先日、仕事の合間に職場で宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の話になった。
ふと、この人たちの読んだ『銀河鉄道の夜』と私の読んだそれとは違うのだろうな、と思いついた。
『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の代表作である、とは誰もが認めるところだろう。マンガにもなったし映画にもなった。ジョバンニという少年が、親友のカムパネルラと銀河を走る列車に乗って旅をする。壮大なスケールと幻想的な描写、「ほんとうのさいわい」をひたむきに求める少年たちの姿が胸を打つ、日本文学の金字塔の一つと言ってもいい作品だと思う。
しかし、この作品は作者の死後に発見され、しかも晩年まで繰り返し推敲が続けられていた未完成作品である。決定稿というのは、正確な意味では存在しない。流通しているテクストも、時代によって大きく変遷を遂げている。
ちくま文庫の『宮沢賢治全集7』には、第一次稿、第二次稿、第三次稿、第四次稿の四つのバージョンが収められている。稿が重なるにしたがって、大幅に加筆され物語も厚みを増してゆく。もちろん、流通しているテクストは、もっとも新しい第四次稿をベースにしている。
私が読んだのは、昭和53年(1978年)版の新潮文庫。第四次稿で付け加えられた「カムパネルラの死に遭う」場面の前に、第三次稿のラストシーン、銀河鉄道の旅がブルカロニ博士のジョバンニを使った実験であったことが明かされる場面が残されたバージョンである。高校生の私はこの中の「信仰も化学と同じになる」という台詞に心臓を撃ち抜かれたような感動を覚えた。
やがて研究が進み、ブルカロニ博士の場面をばっさり削除したのが、作者宮沢賢治が最終的に意図したものだということが分かる。昭和55年(1980年)の『新修宮沢賢治全集』(筑摩書房)に収められた『銀河鉄道の夜』ではブルカロニ博士が登場する場面は完全に消え、それが現在流通しているものの底本になっている。
宇宙の「石炭袋」(ブラックホールのことか)を見ているうちにカムパネルラが姿を消し、ジョバンニが悲痛な叫びをあげるシーンから、ジョバンニが目を覚まして町に戻りカムパネルラの死を知る、というラストへつながるのが、現在のバージョンである。「銀河鉄道の旅が博士の実験だった」という博士の手のひらの上で踊らされていた感がある話から、もうひとつ物語は大きく深くなった。
職場の三十代と二十代の同僚は、予想した通り、この改編を知らなかった。この人たちは中高生の頃に読んだというが、口々にこう言った。
「カムパネルラがいきなり消えて、謎が謎のままいきなり放り出された感じがしたんですよね」
「『銀河鉄道の夜』は何だか訳のわからない物語だという印象があります」
そして、私が持っているバージョンを読んで、「やっと腑に落ちました」と言った。
翌日、二十代の同僚が「こんなバージョンがありました」と言って、古い本を持って来た。この人の祖父が息子(つまりこの人の父上ね)のために買ったという『新日本少年少女文学全集38・続宮沢賢治集』(ポプラ社)である。奥付を見ると「昭和40年(1965年)5月10日刊」とある。
これが珍品。読むと、ジョバンニが銀河鉄道に乗る直前の「天気綸の柱」の巻の末尾に第四次稿のラスト「カムパネルラの死に遭う」話が挿入されているのである。しかもその後に読んだことのない文章が付け加えられている。ちくま文庫の全集を見たが、見つけられなかった。それは、ジョバンニが町から再び天気綸の柱の所に戻って来て、汽車の音を聞き、と同時にセロのような声(ブルカロニ博士の声であろう)が歌う星めぐりの歌にうっとりと聞き入るという場面であった。
つまり、ジョバンニは町でザネリたちに「ジョバンニ、お父さんからラッコの上着が来るよ」とからかわれて丘の上の天気綸の柱の所へ行き、いつの間にか眠ってしまい、目を覚まして町へ戻る途中、川原でカムパネルラの死を知り町へと帰るが、再び天気綸の柱に戻って銀河鉄道に乗る、という筋立てになるのだ。この構成の意図は何だろう。読者にカムパネルラが死んだことを知らせた上で銀河鉄道の旅を始めることにより、この列車が死者を乗せる列車だということを明示しようというのだろうか。
ちなみにこのバージョンは第三次稿のラストシーンで終わる。
もやもやしながら、もう一度、私が持っている新潮文庫を読んでいたら、この辺りの経緯について、巽聖歌の「解説」に書いてあった。
昭和53年の新潮文庫版は、昭和43年(1968年)版で改訂されたもので、「天気綸の柱」の末尾にあった「カムパネルラの死に遭う」場面をラストに移し、その後に続いていたジョバンニが再び天気綸の柱に行く場面を削除したというのである。(なお、この改編には賢治の実弟清六も加わっている)
ということは、昭和43年までは、あのポプラ社刊のバージョンが一般に流通していた『銀河鉄道の夜』のテクストだったということになる。それから私が読んだバージョンに移り、1980年代からは現在のバージョンなったということか。
それにしても、昭和43年までの、あのつじつまの合わないストーリーはどうして生まれたのだろう。ちくま文庫の「宮沢賢治全集7」を読んでいたら、あっさり答えは出た。
天沢退次郎が「後記」の「本文について」でこう書いている。
なお、昭和三一年筑摩版全集まで、「天気綸の柱」の章のあとに誤って嵌め込まれていた“カムパネルラの死に遭う”黒インク稿五枚のあとに、次の文が付け加えられていた。
(※前述のジョバンニが再び天気綸の柱に向かう場面の文章、略す)
右の箇所の原稿は現在所在不明であるが、宮沢清六氏の記憶によれば作者により削除の意志を示す斜線が付されていたという。
なるほど、あのシーンは誤って挿入されていたのか。膨大な未整理の原稿をまとめていく過程で起こったことだから、それも仕方のないことだったろう。
しかし、読む年代によってこれほど印象が違う文学作品も他にはないだろうな。これだけ多様なバージョンが存在するのも、『銀河鉄道の夜』が未完成作品だからこそ。現在バージョンが最も多様な読みができるテクストになっているけれど、私の世代が読んだひとつ前のバージョンも捨てがたい。興味がある若い方はこちらも是非読んでいただきたい。(ウィキペディアによると岩波文庫で読めるそうです)