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2022年3月31日木曜日

麵味亭の昼食

大洗、麺味亭の昼食。

涸沼湖畔にある知る人ぞ知る名店。といっても気取ったところはまるでない。日々常連さんが 集まる、長年地元の人々に愛されてきた店だ。


まずはチャーハン、600円。しっとり系。旨いんだ、これが。



お次はレバニラ炒めライス。これが750円でっせ。

これに、たくあんが付く。

このアップ、旨そうだよねえ。

ここは、また味噌ラーメンが絶品。以前載せた写真だけど、もう一度。


一見怖そうだけど、実は気さくで優しい親父さんが一人で切り盛りしております。

店構えはこんな感じ。シブいでしょ?

これは夏の頃ですね。


2022年3月30日水曜日

柳屋食堂の昼食

大洗、柳屋食堂の昼食。


まずは焼肉丼、800円。



焼肉定食が1300円だから、ずいぶんお得。旨し。


今日はラーメン・チャーハンのセットが、なんと800円の日。店に入るまでは蕎麦にしようかなあと思っていたのだが、思わず頼んでしまう。

まずはチャーハンが到着。


 しっとり系の王道チャーハン。紅しょうががうれしい。

そして間もなくラーメン登場。


これもまた王道の醤油ラーメン。セットで、この値段で、チャーシューも入っておりますぜ。

全景がこちら。


チャーハン、ちょっと食っちゃったけど、美しい構図だねえ。旨し、でありました。

2022年3月27日日曜日

3回目のワクチン接種

昨日は、福の家一門の「美浦落語会」に出演。

今年から千葉県の神崎から拠点を移したが、まん延防止等重点措置のためにお客の前で演るのは延び延びになっていた。この度の解除を受けてやっと開催の運びとなったのである。

大入りで、よく聴いて反応をくださるお客様で、皆張り切って演じておりました。

夜は落語仲間にもらった南極の氷で、アイリッシュウィスキーのオン・ザ・ロック。旨し。




今日の日記。

朝、マフィン、コーンスープ。

散歩がてら床屋に行く。すっかり春だねえ。




子どもたちと本屋に行く。『芸術新潮』鏑木清方特集号を買う。

昼は妻が作ったレタス炒飯。旨し。

午後は、地区の生涯学習センターで新型コロナウィルスの3回目ワクチン接種を受ける。最初の2回はファイザーで、今回はモデルナ。

夕食は白菜と豚バラのミルフィーユ鍋、シューマイで御飯。妻の「今日はお酒飲むのやめたら」という忠告に従う。

今のところ、腕がちょっと痛いぐらいで、ひどい副反応はない。

2022年3月24日木曜日

笠間へ行く

朝、御飯、味噌汁、ベーコンエッグ、納豆。

今日は休日出勤の代休。妻子を連れて笠間に行く。

まずは日動美術館。企画展は「猫まみれⅡ」。猫好きの私のために、妻子が行こうと言ってくれた。ありがとう。


館内には撮影可の絵もあった。

その後、笠間稲荷にお参り。お昼を参道の柏家で食べる。私は、けんちんそばにする。旨し。





柏家。そばは手打ち。


撮影禁止だったけど、有名人の絵馬の展示もあって面白かったよ。

石切山脈へ向かう。稲田石の採掘場を一般公開、絶景の地としてちょっとしたブームになっている。敷地内のカフェではモンブランが名物。今回、やっと食べることができた。


見学場所には石のオブジェが並んでいる。

こうやって目の前で作ってくれる。

仕上げは道の駅。しいたけを買って帰る。

夕食は鮭の切身、しいたけを焼いたの、レタスとベーコンの炒めもので燗酒。

食後にアイリッシュウィスキーを飲む。



ここんとこ、寒い日が続く。一昨日は雪まで降った。




「なごり雪」なんだろうね。春が来て君はきれいになった。

2022年3月21日月曜日

You Must Believe In Spring

朝、フレンチトースト、スープ、チキンナゲット。

家のお墓にお参りした後、妻の実家のお墓参りに行く。

風は少し冷たいが、よく晴れて気持ちがいい。


お墓の帰りに壺焼き芋のお店が開いていたので買う。1㎏、1000円。妻の実家に戻って、皆で食べる。旨し。



お昼は千成亭に行こうという話になったが、あいにく定休日。ハナミズキ通りのココ壱番屋に行く。私はチキンカツカレーをご馳走になる。


帰りに、土浦の妻のおばあちゃんのお墓にお参り。小松屋で佃煮を買う。


3時頃帰る。夕方ビール。

夕食は、お義母さんの鶏レバーの煮たの、カスミで買って来た揚げ出し豆腐、海老のケチャップ炒め、鯖の水煮オニオンスライス載せで燗酒。旨し。

食後に妻と赤ワイン。アイリッシュウィスキーを1杯だけ。



春だねえ。鶯が鳴き始めた。梅もそろそろ終わりかねえ。



庭の水仙も咲いた。



今日はコーヒーを淹れながら、ビル・エヴァンスの『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』を聴いた。このアルバムはエヴァンスの死後、追悼盤としてリリースされた。亡き妻ヘレンに捧げた「Bマイナー・ワルツ」、亡き兄ハリーに捧げた「ウィ・ウィル・ミート・アゲイン」など、切なく美しいナンバーが収録されている。エヴァンスのトリオといえば、初期の、ベース、スコット・ラファロ、ドラム、ポール・モチアンが決定版なのだろうが、この、ベース、エリック・ゴメス、ドラム、エリオット・ジグモンドの演奏も素晴らしいと思う。

世界はこんなだが、春は必ずやって来る。


2022年3月20日日曜日

ぬる燗にふきのとう味噌

朝、御飯、味噌汁、スクランブルエッグ、ウィンナーソーセージ、鮭フレーク、昆布とおかかの佃煮。

今日はみんなお休み。息子たちとコーヒーを淹れて飲む。

古い『現代詩手帖』を読みながら、ベニー・グッドマンのレコードを聴く。春の日のベニー・グッドマンはいい。

お彼岸の墓参りに行く。陽射しがあって暖かい。



昼はスパゲティーボロネーゼ。

南向きの部屋でだらだらする。久し振りに細かい絵を描く。


夕方、妻と「お疲れ生」のビールをコップ1杯ずつ。

夕食は父が買って来た刺身と鶏の唐揚げで燗酒。酒は剣菱。出口一雄の酒だ。ふきのとう味噌を舐めながら飲む。旨し。食後は妻と赤ワインを飲む。

寝しなにボウモア。


先日の地震、ここでは震度5弱だった。母屋の食器棚のコップが割れた。その後も岩手で震度5弱の地震が起きた。海の向こうでは戦争が続く。かの大国では情報が遮断され言論が統制される。我が県では新型コロナウィルス感染者数が過去最高を更新する中、まん延防止等重点措置が解除される。オブラディオブラダ、人生は続く。

2022年3月19日土曜日

『寄席育ち』を読んだ

今日やっと六代目三遊亭圓生の『寄席育ち』を読み終えた。買ってから随分時間がかかったが、それだけボリュームがあったということなんだろう。

本来ならもっと早く読んでおくべきだった。だけど青蛙房版は値段も高いし場所も取る。去年岩波から文庫本が出て、遅ればせながら読んでみた。

私自身、圓生があまり好きではなかったということも、今まで手が出なかった理由のひとつに挙げられる。もちろん、芸は凄いと思う。ただ、本などで知るその人物像に、どうしても好感を持てなかったのだ。

で、読んで思った。やっぱり圓生は凄いや。芸に対する見識、姿勢、審美眼、分析力、マジで敬服したよ。何より凄いのが記憶力。明治の東京を語る資料として、まさに第一級。しかも圓生は記憶だけに頼らず、文献を読み込んできちんと裏付けを取ってくる。対象への向かい方が至極知的なのだ。けっこう古い時代の落語についての本を読んできたが、この本を元ネタにしているのも多いんじゃないかな。

また、意外にここでの圓生が謙虚なのだ。この本が出たのが昭和40年(1965年)。文楽も志ん生も、芸術協会では春風亭柳橋先生もいたからね、それも無理ないか。特に黒門町には首根っこを押えられていたからなあ。圓生が大名人として振る舞い出したのは、文楽が死んで天皇の御前口演をしてからだった。(彦六の正蔵は「御前口演後、あなたは変わった」と著書で言っている)

ただ芸人評で目についたのが、やたら「この人は上手い」とか「下手だ」とか言うところ。明らかに芸の巧拙が判断の基準になっている。この辺りは立川談志に通じる(談志はすぐに「俺の方が上手い」となるけど)。私は、立川談志は三遊亭圓生みたいになりたかったのだ、と思っている。大西信行が『落語無頼語録』の中で、談志はうまいと言われたい落語家だ、と言っているのは、的を射ていると思う。談志は権力志向が強かったが、圓生もまた芸術院会員になりたがり、圓朝襲名も望んだというから、その点でも似ているな。


私の上の世代は圓生ファンが多かった。それはそうだろう。文楽、志ん生が老いた昭和40年代から昭和54年に亡くなるまで少しも衰えず、ずーっと最高峰にいたのだ。至高の人情噺に加え、滑稽噺で笑いも取れ、唄も歌える。守備範囲の広さとクオリティの高さ併せ持つ、ミスター・パーフェクト。当時の落語愛好者の多くが、その芸に魅了された。

でも、私の同年代では、それほど人気はなかったな。圓生ファンは1学年上の美恋さんぐらい。皆、「くさい」と言って敬遠していた。「昔からこの、」とか「てへっ」とか「・・・でげす」とか、あの謡い調子とかが、若い世代には苦手だったのだろう。

当時は古今亭志ん朝と立川談志が人気を二分していたね(圓楽はうちの落研では評価が低かった)。桂枝雀にも熱心なファンがいた。とんがった奴は談志や川戸貞吉経由で古今亭志ん生に行っていたな。ちょっと下の代には柳家小三治がきていた。

シブい趣味の人もいて、3つ上の二代目紫雀さんは十代目金原亭馬生、1つ上の三代目紫雀さんは八代目林家正蔵、3つ上の小柳さんが川柳川柳、同期の八海くんは八代目三笑亭可楽、1学年つ下の風公くんは三代目桂三木助のファンだった。

黒門町は五代目一生楽さんと私か。そして一生楽さんも私も、当時は談志ファンでもあった。文楽と談志にはあまり芸の上で共通点はないんだけどな。どうしてだろう。


今日からは『明治の寄席芸人』を読み始めた。ゆっくり大切に読んでいこうと思う。


付記。談志と圓生が権力志向が強かったところに共通点がある、と書いたけど、談志の方は国会議員になったり協会の会長の座を欲しがったりと、まさに権力志向だけど、圓生の場合は無邪気に権威を欲しがったのだというような気がしてきた。やっぱり微妙に違うかなあ。

 

2022年3月13日日曜日

春が来た

週末はぐっと暖かくなった。梅の花も満開。


今日は鉾田にケーキを買いに行こうという話になる。

ホワイトデーは明日なのだが、帰り道にケーキ屋さんが少なく、買って来られる自信がなかったので、今日ということにしたのだ。せっかくだからお昼はコンビニで買って海でも見ながら食べることにしよう。

私と息子たちの男子チームはセイコーマートで昼食を買う。息子たちは北海道名物ザンギ、私はパンとおにぎりをチョイス。妻はローソンでサンドイッチを買う。ちなみに3月13日は”サンドイッチの日“とのこと。

「日本のゴールドコースト」を自称する大竹海岸へ。駐車場で海を見ながら食べるお昼は旨い。



 派手な海の家があった。写欲がそそられる。



帰りに鉾田のラ・プロバンスでケーキを買う。妻は苺のタルトを選ぶ。震災の年も、私はラ・プロバンスでホワイトデーのケーキを買った。この店はあの震災三日後にケーキを焼いたのだ。駐車場は陥没し、前の道路は隆起した状況で。あのケーキは忘れられない。だから私はホワイトデーのケーキは、出来る限りこの店で買う。

帰って、おやつに皆でケーキを食べる。旨し。

夕方、誕生日に息子が買ってくれたハートランドビールを妻と飲む。

夕食は寄せ鍋、春巻、塩辛、キムチで燗酒。食後に妻と赤ワイン、アイリッシュウィスキー。


晩飯前、ビールの軽い酔いの中、長男が弾くたどたどしい「トロイメライ」を聞きながら思った。

戦争よ、早く終われ。ロシア兵よ武器を収め故郷へ帰れ。

私は武器を持って前線には行きたくないビビりだが、いや、だからこそ戦争に反対する。私は外交手段に戦争を使わないと明言する、日本国憲法を強く支持する。

勇ましい人たちは「憲法第9条支持者は敵が攻めてきたら前線に行って念を送れ」とか言うけれど、いやいやあなたこそ前線に行ってはどうかと思ってしまう。確かに私は今安全な場所にいるが、我が国で勇ましいことを言っている人も安全な場所にいることに変わりはない。同じ安全な場所にいるのなら、人を戦争に駆り立てるよりも戦争に反対する方が罪はないだろう。

私は1920年代のドイツにいたとしたらナチスには投票しない。ロシア国民だったとしたらプーチンには投票しない。ことさら反政府運動に身を投じようとはしないかもしれないが、そちら側にはいかない。だから、この状況に乗じて「我が国も核兵器を持て」とか「敵基地先制攻撃をできるようにしよう」とか、「憲法を改正して戦争をできる国にしよう」とか言っている政党には投票しない。

私は、私のために、家族のために、若い人たちのために、この国をかつての大日本帝国のようにはしたくない。


2022年3月12日土曜日

『銀河鉄道の夜』、テクストの変遷

 先日、仕事の合間に職場で宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の話になった。

ふと、この人たちの読んだ『銀河鉄道の夜』と私の読んだそれとは違うのだろうな、と思いついた。

 

『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の代表作である、とは誰もが認めるところだろう。マンガにもなったし映画にもなった。ジョバンニという少年が、親友のカムパネルラと銀河を走る列車に乗って旅をする。壮大なスケールと幻想的な描写、「ほんとうのさいわい」をひたむきに求める少年たちの姿が胸を打つ、日本文学の金字塔の一つと言ってもいい作品だと思う。

しかし、この作品は作者の死後に発見され、しかも晩年まで繰り返し推敲が続けられていた未完成作品である。決定稿というのは、正確な意味では存在しない。流通しているテクストも、時代によって大きく変遷を遂げている。

ちくま文庫の『宮沢賢治全集7』には、第一次稿、第二次稿、第三次稿、第四次稿の四つのバージョンが収められている。稿が重なるにしたがって、大幅に加筆され物語も厚みを増してゆく。もちろん、流通しているテクストは、もっとも新しい第四次稿をベースにしている。

 

私が読んだのは、昭和53年(1978年)版の新潮文庫。第四次稿で付け加えられた「カムパネルラの死に遭う」場面の前に、第三次稿のラストシーン、銀河鉄道の旅がブルカロニ博士のジョバンニを使った実験であったことが明かされる場面が残されたバージョンである。高校生の私はこの中の「信仰も化学と同じになる」という台詞に心臓を撃ち抜かれたような感動を覚えた。

やがて研究が進み、ブルカロニ博士の場面をばっさり削除したのが、作者宮沢賢治が最終的に意図したものだということが分かる。昭和55年(1980年)の『新修宮沢賢治全集』(筑摩書房)に収められた『銀河鉄道の夜』ではブルカロニ博士が登場する場面は完全に消え、それが現在流通しているものの底本になっている。

宇宙の「石炭袋」(ブラックホールのことか)を見ているうちにカムパネルラが姿を消し、ジョバンニが悲痛な叫びをあげるシーンから、ジョバンニが目を覚まして町に戻りカムパネルラの死を知る、というラストへつながるのが、現在のバージョンである。「銀河鉄道の旅が博士の実験だった」という博士の手のひらの上で踊らされていた感がある話から、もうひとつ物語は大きく深くなった。

 

職場の三十代と二十代の同僚は、予想した通り、この改編を知らなかった。この人たちは中高生の頃に読んだというが、口々にこう言った。

「カムパネルラがいきなり消えて、謎が謎のままいきなり放り出された感じがしたんですよね」

「『銀河鉄道の夜』は何だか訳のわからない物語だという印象があります」

そして、私が持っているバージョンを読んで、「やっと腑に落ちました」と言った。

 

翌日、二十代の同僚が「こんなバージョンがありました」と言って、古い本を持って来た。この人の祖父が息子(つまりこの人の父上ね)のために買ったという『新日本少年少女文学全集38・続宮沢賢治集』(ポプラ社)である。奥付を見ると「昭和40年(1965年)510日刊」とある。

これが珍品。読むと、ジョバンニが銀河鉄道に乗る直前の「天気綸の柱」の巻の末尾に第四次稿のラスト「カムパネルラの死に遭う」話が挿入されているのである。しかもその後に読んだことのない文章が付け加えられている。ちくま文庫の全集を見たが、見つけられなかった。それは、ジョバンニが町から再び天気綸の柱の所に戻って来て、汽車の音を聞き、と同時にセロのような声(ブルカロニ博士の声であろう)が歌う星めぐりの歌にうっとりと聞き入るという場面であった。

つまり、ジョバンニは町でザネリたちに「ジョバンニ、お父さんからラッコの上着が来るよ」とからかわれて丘の上の天気綸の柱の所へ行き、いつの間にか眠ってしまい、目を覚まして町へ戻る途中、川原でカムパネルラの死を知り町へと帰るが、再び天気綸の柱に戻って銀河鉄道に乗る、という筋立てになるのだ。この構成の意図は何だろう。読者にカムパネルラが死んだことを知らせた上で銀河鉄道の旅を始めることにより、この列車が死者を乗せる列車だということを明示しようというのだろうか。

ちなみにこのバージョンは第三次稿のラストシーンで終わる。

 

もやもやしながら、もう一度、私が持っている新潮文庫を読んでいたら、この辺りの経緯について、巽聖歌の「解説」に書いてあった。

昭和53年の新潮文庫版は、昭和43年(1968年)版で改訂されたもので、「天気綸の柱」の末尾にあった「カムパネルラの死に遭う」場面をラストに移し、その後に続いていたジョバンニが再び天気綸の柱に行く場面を削除したというのである。(なお、この改編には賢治の実弟清六も加わっている)

ということは、昭和43年までは、あのポプラ社刊のバージョンが一般に流通していた『銀河鉄道の夜』のテクストだったということになる。それから私が読んだバージョンに移り、1980年代からは現在のバージョンなったということか。

 

それにしても、昭和43年までの、あのつじつまの合わないストーリーはどうして生まれたのだろう。ちくま文庫の「宮沢賢治全集7」を読んでいたら、あっさり答えは出た。

天沢退次郎が「後記」の「本文について」でこう書いている。

 

 なお、昭和三一年筑摩版全集まで、「天気綸の柱」の章のあとに誤って嵌め込まれていた“カムパネルラの死に遭う”黒インク稿五枚のあとに、次の文が付け加えられていた。

(※前述のジョバンニが再び天気綸の柱に向かう場面の文章、略す)

 右の箇所の原稿は現在所在不明であるが、宮沢清六氏の記憶によれば作者により削除の意志を示す斜線が付されていたという。

 

なるほど、あのシーンは誤って挿入されていたのか。膨大な未整理の原稿をまとめていく過程で起こったことだから、それも仕方のないことだったろう。

しかし、読む年代によってこれほど印象が違う文学作品も他にはないだろうな。これだけ多様なバージョンが存在するのも、『銀河鉄道の夜』が未完成作品だからこそ。現在バージョンが最も多様な読みができるテクストになっているけれど、私の世代が読んだひとつ前のバージョンも捨てがたい。興味がある若い方はこちらも是非読んでいただきたい。(ウィキペディアによると岩波文庫で読めるそうです)

 

2022年3月9日水曜日

なかむらのラーメン

昨夜、野暮用で土浦を車で走っていた。

そろそろ晩飯にしようと思って店を探していたら、土浦郵便局向かいの「なかむら」がやっていたので、入ってみる。

カウンターだけの中華屋。昔からある古い店だ。長年続いている店にハズレはない。

昔ながらの中華そばが食べたかったので、ラーメンを食べる。500円。

スープの色は濃いけど、わりとあっさりしたお味。旨し。

お店の外観。昼間の写真ですが、なかなか趣があるでしょ?



ラーメンは、惜しまれつつ閉店した豊崎自転車ラーメン部に似ているような気がした。この感じが昔の土浦風なのかしら。

ちなみに、こちらが豊崎自転車のラーメンです。


メニューを見たら、ずいぶん種類がある。中華風おかゆなんかもあって、見ているだけで楽しい。色々冒険してみたくなりました。


追記。食べログ見たら、肉揚げが名物とのこと。そういえば、後から入って来たお客さんも頼んでいたようだ。次は食べてみようかな。 

 

2022年3月6日日曜日

稲敷ドライブ

 朝、マフィン、スープ。

ここのところ、休みもずーっと家にいたので、今日はちょっとドライブでもしようと、妻子を連れて出掛ける。

よく晴れてはいるが風が強い。霞ケ浦沿いを南下して行く。

稲敷市の大杉神社にお参り。日がいいのか、赤ちゃんを連れたお宮参りの人が多かった。

色鮮やかな社殿が美しい。





彫刻がまた楽しい。日光の東照宮みたい。



どうやら、今年、私は後厄らしい。境内のお菓子屋に、厄除けもなかというのがあったので、妻が買ってくれる。ついでにパイ大福も買う。

お昼はコンビニで買って、浮島で霞ケ浦を眺めながら車の中で食べる。私はハムのきゅうりのサンドイッチ、カレーパン。デザートにパイ大福。旨し。風が強く、あまり外には出られなかった。



2時過ぎには帰る。

夕食はお好み焼きで酒。食後に妻と赤ワイン。