安いシングルモルトがあったので買って来た。


 

2021年2月25日木曜日

『評伝 山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い』

 『評伝 山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い』(先﨑千尋著・日本経済評論社刊)を読む。茨城県の戦後農業史に名を遺す二人の巨人の評伝である。

 

第1部は山口武秀。

1915年新宮村(現鉾田市)生まれ。旧制鉾田中学校を4年で中退して上京し、左翼活動家となる。治安維持法違反で懲役3年の刑を受け、水戸刑務所に1937年から1040年まで服役した。

秀武の家は廻船問屋で高利貸し。借金のかたに土地を取り上げることで地主となった。彼はその罪の意識から左翼思想にのめり込んでいったという。

ほぼ10歳年上の太宰治も同じように同時期、左翼活動に手を染めた。太宰も津軽の地主の息子。動機は武秀と同じだが、彼はその弱さからひたすら下向して行く。しまいにはカフェの女給との心中事件を引き起こし、自分だけ生き残った。

武秀は違う。終戦後、常東農民運動を展開し、農地解放などで激烈な闘争を繰り返した。私は最近、太宰の『東京八景』を読んだばかり。この本を読むと、武秀の強さに圧倒される。

しかし、様々な闘争も所詮は一回性のものだった。同志は次第に武秀から離れ、孤立していく。その後も三里塚闘争、高浜入干拓反対運動などで存在感を示すが、武秀は孤立したまま1992年、77歳で死ぬ。

今は山口武秀の名は忘れられつつある。しかし彼の活動によって地主の土地は農民のものになった。鹿行地区に現在の園芸王国が生まれたのは、武秀が触媒のような働きをしたからに他ならない。

 

2部は山口一門である。

一門は1918年台北生まれ。玉川村(玉里村を経て現小美玉市)で農民活動を始め、戦後、玉川農協を設立した。

米作+αという作付改革、田園都市構想などの農村の環境改善を推進。玉里村を有数のレンコン産地にし、養豚団地、ミルクプラント、産直など次々と新機軸を打ち出して、玉川農協は一躍トップランナーに躍り出た。「農協牛乳」や「タマゴプリン」などのヒット商品は、私もよく覚えている。

武秀は一回性の権利闘争に明け暮れたが、一門はあくまで農民主体の、農村の後進性を排し農民を豊かにするための活動を、行政側と協力しながら粘り強く展開した。

一門は玉川農協組合長、日本文化厚生農業組合連合会会長、茨城県農協中央会副会長などを歴任したが、1972年に全ての役職を退任し農業に従事する。その後、彼は1979年に農協問題研究会長に就任、1987年には日本文化厚生農業組合連合会会長に復帰した。まだまだ一門の手腕は求められていたのだ。

2002年、一門が手塩にかけた玉川農協が激震に見舞われる。ミートセンターでの16年に渡る産地偽装が発覚したのだ。産直の契約の仕方に無理があり不幸な部分はあったが、それで免罪はされない。この打撃を取り戻す術もなく、2006年、玉川農協はひたち野農協に吸収されて消滅した。

2011年、92歳で死去。

 

山口武秀、山口一門、二人の手法は対照的だが、二人とも茨城県の後進性と闘い、大きな功績を残した。

筆者、先﨑千尋はそれを資料に基づきながら丹念に辿って行く。手放しで賛美するのではない。問題点や失敗をきちんと指摘していく、冷徹な目を常に持ち続けている。手堅い、誠実な文章。農業や農民運動に対する愛がしっかり伝わってくる。

部数が少ないためか、3200円という価格となっている。いささか高く感じるかもしれないが、それでも読んで損はない。名著だと思う。




2021年2月22日月曜日

鹿島鉄道鉾田線玉造町駅の路線図

 


観光路線図が好きだ。見ていて飽きない。空想の旅を楽しむことができる。

上の写真は鹿島鉄道鉾田線の玉造町駅にあった路線図である。鹿行地域と稲敷地域をほぼ網羅しており、壮観だ。

浮島がまだ島だった頃に書かれたのだろう。後から白いペンキで修正されている。浮島は1960年から1966年にかけての干拓工事で地続きになったというから、それ以前のものにちがいない。

霞ケ浦には、歩崎、桃浦、天王崎、浮島に遊泳場がある。後に霞ケ浦は水質が悪化して、全ての遊泳場が廃止された。母がよく言っていた「霞ケ浦の水で淹れたお茶は旨かった」という時代だったんだな。

それにしてもバス路線の充実ぶりはどうだ。この頃にタイムスリップして、のんびりバス旅行なんかしてみたい。土浦から牛堀や潮来へ行く船旅もいいなあ。

この地図も味があってなかなかいいけど、できれば吉田初三郎に注文してパノラマ絵図にして欲しかったなあ。


2021年2月21日日曜日

行楽日和

昨日の日記。

朝、パン、クラムチャウダー、ハム。

次男は土曜授業。駅まで送る。

妻も仕事で、長男と留守番。

ベニー・グッドマン、グレン・ミラー・オーケストラ、セロニアス・モンクのレコードを聴きながら本を読む。太宰治、『東京八景』『帰去来』『故郷』。『東京八景』は『富嶽百景』以前の太宰の東京生活の混沌と狂乱、『帰去来』『故郷』は故郷の生家との和解を描く。こうなれば『津軽』も読まなきゃいけないなあ。

昼は長男と冷凍炒飯。

長男をバイト先まで送り、帰りに本屋に寄る。『評伝 山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い』(先﨑千尋・日本経済評論社)を買う。

夕食はチーズフォンデュでシードル、白ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。

梅の花も大分ほころび始めた。


今日の日記。

朝、御飯、味噌汁、卵とウィンナーの炒めもの、納豆。

天気もいいし暖かいので、親子4人で車で出かけることにした。

ひたちなかで乾燥芋。もうそろそろ終わりかな。玉豊はなくて紅はるかの切り落とし1㎏を買う。


蔦屋書店で本を買う。『落語哲学』(中村昇・亜紀書房)。

ローソンでパンを買い、阿字ヶ浦海岸で食べる。けっこう人が出ている。




那珂湊魚市場に寄ろうとしたが、かなり混んでいたのでやめる。

大洗を通って帰るが、こちらもけっこうな人出。皆、考えることは同じなのね。海沿いをドライブするだけで本当に気持ちが良かったよ。

おやつは買って来た乾燥芋をあぶって、アイスクリームをのせて食べる。あったかいのと冷たいのとで絶妙な味わい。旨し。

妻と夕方ビール。

夕食は伯母からいただいた鰻を鰻丼にして食べる。燗酒がまた旨い。食後に妻は白ワイン、私はアイリッシュウィスキーを飲む。

最高気温22℃、GWの陽気。行楽日和でありました。

梅も一日で随分咲いたんだねえ。


2021年2月17日水曜日

富嶽数景

久々に太宰治の『富嶽百景』を読む。

通俗を憎む太宰が、石原美知子との結婚を機に実生活に真摯に向かい合おうとしていく心の動きを、山梨県御坂峠の天下茶屋滞在中で、富士をめぐる様々なエピソードを通して描く。初めは富士に反発していた「私」が次第に心を開いてゆく。やはり太宰は巧いなあ。

私は富士山が好き。以前は冬になると雪を頂いた富士を見に、妻子を連れて旅行に出かけたものだ。

何枚か富士山の写真がある。「富嶽数景」と洒落込みましょうか。


山中湖からの富士。

河口湖、朝の富士。

新幹線の車中から。

土肥。

こちらも土肥だと思う。これは昔の職場の旅行で行った時。

戸田、駿河湾越しの富士。

富士サファリパークから。

忍野八海。逆光だ。

沼津。車窓から。

旅の終わり、足柄PAから。

よく見えないけれど、房総千倉から。東京湾越しの富士。

シメは河口湖の宿から、朝日を浴びる富士。


2021年2月13日土曜日

鹿島鉄道鉾田線

鹿島鉄道鉾田線。通称「かしてつ」。JR石岡駅から鉾田駅までを結んだ。かつては鹿島参宮鉄道と呼ばれたぐらいだから、ゆくゆくは鹿島まで伸ばしたかったんだろう。

霞ケ浦沿いをとことこ走るディーゼルカーには、そこはかとない味わいがあったのだが、ローカル私鉄の宿命、経営難に耐え切れず2007年に廃線となった。

では20年ほど前の写真ですが、載せてみます。

石岡駅ホーム。

石岡駅構内。


四箇村駅。


常陸小川駅。

常陸小川駅改札口。

常陸小川駅ホーム。

玉造町駅。

玉造町駅改札口の路線図。

鉾田駅。駅舎のデザインとしては沿線一。

鉾田駅ホーム。入線しているのは昭和11年製の気動車。


2021年2月7日日曜日

春みたいな休日

朝、フレンチトースト、ポタージュスープ。

ボイラーに灯油を入れに表に出たら、家の上空を白鳥の群れが北へと飛んで行った。初めて見たよ。

昨日から読み始めた、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の旅』を午前中に読了。フィンランドの場面を読むといつも泣いてしまう。村上では、これと『沈黙』という短編が、私にとっての双璧。あくまでも個人的にだけど。

読みながらルービンシュタイン『ショパン夜想曲集』のCDを聴く。本当はリストの『巡礼の旅』なんだろうけど、持ってないんだよね。ルービンシュタイン、80歳の録音。抑制のきいた静謐な演奏。奔放な天才がたどり着いた境地がこれか。心にしみる。

昼は妻が買って来たマクドナルドのチキンタツタ瀬戸内レモンタルタルとテリヤキバーガー。旨し。

午後は石岡の街をちょっとだけ散歩する。









中町のしばのやさんで白菊純米原酒と常陸野ネストシードル、有楽さんでたこ焼きを買って帰る。

おやつにたこ焼き。妻と夕方ビール。

夕食はホットプレートで作ったビビンバ、マカロニサラダで酒。食後にアイリッシュウィスキー。

春みたいに暖かい休日でした。

2021年2月5日金曜日

金原亭の落語協会分裂騒動・補足

 以前、落語協会分裂騒動において、十代目金原亭馬生の行動を記事にした。

金原亭の落語協会分裂騒動(『小説・落語協団騒動記』より)

馬生は「落語協会は出演をボイコットする」ということを鈴本演芸場社長に通告し、そのことで分裂を最小限に食い止めた。

実は一方で馬生は当時の若者二人(上野鈴本演芸場現社長と新宿末広亭現席亭)にこんなことを持ち掛けている。

以下は新宿末広亭現席亭、北村幾夫の証言である。

「(圓生師匠の一門がいないと)困る。我々も困る。つまり、今こうだから、寄席には圓生さんが頭を下げたと思われる。圓生さんには“寄席側が頭を下げて戻ってくれと言ってると。あたしがそのへんを巧く濁して仲介するから。あなたがた二人が圓生師匠のとこ行って“先のこと考えると寄席は師匠たちを失うと痛手だから戻ってきてください。末廣亭の大旦那も鈴本の社長も同じ考えです”って言えば、話し合いのテーブルに着くだろう。お父さんたちには“圓生師匠たちが謝りたいって言ってる”と言ってテーブルに着けなさい。そうなっちゃえばね、どっちが先に頭を下げた云々じゃなくて、あたしが“まあまあ”って元の鞘に収めるから。そん時にあたしが連絡するから、圓生師匠のとこに二人、動いて」

しかし、この工作は実現しなかった。協会側、圓生側双方がマスコミを介して中傷合戦を始めてしまったからだ。

馬生は北村にこう言ったという。

「これだけこじれるとダメだなあ。あんたたち二人なら、後に話が上手くいかなくても傷つく体じゃない。“あの若い奴らが変なことしやがって”で済むと思ったんだけど」

 

ここで驚くべきは、馬生の懐の深さである。彼は落語協会という組織を守りつつ、誰も傷つかない形でお互いの関係を修復しようとしていたのだ。

ちなみに、落語協会会長の小さんは、馬生を副会長にした以外はほとんど何もしなかったと言っていい。私はそこに、漢の劉邦や新選組の近藤勇に通じる大きさを見る。

圓生サイドにはこのような「大人」がいなかった。

談志は分裂を主導しメンバーをかき集めながら、自分がトップに立てないと分かると逃げ出した。圓楽は一門の結束を焦るあまり、弟弟子を恫喝して、かえって足並みを乱した。そして志ん朝はあまりに純粋だった。

 

このエピソードが収められているのは『十代目金原亭馬生 噺と酒と江戸の粋』(石井徹也編)という本である。この本では馬生の人間的な大きさが、様々な人の証言を通して遺憾なく描かれている。

それにしても54歳の死は早過ぎた。落語協会会長が、小さん、馬生、志ん朝と継承されていたらと、どうしても私は思ってしまうのである。




2021年2月2日火曜日

節分

今日は節分。

仕事から帰って風呂に入り豆をまく。豆まきは神事である。

神事の後は酒になる。というわけで、夕食は恵方巻、けんちん汁でビール、酒。


節分といえば鬼。

2012年に高山T君と旅した愛知県犬山市の桃太郎神社の鬼を載せてみる。




鬼を激写する高山T君。





ちょっと快楽亭ブラックに似てるでしょ。


主役の桃太郎さんであります。


稀代のコンクリ像作家、浅野祥雲先生の名作の数々が堪能できる。

また行きたいなあ。