今頃の季節だったと思う。大学1年の頃、落研のメンバーで山登りに行ったことがあった。
リーダーは4年の小柳さん。二つ目時代の高座名は雀志(じゃんし)。いい名前だ。名人二代目金瓶梅さんの前名である。真打昇進に伴い初代小柳を襲名され、小柳流家元を名乗られた。だから、私にとって「家元」といえば談志ではない。小柳さんなのである。そして、3年の風扇さん、同級生の酒合丈くんと夕姫さん、私、弥っ太くんもいたような気がする。多分、小柳さんが「山登りに行こうぜえ」と言ってメンバーを集めたのだと思う。
「目指すは奥多摩の棒ヶ峰だ」と小柳さんは言った。「昼飯は何とかするから、水だけは用意しろ」
その日、私はアパートにあったコカ・コーラの1リットル瓶に水を入れて愛用のUSアーミーのショルダーバッグに詰め、南武線に乗って集合場所の登戸に行った。
空は秋晴れ。絶好の行楽日和である。
皆は小田急線でやって来た。南武線で終点の立川まで行く。私のアパートは南武線の起点、川崎駅にほど近い(最寄り駅は隣の尻手だったが)。この日、私は南武線ほぼ全駅制覇を果たしたことになる。我々は、立川から青梅線に乗り換えた。
二俣尾という駅があった。ここは後に村上春樹の『1Q84』で「ふかえり」が暮らす家の最寄り駅として登場する。私はずっとここで降りたと記憶していたのだが、ネットで調べてみると、どうやらその隣、軍畑駅かその先の川井駅だったかもしれない。
リーダーの小柳さんを先頭に山に入る。木漏れ日が美しかったのと、沢を渡る橋の所で、金田一耕助の物真似をしてウケを取ったのぐらいしか覚えていない。
棒ヶ峰は一般的には棒ノ折山というらしい。標高は958m。ネットで調べると、軍畑駅を8時に出ると、頂上には13時過ぎに着く。頂上で昼飯を食ったから、大体、このルートを通ったか。
頂上は原っぱみたいになっていて、見晴らしがよかった。小柳さんがお湯を沸かしたのを覚えている。カップラーメンでも食べたか、コーヒーを淹れてパンでも食べたか、どちらかだったのだろう。
下山途中、暗くなりかけた頃に道に迷いかけてビビったが、何とか無事に駅にたどり着いた。下りの方がきつかったような気がする。
行きと同じように電車を乗り継いで、登戸に降り立った。
「せっかくだから、飲んで帰ろうぜえ」と小柳さんが言う。
登戸駅前の、大田屋という店に入る。そこで私たちはおでんで熱燗を飲んだ。身体の芯から温まった。山登りの疲れがいい具合にほぐれた。いかにも昭和のおでん屋という佇まいで気持ちが落ち着いた。楽しい酒が飲めた。好みの店だったが、学生の身だ。一人で飲みに行くことはない。南武線で通っていたのは私だけだったから、この店の暖簾をくぐる機会は、それ以降なかった。
卒業後、登戸駅は建て替えられた。ずいぶんきれいになったが、この一角はしばらく昔のままだった。写真は2012年のもの。「携帯の王子様」という店の隣がそれである。
その日はいい気分で再び南武線に乗り川崎のアパートに帰った。
ただ、私は山登りにはハマらなかった。山登りは疲れるから嫌だ。散歩ならいくらでもいける。途中でコーヒー飲んだりビール飲んだりできるからね。山登りはこうはいかない。ただ、あの頂上からの景色はいい。つらい思いをしたからこそいい。それは分かるが、でも、私は散歩の方がいい。
曖昧な記憶をもとに書いたが、書くことであの頃に気持ちを飛ばすことができたよ。奥多摩の空気。南武線から見た景色。登戸のおでん屋。そんなものの中に、身をあずけることができたような気がしたな。山登りの話が、いつの間にかおでん屋の話になっちゃったけど。
付記。
風扇さんからメッセージをいただいた。降りた駅は川井、昼飯はラーメンを食べたとのことだった。他に3年の雀窓と私の同期の楓さんも参加したようだ。雀窓さんはウィスキーを持って来て頂上で飲んだという。
人の記憶というのはそれぞれ残っている所が違っていて面白い。風扇さんは登戸で飲んだ記憶が欠落していた。こういう話はひとりの記憶をたどるだけでは限界があるんだなあ。