晩年の二人の落語家の芸に対し、その弟子が同じようなことを言っている。
落語家は、五代目柳家小さんと五代目(正確には七代目)立川談志。この二人もまた、師弟関係にある。
まずは小さん。語っているのは十代目柳家小三治。
小三治は、最晩年の高座こそ小さんの最高の姿であると言う。それは「小さんのやりたかった噺というのは世間の評判に応えよう。期待に応えなくては等々ではなく、まさにこの世界じゃないのか」と思うからだ。そして、四代目小さんを例にとり、「一本調子は悪くないのです。めりはりなんか無くったっていいのです。」とまで言うのである。(『五代目小さん芸語録』中、「我が師五代目小さんの落語」より)
お次は談志。立川志らくが、談笑との対談で、談志の晩年を「一筆描きの時代」と称し、こう語っている。
「何の創意工夫も加えず、感情も入れず、目線もほとんどあげず、強弱さえもあまりつけず、ぼそぼそとしゃべる…弟子に稽古をつけるときのやり方そのままを高座でやるようになった。」「なのにそれが立川談志そのものだから面白いんですよ、(中略)ただぼそぼそやってるだけなのに、心に沁みるいい『子別れ』になっている。」(『落語ファン倶楽部VOL.16 談志だいすき』より)
二人とも、言っていることは同じだ。多くの人が「衰えた」と見る晩年の芸を、技巧を排したひとつの到達点として、高く評価している。
しかし、それはあくまで「線で見た」視点によるものだろう。全盛期の小さんや談志を知っているからこそ、あの小さんが、あの談志が、辿り着いた境地として感動を呼ぶのだと思う。
あれを「点で見た」場合、例えば何の予備知識もない、落語に関心を持ったばかりの少年が、晩年の小さんや談志の落語を聴いたとして、果たして面白いと思うだろうか。
私もまた、晩年の小さんの高座に感動した一人だが、あれは意図的に技巧を排したわけではなく、あのようにしか喋れなくなっただけなのである、と言っては身も蓋もないか。
ただ、長い年月を積み重ね、自然に辿り着いた境地であることに違いはない。談志とて暴れに暴れたが、最後には「江戸の風」を志向し、「一筆描き」に行き着いた。
63歳で逝った古今亭志ん朝に、遂にそういう日が来なかったことを考えると、感慨深いものがある。
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