前回の記事を書くのに参考にしようと、ネットで「正蔵 襲名問題」で検索したら、林家九蔵襲名問題の記事が続々と出てきた。
笑点メンバーの三遊亭好楽は、もとは八代目正蔵門下で九蔵を名乗っていた。師匠の死後に五代目圓楽門に移り、三遊亭好楽となった。
好楽は、2018年、弟子、好の助の真打昇進に際し、思い入れのある林家九蔵を襲名させようとする。八代目正蔵門下で、同じ笑点メンバーの林家木久扇の了承を得、九蔵襲名を公表し、配り物も用意した。そこで当代正蔵から待ったがかかった。林家を名乗るからには、林家の止め名である正蔵の承認が必要である、ということだ。正蔵及び海老名家との話し合いの結果、結局この襲名は実現しなかった。
八代目正蔵は、自分の名跡が一代限りの借り物であるところから、弟子が真打になる時には林家以外の亭号にした。惣領弟子に五代目春風亭柳朝を襲名させた時には、春風亭の総本山、六代目柳橋にきちんと了解を得ている。そう考えれば、好楽のやり方はいかにも脇が甘い。
この騒動で、彦六の八代目正蔵について、とばっちりのようなとんでもない記事が書かれていたのを見つけた。さすがに落語ファンは相手にしなかっただろうが、これを見つけた若い人に真に受けられても嫌なので、ここできちんと批判させていただく。
これはリアルライブというサイトに載った、「三代目・林家九蔵襲名騒動で噴出した海老名家「積年の怨念」」(週刊実話 2018.3.24)という記事である。
まずは、この記事では、正蔵側が九蔵襲名を許さなかった理由として、次の証言を挙げている。
「好楽の師匠で八代目・林家正蔵を一代限りで襲名した彦六さんへのわだかまりがあるんです」(事情を知る演芸関係者)
ここで言う八代目正蔵襲名のいきさつはこうだ。
「権力志向が強かった彦六さんは、五代目・柳家小さんの名を弟弟子の九代目・柳家小三治に取られたことから、当時、空き名跡だった林家正蔵を一代限りの約束で海老名家から譲ってもらったとの話が伝わっています」(ラジオ落語番組関係者)
さらっと「権力志向が強かった彦六さん」と書いているが、私たちが知る彦六ほど「権力志向」と程遠い人はいなかったと思う。何しろ、六代目圓生に請われるまま、香盤順を譲ったくらい。共産党支持者であったこともよく知られている。
次のエピソードはもっとすごい。
「九代目・正蔵が、懇意にしているビートたけしに、彦六さんが根岸の海老名家に来て、日本刀を突き付けて名跡を迫ったというエピソードを語ったことがある。彦六さんは浅草の稲荷町に住んでいたことで“稲荷町の師匠”として親しまれていましたが、一方で喧嘩っ早いことから“トンガリの師匠”と呼ばれていましたからね。かなり強引だったことは間違いない」(落語雑誌編集者)
実名を出してまことしやかに語っているが、真偽のほどは疑わしい。五代目小さん襲名の話を進めていた、八代目桂文楽を、馬楽だった彦六を贔屓にしていた山春という親分が、日本刀だかピストルだかで脅したという噂はあったが、彦六が海老名家に日本刀持って行ったなどという話は聞いたことがない。
まさか、あの謙虚な九代目が、こんなことを言うとは、にわかには信じられない。
「トンガリ」の解釈も間違っている。あれは「正義感が強く頑固一徹で周囲との摩擦を生みやすい」ということで、ただの「喧嘩っ早い」とは違うのだ。
襲名のいきさつは、前回紹介した『笑伝 林家三平』の記述とまるで違う。同じ海老名家目線であるにも関わらず、である。
「三平さんはテレビで大ブレークして落語界に貢献しましたが、彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、返上したのは三平さんが亡くなった後だった。三平さんの妻、香葉子さんは、そんな彦六さんをいまだ許していないんです」((噺家関係者)
「彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、」はひどいよなあ。
山本進の『図説 落語の歴史』の中のコラムでは「律儀で知られた正蔵は、生前弟子が真打になるとき、必ず林家以外の名跡を継がせることにしていた。また、三平が売り出してからは、何度か正蔵の名前を返そうとしたこともあるらしい」と書いてある。三平は、芸風が違うから、と言ってその申し出を辞退したと言われている。
証言は、皆、見事に「関係者」。名前を出して証言している人は一人もいない。ちょっと、この記事を書いた人と、その関係者を名乗る人、一人一人に会って真偽を確かめたい。もし、これが事実なら、私の中の八代目正蔵、彦六像が根底から覆されてしまうなあ。