ページビューの合計

2026年3月14日土曜日

大利根紀行⑤ 銚子観光、旅の終わり

8時30分、チェックアウト。

高山T君のリクエストで、近代歴史建築を見に行くことにする。

旧公正會舘。1926年(大正15年)4月竣工。ヤマサ醤油の15代目当主、濱口儀兵衛が中心となって設立した財団法人公正會によって建設された。ここに夜間中学と図書館が併設されたという。今もこの建物の裏手は図書館になっている。

美しい建物だなあ。すぐ近くには、洒落た橋もあった。

この川の少し上流にはヤマサの工場がある。


ヤマサに行ったら、ヒゲタに寄らねばなるまい。

というので、ヒゲタの工場。

少し遠目だったので拡大してみます。

重厚だねえ。1616年創業。ヤマサの創業は1645年だから、それよりも古い。

ここからは観光だ。銚子といえば犬吠埼。私もしばらく行っていない。

灯台、わりと好きなんだよねえ。


犬吠埼灯台。1874年(明治7年)、イギリス人技師プラントンの設計で作られた。高さ32メートル、煉瓦造りの西洋式灯台である。2020年、国の重要文化財の指定を受けている。

高山T君とともに90段のらせん階段を上る。上に行って、自分が高所恐怖症であることを思い出した。強風もあり、とても長くはいられない。高山T君は山登りが好きで、高い所が好き。彼を置いて、私は下に降りる。

資料館を見物する。



犬吠埼の眺望は素晴らしい。

霧笛舎と灯台。ともに文化財だ。


お次は、やはり高山T君のリクエストで屛風ヶ浦に向かう。

カーナビの言う通り銚子ドーバーラインをひた走って行くと、旭市飯岡に出た。屛風ヶ浦の南端、断崖絶壁の上に飯岡灯台が立っている。

ところが、下に降りる道がない。ここは屛風ヶ浦の上だが、これでは屛風ヶ浦を見ることはできないではないか。

もう一度調べてみると、千葉科学大学マリーナキャンパスの近くに、屛風ヶ浦を望む遊歩道があるらしい。早速、カーナビに入れて、ドーバーラインを10㎞ほど戻る。こっちからの方が道路案内が親切だな。無事、遊歩道近くの駐車場にたどり着く。

屛風ヶ浦。銚子市名洗町から旭市刑部岬まで、約10㎞にわたり40m~50mの断崖が続いている。その絶景は、英仏海峡「ドーバーの白い壁」に匹敵するという。2016年に国の名勝、天然記念物に指定された。




壮観ですなあ。諦めないでよかったよ。

銚子電鉄の終点、外川駅に行く。



ホームには、ヤマサとヒゲタのベンチが仲良く並んでいる。やはり、ここでも両雄は並び立たなければならないのだ。


駅舎ではお土産を売っている。私は銚子電鉄名物「ぬれ煎餅」を購入。高山T君もそれに倣った。

お昼は銚子市街に戻り、銚子らしいものを食べることにしよう。

途中、千人塚の下を通る。1614年10月25日、銚子沖を襲った突風により鹿島灘に出漁中の漁船が遭難した。溺死者は1000人以上に及んだ。その死者を埋葬したのが、千人塚である。当時、利根川の河口は狭く、干満による潮の流れが速かった。銚子沖は「日本三大難所のひとつ」に数えられるほどの難所だったのだ。それが、東北地方から太平洋を南下する船が、いったん那珂湊から涸沼に入り、そこから荷物を陸路で霞ケ浦へ運ぶという、手間のかかるルートを選ばせる原因となった。

ポートタワーのある観光拠点、ウォッセ21に行く。日曜の昼時で、混雑しているのではないかとの懸念はあったが、行ってみるとほどほどの賑わい。車もすぐ止めることができた。

水産卸売センターを見る。スルメイカの一夜干しを土産に買った。

レストランの様子を見るが、「それよりも途中にいい感じの定食屋があったぞ。あそこにしよう」という高山T君の意見を採用。ちょっと戻った利根川沿いの定食屋に入る。先客はひと組。すんなり席に着くことができた。



少し迷ったが、私はメニューの筆頭にある、豚しょうが焼き定食をチョイス。別にイワシの刺身を一人前頼んで二人でつついた。汁はつみれ汁。自家製ではないが、うれしいじゃありませんか。旨し。

腹も膨れた。ここから帰途に就こう。利根川を遡り香取方面に向かう。ドライブのお供はクレイジーキャッツにした。植木等の軽やかな歌声。道端では、こぶしや木蓮が咲き誇る。春が来たんだなあ。

小見川に入る前、東庄町で火の見櫓発見。カメラに収める。


しかし、電柱や電線が邪魔だなあ。佐原の歴史的建造物を撮るのにも、これで苦戦した。高山T君は「無粋な電柱や電線が多い。佐原の街並み地域ぐらい電線を地中化してはどうか」と苦言を呈していた。

香取市を越えて神崎町の酒蔵、仁勇で純米酒を買って、高山T君に進呈。神崎町から利根川を渡る。その後は霞ケ浦西岸を北上する。

前回、高山T君が行きたがっていた、阿見町の予科練祈念館に寄る。ここには、ゼロ戦と人間魚雷回天の実物大模型がある。

「おれの伯父さんは、戦争末期、呉で回天の訓練を受けていたんだ。広島に原爆が落ちた時、伯父は防空壕を出ようとしたところだったが、呼び止められて命拾いをした。回天も破壊され、出撃は取りやめになったそうだ」と高山T君が言う。

私の伯父はビルマで、母方の祖父はニューギニアで戦死している。私たちの世代は直接戦争は知らないが、そういう形で戦争を知っている。同世代の政治家たちが「9条改正」に前のめりになっているのを見ると、複雑な思いを抱かざるを得ない。

隣接する陸上自衛隊武器学校には、旧海軍の遺構がある。


家に着いたのは16時ちょうど。これから高山T君は筑西の道の駅に行って車中泊し、翌日は平将門関係の史跡を巡るという。

「次は湖国探訪第二弾だな」と高山T君が言った。

そうだな。体が動くうちに色々やろう。再任用は3月で終了だが、二人とも4月からフルタイムで働くことになっている。

達者でな。私は筑西へと向かう高山T君の車を見送った。

0 件のコメント: