昨夜は庭でバーベキューをやる。
肉や焼き鳥を焼いて、ビール、赤ワインを飲む。炭で焼く焼き鳥は旨い。
花火をやっておしまい。夏が終わるなあ。
今日は一日、夏季休暇を取る。
朝、こわ飯、味噌汁、目玉焼き、ウィンナーソーセージ。
午前中、行方市へ行って、新採の頃に作った銀行口座の整理をする。
ついでに玉造の街をぶらつく。
昼はファミマの麻婆焼きそばを食べる。しっかり辛い。
昨夜は庭でバーベキューをやる。
肉や焼き鳥を焼いて、ビール、赤ワインを飲む。炭で焼く焼き鳥は旨い。
花火をやっておしまい。夏が終わるなあ。
今日は一日、夏季休暇を取る。
朝、こわ飯、味噌汁、目玉焼き、ウィンナーソーセージ。
午前中、行方市へ行って、新採の頃に作った銀行口座の整理をする。
ついでに玉造の街をぶらつく。
朝、パン、ハムステーキ、スクランブルエッグ、紅茶。
昨日、鳥取の落研の先輩、小柳流家元から梨が届く。新甘泉という品種。爽やかな甘み。旨しであります。
早速、お返しに土浦の小松屋さんから佃煮を送らせていただく。
長男と古本屋に寄る。
妻がBSで昔の朝ドラの「あぐり」を観ている。ヒロイン、あぐりの長男のモデルが吉行淳之介。あまり朝ドラ向きのキャラクターではないと思うが、ドラマでは好青年に描かれている。
それに影響され、吉行の本を二冊購入。『湿った空乾いた空』、『鼠小僧次郎吉』。『鼠小僧次郎吉』は高校の頃買った。どこかに行ってしまったので買いなおし。高校生には刺激が強かった。
『落語界・昭和51年2月号』も買う。五代目柳家つばめの追悼記事が2本、掲載されている。つばめの著書『落語の世界』『創作落語論』はお勧めです。
昼はスパゲティミートソース。
昨日、物置から持って来た、村上龍『限りなく透明に近いブルー』、読了。
甥が福生に住んでいるが、そう聞いて、まず思い浮かんだのがこの小説。1970年代半ばの、ドラッグ、セックス、ロックンロールの時代を体現するようなお話。まあ、内容は、ほぼドラッグとセックスだけどね。現在進行形が多用され、地の文と会話文が溶け合う文体の疾走感がすごい。どこにも行けない、行きつく先は死しかない。1970年代ってすごい時代だったんだな。何しろ1975年までベトナム戦争やってたんだ。ここで見られる、米兵の壊れっぷりもむべなるかな、と思わないでもない。
大学受験真っただ中で、ふと本屋で見つけて読んでしまった本だ。これじゃ、ろくな結果にはならないよなあ。
夕食は、春巻、春雨サラダ、枝豆でビール、酒。食後に妻と白ワイン。
秋も近くなって朝顔が盛んに花を咲かせている。
朝、ピザトースト、牛乳。
床屋に行く。田圃も、もうすぐ稲刈りだな。
鉾田のローソンでパンを買い込み、大竹海岸に行く。
ところが、緊急事態宣言のためか、駐車場が閉鎖されている。そこで、鹿島灘海浜公園に移動。こちらは通常営業。けっこう人がいたな。ずーっと家にはいられないよね。
日陰のベンチでお昼を食べる。まい泉のカツサンド、ジューシーハムサンド、カレーパン。旨し。海を眺める。
午後はテレビで高校野球を見る。落研時代の後輩、扇松くんの母校は惜しくも敗れる。長崎商の打線はすごいや。
妻と夕方ビール。
夕食はピーマン肉詰め、モロヘイヤのおひたし、佃煮、炒めものでビール、酒。
食後に酒、白ワイン。
昨日は、松任谷由実の『水の中のAsiaへ』を聴きながら帰る。
1981年発表のミニアルバム。当時のポップミュージックが欧米にしか目を向けていない中で、アジアをテーマにした画期的な作品だ。
冒頭を飾る「スラバヤ通りの妹へ」が圧巻。私にとってユーミンの最高傑作である。
インドネシア、スラバヤ通りで出会った15歳の少女との淡い交流を歌う。
歌詞の中に「痩せた年寄は責めるように私と日本に目を背ける」という一節が出て来て、どきっとする。アジアの国々が、戦争中、我が国がした行いをどのように見ていたか、およそ政治的だったとは思われないユーミンのアンテナにも引っかかって来るほどだったと思うと感慨を新たにする。
今、「あの戦争は、欧米の植民地だったアジアを解放する戦いだったのだ」と声高に叫ぶ人が増えた。「文句を言っているのは中韓だけで、台湾やインドネシアの親日ぶりを見よ」と言う人も多い。しかし、そんなことがまやかしであることを、この歌はさりげなく示している。
あの戦争で、日本は東南アジアで獲得した資源を手放す気はなかった。日本が勝っていれば、欧米諸国に取って代わったに過ぎなかっただろう。アジアが解放されたのは、日本が負けたからだ。
昔、妻とシンガポールに旅行した時、博物館で日本軍が現地の華僑を虐殺した事件の展示を見た。ガイドさんが「日本の皆さんは嫌な気持ちになるかもしれないが、それでも見ておいてください」と言った覚えがある。
よく「戦争で亡くなった英霊のおかげで今の日本がある」ということを耳にする。しかし、本当にそうか、と私は思う。正しくは「あの戦争に負けたおかげで今の日本がある」と言うべきだろう。あの戦争に勝って、大日本帝国のままだったら、今のような日本になっていただろうか。基本的人権が尊重され、75年以上も戦争をせずに済んだ日本になっていただろうか。
祖国を守るために彼らは命を捧げた、と彼らは言う。私の家の跡取りはビルマで、私の母方の祖父はニューギニアで戦死した。「祖国を守るため」と言うのなら、実直な農夫であった彼らが、なぜそんな遠くまで連れ出されて死ななければならなかったのだろう。
「祖国を守るため」と飛行機で体当たりをさせられた若者は死に、命令した者の多くは戦後も生き延びて天寿を全うした。美しい物語に酔ってはいけない。命令する側に回る為政者は、英霊に感謝するのではなく、時の為政者が彼らを英霊にさせてしまったことを深く恥じ悔いなければなるまい。今の政権与党の権力の中枢にいる者に、そんな人がいるようには思えない。
『水の中のAsiaへ』には「大連慕情」という作品もある。
父が大連から母へ宛てた手紙を見つけ、亡き父に思いを馳せる、というストーリー。大連は昭和初期、日本が中国北東部に建てた傀儡国家、満州国の都市である。
松任谷由実の父、荒井末男氏は2006年、93歳で亡くなった。ちなみに歌詞では「あなたが生きていたらそぞろ歩こう」とあって、「父」は死んだことになっている。(本作発表時は末男氏は存命だった)終戦時、彼は32歳。本業は呉服屋のはずだから、大連にいたとすれば、召集されて行ったのだろうか。(Wikipediaでは「作中の父親像は完全な創作」としている)
これもまた、戦争の匂いのする曲だ。
アジアをテーマにした以上は、戦争とも向き合わなければならなかったということなのだろう。1980年発表の『時のないホテル』に収められている「Miss Lonely」も、戦争で恋人を失った老女の話。当時の松任谷由実の志向が感じられ、興味深い。
その後、彼女は「恋愛の教祖」としてメガヒットを飛ばしていくことになるが、ここで見られた社会性はその頃にはもうなくなってしまった。(だからこそ売れた、とも言えるか)
帰り道の涸沼の風景。
ほぼ一週間続いた雨もどうやら上がり、今日は朝から晴れて暑くなった。
井上陽水の『スニーカー・ダンサー』を聴きながら職場へ行く。通勤にかかる時間は45分ほど。昔のLPレコード、ちょうど一枚分だ。
このアルバムは大学の頃よく聴いた。発売されて、もう40年以上になるかな。陽水が大麻所持で捕まってしばらく休んで、活動を再開させた時のシングル「なぜか上海」が収録されている。セールスとしては谷間の時期だな。でも、私はこの時期の陽水が好き。
改めて聴くと、夏向きのアルバムだねえ。レゲエなんかやってるよ。
この頃の陽水はシュールが持ち味。「事件」なんかすげえぞ。国技館の花道を退場する力士の体を触る観客に紛れて、何者かがカミソリで切りつけたというストーリーだ。相撲をネタにした歌なんて、これと、なぎら健壱の「悲惨な戦い」ぐらいしか思い浮かばない。隠れた名曲、「娘がねじれる時」もカッコいいよ。
そして、ラストナンバーは、私が最高傑作と認める「勝者としてのペガサス」。ここで海が見えるのよ。いいねえ。
通勤路の眺めは好き。
田圃の中のお稲荷さん。 |
野の仏。 |
今年のお盆は、ずーっと雨。肌寒いし、父は夏風邪で調子悪いし、コロナは感染爆発しているし、何だか気が滅入る。
昨日は甥が来て、皆で晩御飯を食べた。
昼飯はとんかつバーガーを家で作る。旨し。
朝、御飯、味噌汁、目玉焼き、ウィンナーソーセージ、納豆。
今度は父が夏風邪を引く。一昨日PCR検査を受け、昨日陰性の報告を受けたが、まだ咳が止まらないので、今日も病院へ連れて行く。午前中いっぱいかかる。
昼は子どもたちが作った和風パスタ。
午後はお寺の施餓鬼会に出る。迎え火をもらって帰る。
夕食はもつ炒め、麻婆茄子、シューマイでビール、酒。食後に妻と白ワイン。
寝しなにアイリッシュウィスキー。
今日からお盆。去年は母の新盆だった。
一日中雨。西日本では被害が出ているという。
今年は撮らなかったので、昨年の写真です。 いい天気だったのね。 |
「オリンピックが感染爆発を招く恐れはないか?」という問いに対し、首相は「安心安全の大会運営に努める」と答え、結果、感染爆発。すると「オリンピックとの関連はない」と言うんだよね。こんなんばっかだな。
昨日の日記。
朝、トースト、ハムステーキ、紅茶。
オリンピックの男子マラソンをテレビで見る。
昼は炒飯、わかめスープ。
昨日本屋で買って来た『オリンピア1996 冠(コロナ)〈廃墟の光〉』(沢木耕太郎・新潮文庫)を読む。オリンピックが商業主義に大きく舵を切ったアトランタ五輪のルポルタージュ。
台風の影響か、断続的に強い雨が降る。
妻と夕方ビール。
夕食は焼き鳥、イカそうめん、しめ鯖、カツオのたたき、冷奴でビール、酒。「居酒屋のメニューだね」と子どもたちが言う。旨し。
食後に妻と白ワイン。
寝しなにアイリッシュウィスキー。
職場の冷房がきつかったせいか、夏風邪を引いた。
のどの違和感、37度くらいの微熱、咳が出る。
近くの医院に行ったら、風邪だろうということで薬が出た。
週末にあった伯父の通夜、告別式は欠席。家族との接触も断ち、部屋に籠って快復を待った。
昨日の朝、一向によくならないので電話をすると、大きな病院に行ってコロナの検査を受けるべし、とのこと。
そこで、隣の市の病院に行って診察をしてもらいPCR検査を受けた。
今日の夕方電話が来て、結果は陰性。ほっとした。
5日間の隔離生活。おかげで『老子』を全巻(短いけどね)、漱石の『それから』を読了。石原千秋と小泉陽一の『漱石激読』で『それから』の復習をし、今日の昼からは『門』を読み始めた。本読んで、CD聴いて、PCいじって、の繰り返し。今日は300歩も歩いていない。
夕食は、久々に皆で食べる。鶏のパン粉焼き、ソーメンチャンプルーで、ビールを1本飲む。
夜のニュースを見たら、全国で感染数がすごいことになっていた。
本当にどうなっちゃうんだろう。
部屋の窓から空を見る。 |
机の周りも大分散らかったなあ。 |
落語には、飲み食いする場面が印象的な演目がいくつかある。
優れた演者が演じると、本当に旨そうで旨そうでたまらない。
その中でも、冬の『二番煎じ』、夏の『青菜』は双璧でしょうな。
今回は、時節柄『青菜』についてお話したい。
お屋敷の仕事をしている植木屋さん、旦那に誘われて縁先で酒をご馳走になる。
酒は上方の友人から送ってもらった「柳蔭」。東京ではこれを「なおし(本直し)」という。焼酎と味醂を割ったもの。それがガラスのコップに注いである。私は飲んだことはないが、いかにも涼しげだ。プールサイドで飲むカクテルのようではないか。
つまみは、鯉の洗い。最近、鯉はあまり流通していないが、その昔、江戸ではグレードの高い魚として重用された。落語でも『狸鯉』で登場するし、黒門町の文楽が演っていた泥棒の小咄では、小料理屋に入った強盗が、鯉の洗い、鯉こくをたらふく食べ、百両の金を請求される。
うちは霞ケ浦が近いので、鯉はご馳走だ。私は、味噌で煮込む鯉こくより、甘辛い醤油味のうま煮が好き。真子(卵巣)が入ったのが、また旨いんだよな。
鯉の洗いは好きだねえ。なんせ小骨を気にせずぺろっといける。さっぱりしてて、きんと冷やした吟醸酒にぴったり。私はちょっと辛子を利かせた酢味噌につけて食べる。
旦那は下に氷を敷かせた。いい工夫だ。確かに氷は解けるが、解ける前にささっと食べられるだけの量が粋なんだと思う。
こういうのを植木屋さんがいちいち感動して飲み食いする。それをうれしそうに見る旦那。いいなあ、ここが『青菜』のハイライトシーン。笑いは少ないが、ここでお客を引き付けておくと後半のドタバタが生きる。
うだるような暑さの中での一服の涼、夏の風情を味わうにはうってつけの噺だな。
六代目春風亭柳橋や五代目柳家小さんなどが得意にした。柳橋先生の大らかさ、小さんの恬淡な味、どちらも捨てがたい。
個人的には七代目柳橋の『青菜』が思い出深い。柏枝から柳橋先生の後を継いだ人。元は三代目桂三木助の弟子だった。柳橋の謡い調子、三木助の洒脱が匂い立つ高座だった。若い頃は美男子として人気者だったという。2004年、69歳で死去。この人を寄席で見ておいて、本当によかったと思う。