先日、大学のゼミ卒業旅行の写真を入手した。高山T君がネガを発掘し、送ってくれたのだ。
この旅行の話は、ゼミ長だったS君が小説にして『文芸北見』に発表した。私も大分薄れた記憶を頼りに、卒業旅行を振り返ってみよう。
卒業が決まったのは2月の半ば、そこから1ヶ月以上の春休みがある。そこで私たち山の上大学(仮称)Hゼミの4年生男子4人は、卒業旅行と洒落込むことにした。
S君が、箱根は芦之湯のKという旅館を見つけて2泊の予約を取ってくれた。Kは志賀直哉の小説にも出てくる老舗だという。日本の近代文学を専攻していた我々は、執筆のため温泉旅館に向かう文豪気分で出かけたのだ。
当日、私は川崎から東海道線に乗って小田原で下りた。S君、高山T君、同郷のI君は大学の近くのアパートに住んでいたので小田急線でやって来た。K君は家が平塚だから、私と同じ東海道線で来たと思う。
小田原からはバスで芦之湯に向かった。小田原から箱根と言えば、正月にやる関東大学対抗箱根駅伝のコースである。湯元から塔ノ沢、宮ノ下から小涌谷を過ぎ、箱根の外輪山、国道1号線の最高点が芦之湯だ。Kは江戸時代中期の創業。いかにも老舗といった建物は古色蒼然としてただならぬ威容を誇っていた。
チェックインは夕方で、私たちは一息つくとすぐ湯へ向かった。増築を繰り返したらしく、浴場までの道のりは複雑怪奇を極めた。あっちへ曲がりこっちへ曲がりしてようやくたどり着いたそこは、地底のような暗がりだった。湯はまぎれもなく温泉で、客は私たちだけだった。
またもや、あっち曲がりこっち曲がりして部屋に戻った。胎内めぐりをしてきたような不思議な感覚が残った。
風呂から上がればビールである。何はなくともビールである。そこから夕食が運ばれ、宴会へとなだれ込む。
と、思っていたのだが、今回写真を見ていて気がついた。卓上に酒が並んでいない。どうやら私たちは夕食は夕食できちんと飯を食い、その後宴会をしたようだ。
きれいに片づけられた卓上には、ウィスキーのボトルが二本載っている。ひとつはサントリーレッドで、もうひとつはハイニッカだ。サントリーレッドは、私が川崎のアパートで愛飲していた。多分、私が持って来たものだろう。ハイニッカを持って来たのはS君だ。北海道出身の彼にはニッカウヰスキーに対する深い愛情がある。湯のみで飲んでいる所を見ると、お湯割りにして飲んでいるらしい。ハイニッカは、もはや空で、サントリーレッドも残り5分の1ほどになっている。皆、陽気な笑顔で写真に写っている。常識人で、いつもは分別くさいⅠ君も、子どものようにはしゃいでいる。
翌日は、同じゼミの女子2名、KさんとNさんが合流して付近を観光した。二人とも文学研究会で、ゼミ長のS君とはサークル仲間でもあった。
まずは宿の近くにある精進池を見、曽我兄弟の墓に参る。六道地蔵の前で記念写真を撮った。高山T君が撮った写真には全員が写っているものはない。誰かしらがシャッターを押す係になっていたのだ。ここではI君がシャッターを押した。しかし、I君は皆に「地蔵」と呼ばれていたから、六道地蔵を彼に見立てれば、これが全員集合の写真ともいえる。
それからバスに乗り、芦ノ湖の湖畔に出た。ロープウェイに乗って駒ヶ岳の山頂に上る。ゴンドラの中でNさんが珍しくはしゃいで、バスガイドの真似をした。「深窓の令嬢」雰囲気を持つ彼女の突然の行動に、我々は驚きそして朗らかに笑った。皆、どこか高揚していた。
駒ヶ岳山頂は寒かった。雪が積もり木の枝には大きなつららが下がっていた。眼下には芦ノ湖が見え、外輪山の向こうに相模湾が広がっていた。S君の小説『卒業旅行』では、主人公がほのかに想いを寄せる人と会話を交わす名場面が描かれる。彼女は同じサークルの男と付き合っているらしい。胸の内に寂しさを抱えながら二人を祝福しようとする主人公が切ない。
宿の前までバスで戻った。私たち男4人はバスを降り、女子2名はそのまま小田原に向かった。バスのいちばん後ろの座席からKさんとNさんは笑いながら手を振った。私たちはバスが見えなくなるまで、それを見送った。
どうやら、その後私たちは宿の座敷で「文豪シリーズ」の写真を撮ったらしい。S君は芥川龍之介、私は太宰治に扮し、褞袍姿で写真を撮ってもらった。高山T君が小林秀雄との論争に負けて駄々をこねる中原中也を演じ、I君は(S君の小説によると)つけ髭をつけて森鴎外になった。K君は文豪になるのは辞退したが、私が押して頼むと毛布を羽織って「怪人赤マント」に変身した。
この時の写真はS君のカメラで撮ったようだ。今回の高山T君の発掘したネガには残念ながらなかった。S君にも発掘してほしいなあ。
その晩は疲れたのか、飲むことは飲んだがそれほど深酒もせず床に就いた。なぜか夜中に障子か襖が倒れ掛かってきたのを憶えている。
いよいよ最終日、勘定を済ましてバスに乗り、小田原に着いた。まだ名残り惜しかったのだろう、私たちは小田原城を見物することにした。
天守閣に登り、「水のない水族館」と称する水生動物の標本が並ぶ展示室を見、動物園をぶらぶら歩いた。
S君の小説はここで終わる。ラストシーンだけ引用させてもらおう。
良平と児島はしばらく無言でキリンをながめていた。
「暖かくて、晴れた、いい日だね」
「うん。いい日だ」
「こんな日が永遠に続くといいのにね」
良平は児島の横顔を見た。彼は青空を見上げて微笑んでいた。良平も青空を見上げたが、ふりそそぐ陽光が眩しくて、思わず目を細めた。
先日、この写真を見ながら酒を飲んだ。皆、屈託のない顔をして笑っている。楽しかったんだなあ。高山T君とメールをやり取りしていたが、T君も「うん、楽しかった。これから始まる苦労も知らずにいたが、それでいいんだよ」と言っていた。
K君がずーっと笑っていた。K君は卒業後、地元の役所に勤めた。40歳頃、鬱病になった。2年間休職して仕事を辞めた。その後、統合失調症になり大量の薬を処方されるようになった。副作用を抑えるためにまた別の薬が処方された。大量の薬を服用した挙句、とうとう多臓器不全を起こし、2011年4月に亡くなった。享年五十。「こんな日が永遠に続くといいのにね」と彼が本当に言ったかどうかは、私には分からない。あの小田原の青空を、K君が思い出す日はあったのだろうか。
飲みながらK君の笑顔を見ていたら泣けてきた。「いいものをありがとう」とT君にメールを打つと、彼はこう返信してきた。「良かった。こうして、思い出すことが最高の供養だからなあ。誰にとっても、いい夜になるよ。生きている者は、もうしばらく頑張っていこう」。
S君は定年で仕事を辞め、小説を書きながら悠々自適の日々を送っている。I君は茨城から福島へ生活の拠点を移した。私とT君は再任用で働いている。あの頃は想像もしなかった「今」を私たちは生きている。
ああそうだな。生きている者は、もうしばらく頑張っていこう。