いよいよ今日で定年退職。
午後、辞令をもらい 見送っていただく。
家に帰ったら、妻がハートランドビールを買っておいてくれた。
まずは妻とお疲れ様の乾杯。
夕食は、父が買って来てくれた刺身で、妹がくれた久保田の萬壽を飲む。旨し。ありがたい。
明日は新しい職場で再任用の仕事が始まる。
頑張ろう。
今日は平日の休み。妻も休みだし長男もバイトがない。せっかくだから皆でお出かけしようということになった。
本当ならこの時期に沖縄にでも行こうと言っていたのだが、この状況では無理。少しでもその気分を味わおうと思い、大洗のアクアワールドに行く。
入口すぐのいわしの群れに、まず心を奪われる。 |
くらげが流行っているみたいだ。 |
ジンベイザメもマンタもいないけど、この大水槽は好き。 |
マンボウがこんなにいる。 |
この水族館はサメの展示には定評がある。 |
昼は那珂川を渡って那珂湊魚市場へ。営業していない店もあり、ここもほどほどの入り。
入ったのはここ。
私が食べたのは釜揚げしらす丼、1300円。生ものもそそったが、ここはあえての選択。
旨かったよ。吸い物や小鉢といった脇役もいい仕事をしていたし。
あまり長居をせず、2時には家に帰る。
夕食は市場で買って来たブリカマのみりん干しで燗酒。これまた旨し。
この前までPCをメンテナンスに出していたので、しばらくブログの更新ができなかった。
気づいたら、お彼岸も終わりではないか。
先週末に墓参りに行った時には、早くも桜が咲いていた。
彼岸に咲くのは早咲きの桜だけど、今年はソメイヨシノが咲いているんだからなあ。季節の巡りが随分早いよ。
先日、古本の『石原慎太郎よ、退場せよ!』(斎藤貴男・吉田司/洋泉社・2009年刊)という新書を買った。石原慎太郎が東京都知事だった頃の批判本である。指摘がいちいちもっともなんだよなあ。少しだけ引用してみる。
「石原の差別発言は居酒屋の酔っ払いレベルの会話ですよ。彼が職業作家として個人的に言っているだけなら、彼の小説など読まなければ済む話ですが、彼は彼が差別している相手から巻き上げた税金でそれをやっている。公人が絶対してはならないことを恥じもしないで平然とやっている」
「学校を教師や生徒を支配する装置として使っている」
「石原の体質である、嫌悪なり憎悪の対象を常に設定し、そのことによって集団の結束を図るという原始的な統治手法」
「石原にとって政治とは、弱者と他人(公)のことより、自我や自己の史観を最大多数が受け入れるという自己表現、つまり自己実現の場として位置づけられている」
石原慎太郎は退場したが、石原的なものは依然として健在だ。むしろ増殖しているといっていい。それを「強いリーダー」として少なくない人々が誉めそやす。(そのラスボス的存在がドナルド・トランプだったのかもしれない)
そんな世界に私たちは生きている。
お口直しに、本屋の帰り道で見たこぶし。
昨日は春の嵐。
一日中、萩尾望都の『トーマの心臓』を読む。調べてみたら1974年に連載が始まったという。当時、萩尾望都は25歳。とんでもない天才だよな。いったい、いくつの物語が絡み合っているんだろう。ユリスモール・バイハン、オスカー・ライザー、エーリク・フリューリンク、もう死んでしまっていないはずのトーマ・ヴェルナーに至るまで、登場人物一人一人がなんて魅力的なんだろう。不覚にも何度も涙をぬぐう。60の親父を40年前と同じように泣かせるんだから、すごい作品だと思うよ。
今日は打って変わっていい天気。一気に春の陽気となる。
朝、マフィン、紅茶。
こどもたちと図書館へ行く。
昼はパスタ。ナポリタンとミートソースを半々まぜたという。ちょっとナポリミートを思い出す。旨し。
次男と土浦へ行く。自転車のパンクの修理をしてもらう。
ちょっとだけ駅前をぶらつく。
今日はホワイトデーなので、妻にケーキを買って帰る。ケーキ屋にはお父さんたちが何人かケーキを買いに来ていた。
夕食は父が買って来たとんかつ、餃子でビール、酒。食後にケーキ。お腹いっぱい。
ちょっとだけウィスキーを飲む。
震災から今日で10年。
あの日は4月からの新しい仕事に向けて準備のため、パソコンに向かっていたのだった。突然、両肩をつかまれて揺さぶられるような強い揺れを感じた。長い揺れだった。外に避難したが、何度か強い余震が起きた。不動のものだと信じていた大地が、突然頼りなく思えた。船酔いのように平衡感覚がおかしくなっていた。
いつもの倍以上の時間をかけて家に帰った。家族は庭の車の中にいて、家の前には瓦が散乱していた。
翌日から自宅待機になった。家の中はぐちゃぐちゃだった。
電気が通って津波の被害を知った。呆然とした。そして福島の原発が爆発した。世界が終わったと思った。終わらないまでも、世界は大きく損なわれ、二度と戻らないのだ、と思った。その予感はそれほど外れてはいなかったと思う。
断水はしばらく続き、トイレの水を調達するために、私は父と霞ケ浦に水を汲みに行った。
やがて仕事が始まり、日々の忙しさに巻き込まれていく。その辺りのことはよく覚えていない。
翌年の夏、岩手に出張した。帰りに、相方の希望で石巻と女川に寄った。(相方はそこでボランティアをしたという)
石巻では津波と火災で廃墟のようになった小学校を見た。
校舎は焼けただれていたが、校庭にはひまわりが咲き、白いユニフォーム姿の子どもたちが野球の練習をしていた。
女川では津波で倒壊した建物が、そのままごろんと横たわっていた。
静かだった。なんでこんなに静かなんだと思った。入り江には白波ひとつ立っていなかった。
あの石巻の小学校は門脇小というんだと、後で高山T君が教えてくれた。津波で流された車が炎上し校舎に燃え移ったという。
最近、春の選抜高校野球大会に出場する大阪桐蔭高校のエースが門脇小の出身だということを知った。彼が震災に遭ったのは小学1年生の時で、翌年、父の仕事の都合で北海道の旭川に転校したらしい。
私があの時見た少年野球の選手の中に彼がいたかどうかは微妙だが、あの子たちはもう高校生かそれ以上になっているんだな。あの子たちの姿に、あの時私は希望を見たような気がしたんだ。今年の甲子園はそんなことを思いながら見ようと思う。
あの日、妻が慌てて幼稚園に行くと、次男たちは園庭で円になってしゃがんでいたという。その次男も今は高校1年生だ。10年は決して短くない。
朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、納豆。
常会のゴミ拾い。
昨日の夕方、物置から持って来たマンガを読む。
大友克洋の単行本デビュー作『ショートホープ』。1979年3月発表。主な収録作は、さえない若者のドタバタ喜劇だ。後の『AKIRA』を思うと、大友もずいぶん遠くまで行ったものだな、と感慨を新たにする。乾いたユーモア、身もふたもないリアリズムがすごい。1980年代、多くのフォロワーを生んだ影響力の原点がここにある。
安西水丸『黄色チューリップ』。1988年、角川書店刊。水丸の、こういう作風のマンガとしては後期に入るかな。1985年から1年間、『月刊カドカワ』で連載されたもの。1980年代のお洒落な雰囲気だが、マンガというより詩画集といってもいい叙情性は健在だ。登場する女性一人一人の、ぞっとするほど美しいことよ。
滝田ゆうの『銃後の花ちゃん』は1978年に出た小学館文庫。価格は感動の260円。「下町人情ギャグ」とくくるにはあまりに哀しい色街の女たちをめぐるお話。「カツ丼怨歌」の女房に体を売らせる夫などは、落語『お直し』がモデルなんだろうなあ。細かい線で描かれる終戦直後の東京の情景が素晴らしい。
萩尾望都の『トーマの心臓』はこれからのお楽しみ。
昼は無印のレトルトカレーでカレパ。ホットプレートでナンを焼く。
午後は皆でケーズデンキへ行く。
帰って図書館で借りた『ビートルズ・サウンドを創った男ー耳こそはすべてー』(ジョージ・マーティン/吉成伸幸・一色真由美訳)を読む。
妻と夕方ビール。昨日息子とベイシアに行った時、ついでに買って来た。旨し。
夕食は鍋、厚揚げで酒。酒はいただきものの「会津ほまれ純米大吟醸」。これもまた旨し。
食後は妻は白ワイン、私はウィスキーを飲む。食後のウィスキーは旨い。
私には趣味がいくつかあるが、その中で「絵を描く」というのが、いちばん長く続いているのではないだろうか。
本を読んだり、落語や音楽を聴いたりするよりも、ずっと前から、私は絵を描いてきた。
保育園の頃、ヤスコ先生は、私の親に「絵を習わせたらどうか」と勧めたらしい。もちろん農民だった両親はそんな誘いには乗らなかった。乗ろうとしたところで、近くに絵を教える所なんぞなかったのだからしようがない。
絵を教わるどころか、私は好き勝手にいたずら書きをするだけで、美術部にも入らなかったし、高校では音楽の授業を選択した。(レコードを聴いていれば単位をくれると聞いていたからである)
だから、デッサンはなっていないし、彩色も下手だ。人を感心させるようなテクニックは持ち合わせていない。
ただ好きでずっと描いてきただけだ。日記を書くように、私は絵を描いてきた。
思ってみれば、絵も文章も落語も、私はそれで食っていこうとは思わなかった。自分の才能に自信がなかったし、それに人生を賭けるほどの覚悟もなかったのだろう。
でも、私はそれでよかったと思っている。ウケてもウケなくても好きなようにやっていられるから。(もちろん目の前にそれを見てくれる「お客」がいれば、楽しんでもらえるように努めようとは思っている)
そんなわけで今も私は絵を描く。最近は細かい絵を描いていると、気持ちが落ち着くのだ。それに、自分で言うのも何なのだが、私は自分の絵を見るのも好きなのである。
需要があるかどうかは分からないけど、これからもたまに描いた絵を載せていく。よろしくお付き合いの程を願っておきます。
新作。谷中のおでん屋。 |
阪神淡路大震災が起きた日。 |
石岡市高浜。愛郷橋のたもと。 |
沖縄の弁当屋。 |
前に乗っていたミニ。 |
万年筆で描いた土浦の吾妻庵。 |
毎年、2月の最終土日は昔の職場の仲間で泊りがけの宴会をしている。
今年はコロナの影響で自粛、お流れとなった。
恒例となっていたものができないとなると、やっぱり寂しい。
宴会前に街歩きをして昼飲みするのが楽しみだった。せめて写真でも見て、行ったつもりになろうと思う。
那珂湊の街角。 |
この建物、好きだったんだけど、なくなっちゃったんだよねえ。 |
大洗の商店街。 |
こういう建物、リノベーションして秘密基地にしたい。 |
大洗、柳屋食堂、ラーメンでビール。 |
大洗漁港近くの回転寿司。 |
大洗海岸、神磯の鳥居。 |
那珂湊、チェリー食堂。焼きそばでビール。 |
湊公園から那珂川を望む。 |
大洗、柳屋食堂。ソース焼きそばでビール。 |
大洗、月の井酒造。 |
大洗漁港でつぶ貝でワンカップ。半分の量でいい。 |
大洗磯前神社からの絶景。 |
那珂湊の街角。 |
平磯、旅館の朝。おかみさんがカモメに餌をやっていた。 |
那珂湊魚市場でカニ味噌でワンカップ。旨いんだよねえ。 |