『評伝 山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い』(先﨑千尋著・日本経済評論社刊)を読む。茨城県の戦後農業史に名を遺す二人の巨人の評伝である。
第1部は山口武秀。
1915年新宮村(現鉾田市)生まれ。旧制鉾田中学校を4年で中退して上京し、左翼活動家となる。治安維持法違反で懲役3年の刑を受け、水戸刑務所に1937年から1040年まで服役した。
秀武の家は廻船問屋で高利貸し。借金のかたに土地を取り上げることで地主となった。彼はその罪の意識から左翼思想にのめり込んでいったという。
ほぼ10歳年上の太宰治も同じように同時期、左翼活動に手を染めた。太宰も津軽の地主の息子。動機は武秀と同じだが、彼はその弱さからひたすら下向して行く。しまいにはカフェの女給との心中事件を引き起こし、自分だけ生き残った。
武秀は違う。終戦後、常東農民運動を展開し、農地解放などで激烈な闘争を繰り返した。私は最近、太宰の『東京八景』を読んだばかり。この本を読むと、武秀の強さに圧倒される。
しかし、様々な闘争も所詮は一回性のものだった。同志は次第に武秀から離れ、孤立していく。その後も三里塚闘争、高浜入干拓反対運動などで存在感を示すが、武秀は孤立したまま1992年、77歳で死ぬ。
今は山口武秀の名は忘れられつつある。しかし彼の活動によって地主の土地は農民のものになった。鹿行地区に現在の園芸王国が生まれたのは、武秀が触媒のような働きをしたからに他ならない。
第2部は山口一門である。
一門は1918年台北生まれ。玉川村(玉里村を経て現小美玉市)で農民活動を始め、戦後、玉川農協を設立した。
米作+αという作付改革、田園都市構想などの農村の環境改善を推進。玉里村を有数のレンコン産地にし、養豚団地、ミルクプラント、産直など次々と新機軸を打ち出して、玉川農協は一躍トップランナーに躍り出た。「農協牛乳」や「タマゴプリン」などのヒット商品は、私もよく覚えている。
武秀は一回性の権利闘争に明け暮れたが、一門はあくまで農民主体の、農村の後進性を排し農民を豊かにするための活動を、行政側と協力しながら粘り強く展開した。
一門は玉川農協組合長、日本文化厚生農業組合連合会会長、茨城県農協中央会副会長などを歴任したが、1972年に全ての役職を退任し農業に従事する。その後、彼は1979年に農協問題研究会長に就任、1987年には日本文化厚生農業組合連合会会長に復帰した。まだまだ一門の手腕は求められていたのだ。
2002年、一門が手塩にかけた玉川農協が激震に見舞われる。ミートセンターでの16年に渡る産地偽装が発覚したのだ。産直の契約の仕方に無理があり不幸な部分はあったが、それで免罪はされない。この打撃を取り戻す術もなく、2006年、玉川農協はひたち野農協に吸収されて消滅した。
2011年、92歳で死去。
山口武秀、山口一門、二人の手法は対照的だが、二人とも茨城県の後進性と闘い、大きな功績を残した。
筆者、先﨑千尋はそれを資料に基づきながら丹念に辿って行く。手放しで賛美するのではない。問題点や失敗をきちんと指摘していく、冷徹な目を常に持ち続けている。手堅い、誠実な文章。農業や農民運動に対する愛がしっかり伝わってくる。
部数が少ないためか、3200円という価格となっている。いささか高く感じるかもしれないが、それでも読んで損はない。名著だと思う。