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2013年1月6日日曜日

五代目柳家小さんの晩年

三代目柳家小さんは、夏目漱石をして「天才」と言わしめた名人であったが、晩年は耄碌してしまい、老醜をさらしたという。八代目桂文楽が、最後の出演となった高座で絶句し、舞台のそでに戻った時「三代目んなっちゃった。」と呟いたのは、そのエピソードを踏まえてのものである。
私たちがよく知る五代目小さんも、やはり晩年の高座は痛々しかった。表情も乏しく、抑揚もメリハリも人物描写もなかった。私が子どもの頃から聴いていた小さんとはまるで違っていて、ひどく寂しかった。
惚れて惚れ抜いた人という訳ではない。でも、落語といえば欠かせない人だった。寄席に行けば小さんがいて、彼の落語を聴いて失望することなんてまずなかった。ぼそぼそとして、さりげない、けれども、的確な人物描写、緻密な構成は、常に笑いを呼んでいた。『長短』、『饅頭怖い』、『禁酒番屋』、『粗忽長屋』、『二人旅』、『時そば』等々、お馴染みの根多ではあるが、小さんの噺はその最高水準のものであった。圓生のような大向うを唸らせるタイプではない。しかし、大したストーリーのない滑稽噺で、これほど観客を惹きつけるのは、人情噺で大向うを唸らせるよりも、数倍困難なことなのではないか、と今にして思う。
だから、衰えた小さんの噺を聴くたび、引退すればいいのにとか、名跡を小三治に譲り、自分は「さん翁」とでも名乗って、気が向いた時に高座に上がればいいのではないかとか、ずっと思っていた。
あれは、2002年の初席、鈴本演芸場の夜の部、柳家小三治が主任の興行だった。突然、高座に「小さん」のめくりが現れた。プログラムに小さんの名前はなかったので、サプライズ出演だったのだろう。客席がどよめき、歓声に迎えられ、小さんが高座に上がる。釈台を使う高座。そこで小さんは与太郎の小噺を喋った。

「与太郎、お前もそろそろいい歳だ。嫁を貰え。」
「嫁なら、面倒臭いから妹のお花を嫁にする。」
「馬鹿、妹なんぞと夫婦になったら犬畜生と言われるぞ。」
「お父っつぁんとおっ母かさんなんか、親同士で夫婦じゃねえか。」

大喝采の中、いつもの無表情で小さんは高座を下りた。
一本調子の、メリハリも人物描写もない高座だったが、圧倒的な存在感だったな。あの無表情も一本調子も、ものすごくクールに見えた。
あの高座を観なかったら、私にとって、五代目柳家小さんの存在は、かなり寂しいものになっていただろう。小さんは、やはり巨人だったな。あの小さんに出会えたことを有難く思う。
その年の5月、五代目柳家小さん死す。前夜にちらし寿司をぺろっと食べて、翌朝死んでいたという。いかにも小さんらしい、大往生と言ってもいい最期だった。
小さんは死ぬまで小さんであることを選んだ。そのことに賛否両論あり、私はどちらかと言えば否の方にいるけれど…。

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