3年の夏合宿の噺。『締め込み』。
桂文楽との出会いの噺。ずっとずっとやりたかったネタだ。
空き巣に入った泥棒が、荷造りして逃げようとした途端、亭主が帰って来た。慌てて泥棒は、台所の縁の下へ。亭主は泥棒がこさえた風呂敷包みを見て、女房が間男して駆け落ちしようとしたと勘違い。やがて女房が帰って来て夫婦喧嘩が始まる。亭主の投げた鉄瓶の熱湯が、台所の縁の下へ滴り落ち、堪らなくなって泥棒が飛び出して仲裁に入る。こうして喧嘩が収まり、めでたしめでたしという噺。
もちろん、文楽のテープで覚えた。文楽は泥棒が「これをご縁に、またちょくちょく伺います。」と言うところで切っており、「外からしんばりかって、泥棒を締め込んでおけ。」というサゲまでは演っていない。私も文楽のまま演じた。
合宿の発表会。運がいいのか悪いのか、たまたまOBの先輩がいらしていた。二代目紫雀さんには「真打がかかっているんだから、サゲまでやれよ。」と言われた。あちゃーっと思ったが、初代風柳さんは「そこで切っていいんですよ。」と言ってくださった。
私がやりたかったのは、何と言っても、あの夫婦喧嘩の場面だった。お福さんの男勝りで可愛らしいところを描きたかった。だけど、あの場面を気を入れて演じれば演じるほど、反応は逸れていく感じがした。
この噺は、発表会の演目でもあったのだが、夏合宿後も、いくら練習しても思うようにできなかった。「難はないんだけど、面白くならないなあ。」と言われ続けて、仕舞いには嫌になった。
当時は、「噺を構築する」なんて考えは、まるでなかったな。文楽の演ったままを覚え、そのまま喋った。「でこでこに」とか「前尻」とか、自分の言葉でもないものでも、そのまま使っていた。人物描写も、なり切るだけ。文楽の「無駄を削ぎ落とせるだけ削ぎ落とした」噺をそのまま学生が演っても、聴く方は面白くも何ともないよな。
案の定、本番でも評判は芳しくなかった。文学部の友だちも、「人情噺はよく分かんない。」と言ってた。『締め込み』を「人情噺」にされちゃいかんな。
立川志の輔は学生の頃、志ん朝で覚えた『鰻の幇間』を志ん朝そのままに演じて、見事にケラれたという。私の『締め込み』は、志の輔における『鰻の幇間』だったのだろう。若かったなあ。
でも、好きな噺に変わりはない。今なら、もうちょっとましに出来るかなあ。
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