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2021年10月7日木曜日

三遊亭圓生と出口一雄

三遊亭圓生の『寄席楽屋帳』という本の中に、出口一雄が関わった「放送専属」についての記述があるので、紹介したい。

 

戦前から放送局はNHKだけだったが、戦後になって民間放送局ができた。その先駆けのひとつが、出口が勤めたKR(ラジオ東京)だった。そこに落語家も出演することになるのだが、民放はスポンサーがつくので、NHKよりも放送料がよけい取れることになる。当時、落語一席四千円で多くの落語家が出演した。

しかし、圓生は「はじめに安い給金で出てしまえば、今にちゃんとしたことになっても、先ィ行ってなかなか、倍にしてくれったってそうはいかない」との考えから、しばらく出演は見合わせた。合理主義者、圓生の面目躍如といったところだ。同じように出なかったのが、黒門町、八代目桂文楽。後に文楽はTBSのことを「うちの会社」と言うことになるのだから面白い。

そのうちに民放がさかんになり、あちこちで局ができる。圓生もラジオ東京に出演するようになった。

 

 これはまァ、出口さんという人との、いろいろ相談づくで、

「放送料は、このくらいでいかがでしょう」

 というようなことで、ちゃんと話を決めて、出たわけでございます。

 

専属の話が出たのは昭和二十八年の六月ごろ。圓生はその理由を、「落語ではありませんが、なにかでNHKのほうが、だれそれを専属にしたというようなことがありまして、これと対抗上、KRでもって、落語家の専属ってことを考えたんでしょう」と推測している。

メンバーは桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭圓生、柳家小さん、昔々亭桃太郎の五人。圓生が桃太郎を指して「妙なとりあわせですね」と言ったところ、出口は「桃太郎という人は、噺は新作だし、色あいが全く違うが、このなかで、司会者というような役目をさせる便宜上、この人も入れて、五人を専属にしたいから、あなたも是非なってくれろ」と答えたという。

そして、七月に契約を結ぶからそれまでは他局には秘密にしてもらいたいが、それまでは他の仕事を受けてもいい、ということになった。調印は「七月の、五、六日のころ」。華々しく発表をしたわけではない。これ以降、NHKなどで圓生や小さんから出演を断られ、五人の専属契約が発覚した。当然、NHKを始め他局には衝撃が走った。

 

 だけども、出口さんの言うには、当時はまだ、金馬という人があり、柳橋とか、圓歌という人もいた。ここいらは押さえなかったてえのは、そうまでして、詰めちまうと、ほかのところも困っちまって、気の毒だから、この五人だけにしたんだというわけで・・・。

 

 その後、NHKは春風亭柳橋、桂三木助、文化放送は三笑亭可楽、三遊亭百生などを専属にする。ニッポン放送は古今亭志ん生を引き抜いた。

出口はその補充に、春風亭柳好、林家正蔵、三枡家小勝を入れ、柳好の死後は三遊亭圓遊を入れた。

専属契約後も圓生にはNHKから何度も出演依頼が来た。圓生にもNHKに出たいという気持ちがある。そこで圓生は出口と専属契約について話をした。

圓生は解約を申し出たが、出口は「専属は続けてほしい」と言う。「専属のままでNHKにも出演してもいい」とまで言った。しかし、圓生は、他の契約者と不公平になってはいけないので、重ねて解約を主張した。結局、専属料を減額し、その代わりNHKだけは出てもいい、ということになった。そこで、圓生のみ、昭和三十四年六月から、NHKTBSと両方に出演することができるようになった。

 

 KRとのはじめの契約では、この契約は永久にずッと継続していくんだという約束でしたけれども、そんなこといったって、上の人がいなくなったりして、だんだん内容も変わってきまして、とうとう昭和四十三年六月には、TBSの専属というのも、なくなってしまいました。

 

昭和四十三年当時、出口一雄、六十一歳。すでに定年退職し、デグチプロ社長として芸人たちのマネジメントをしていた。圓生の言う「上の人がいなくなったりして」というのは出口のことを指すのだろう。あの専属契約はやはり出口とともにあったのだ。

 

圓生について、出口の姪、Suziさんはこう言っている。

 

「伯父は、圓生さんとは深く話す間柄だったのかなあ? って感じです。

伯父とは生き方の違う人だったし。

圓生さんは、背の高いすらりとした色男で、若い時はさぞ美男子だったと想像しますね。

背広の日は、靴はコードバンのピカピカに磨いたのを履いていて、

「コードバンだよ。¥***だよ。気を付けて扱ってよ」なんて弟子に言ってましたね。

金額までを言うので、「みみっちいよなあ」なんて伯父は笑って言ってました。

「圓生さんの長女は、美人だぞ~~、親父の圓生がいい男だからなあ」そんな言葉を思い出します。

圓生さんはきれい好きで、少々神経質。

常日頃から、高座で話をしていても、

襟をいつも気にして、片手でいつも何となく整える癖のあったのだけはよく覚えています。

残っている録画をよく見てください。

ま、とっさに気の付いたのはこれくらいです。

子供でしたからねえ、そう覚えちゃいません」

 

ちょっとした挿話だが、圓生という人が出ていて面白い。

 

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