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2023年12月31日日曜日

大晦日

朝、トースト、コーンポタージュスープ、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

朝のうち雨が降る。

常会長さんたちで明日の新年会の買い物。

妻は風邪を引いて喉が痛いと言う。

昼は御飯、わかめスープ、昨夜の残りの焼き鳥、おでん、そぼろ納豆。

午後は晴れたので車を洗う。


よく晴れて暖かい。水が全然冷たくない。南天と千両の実がきれい。

「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」



父と年越しそばに入れるかき揚げを買いに行く。スーパーはどこも混んでいるな。

これから年越しそばを食べて紅白を見て、2023年が暮れて行く。皆様、よいお年を。

2023年12月30日土曜日

高山T君に会いに行く③ 多治見散策後篇

「駅の方にも面白い商店街があるから案内するよ」と高山T君が言う。

そこで、再び車に乗り、土岐川を渡る。


 やって来たのは、ながせ商店街。


商店街の駐車場に車を止め、ぶらぶらと歩き出す。まずは駐車場近くの酒屋さんに心を奪われる。



以下、この商店街の優良物件を紹介したい。個人商店は年末休みに入った所が多いのかねえ。





何にチャレンジするのかは分からない。




商店街の中ほどに河童のオブジェがあった。そういえば、多治見のマスコットは「うながっぱ」だっけ(ちなみに牛久のマスコットは河童のキューちゃん)。


こちらは2012年2月に撮影した多治見駅前の「うながっぱ」。
鰻と河童のミックスか。
牛久の河童はこんな感じ。(「牛久かっぱ祭り」2016年)
そういえば、牛久も鰻が名物だ。

途中、本がたくさん置いてあるカフェがあるというので、そこで休憩をと思ったのだが、大掃除のためお休みとのことだった。残念。(実はこの後も、この年末休みのためにプランの変更を余儀なくされることがしばしば起きた。)

カフェの入り口にあった素敵なタイルの流し台。

店頭に世界の都市の時間を示したデジタル時計がある。日本代表は多治見。

歩数は1万歩を越えた。そろそろ休憩を取ろうというので、車に乗り込み地元民お勧めのカフェに向かう。団地のある高台に上る。

駐車場にはけっこう車が止まっていた。なかなかお洒落な雰囲気。上品なお姉さま方が午後のコーヒーを楽しんでいらっしゃる。


私はブレンドコーヒーを飲む。洒落た器。水のコップも切子だ。

ここで充電して、もう一か所、「せっかく多治見にお見えんさったら修道院見に行かんね」(「せっかくグルメ」風。方言はあくまでイメージです)という修道院へ。実はT君も初の訪問だという。


神言修道会多治見修道院。1930年(昭和5年)設立。中に入って礼拝室も見せていただいたが、見事な壁画や彫刻がたくさんあり見応えがあった。撮影禁止なので写真は撮れなかった。


敷地内には葡萄畑があり、ワインの醸造も行われていたという。ついつい牛久シャトーを連想する。

多治見駅前のホテルトーノーにチェックイン。夜は土岐川を渡り、T君と焼き鳥の名店大貴へ。



再会を祝って乾杯。いやあ旨い。詳しくは「飲んだり食ったり」で紹介します。

二軒回って9時過ぎにホテルに無事帰還。明日は尾張の国へ乗り込む予定だ。


※本日二度目の投稿。何とか多治見篇を今日中にできた。続きは年明けにします。


高山T君に会いに行く② 多治見散策前篇

トンネルを出ると道は下り坂になる。車は多治見市街に向かってひた走る。

岐阜県多治見市。東濃地区の中核をなす市である。人口約10万3千人、岐阜市、大垣市、各務原市に次いで県内第4位。やきものの街として知られ、私が中学生の頃の社会科の授業では、「やきもの、瀬戸、多治見」と覚えさせられた。2007年7月25日、埼玉県熊谷市とともに当時の日本最高気温40.9度を叩き出し、「日本一暑い町」として売り出した。

高山T君は、その名の通り岐阜県高山市の出身である。飛騨国と美濃国では気候も土地柄もまるで違う。最初、このブログでは「岐阜T君」と呼んでいたのだが、「自分は岐阜の者ではない」という本人たっての希望で「高山T君」に改名した。奥さんの地元に二世帯住宅を建て、東濃は多治見の人となった。以来、20年ほど経つ。今回は、その多治見の街をT君の案内で心ゆくまで散策しようというのである。

新羅神社の前に車を止め、歩き出す。奈良時代前期から朝鮮半島新羅からの系譜を持つ氏族が住んでおり、その氏神を祀ったのが始まりという。鎌倉時代にはこの地を治めた多治見氏が八幡様を祀り、後に須佐之男命が祭神となった。


神社の裏手から散策開始。この神社の裏っ手は、かつて東濃地区一の遊郭だったという(浅草の観音様の裏っ手には新吉原がある)。なるほど、撞球場の看板などがあり、盛り場だった名残を残している。



新町銀座のアーケードに向かう。ほとんどの店は開いていない。地方都市によく見られる風景だ。昭和40年代、50年代の賑わいに思いを馳せる。


T君は、もともと写真が好きで、大学の頃はカメラ係だった。このブログの愛読者で、街撮りの魅力に目覚めた。今ではシブい町並みを求めてあちこち歩き回っている。同好の士ができて私もうれしい。T君の審美眼に私は全幅の信頼を置いている。安心してT君の後をついて行く。

以下、シブい物件を厳選して掲載する。





市イチオシの「おりべストリート」。


素敵な小路。


「あらゆるカンバン」って・・・。

もとは銭湯だという。

看板建築もある。

今回はここまでとしよう。「多治見散策」は後篇へと続きます。

2023年12月29日金曜日

高山T君に会いに行く① 名古屋の歴建を見る

高山T君に会いに行った。2019年5月、彼が仕事で東京に来た時、浅草で会った以来である。あの時はわずか30分程度の逢瀬であったが、今回は一泊二日の旅となった。

まずは新幹線で名古屋まで。新幹線になんか乗るの久し振りだな。いい天気。富士山がきれいに見えた。


名古屋到着は10時16分。新幹線の改札を出た所でT君が待つ。4年振りになるのか。T君が私を見て「背が伸びたんじゃないのか」と言う。そんなことあるかい。

まずは名古屋の歴史的建造物をみよう、というので車に乗り込み、名古屋市市政資料館に連れて行ってくれる。

名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎として1922年(大正11年)に建てられたもの。1979年(昭和54年)に名古屋高裁・地方裁判所が移転するまで、中部地方の司法の中心がここであった。

大正らしくモダンな造り。特に入ってすぐ正面のステンドグラスは有名で、フォトスポットとして行列ができるほどだという。





この日は平日だったせいか、見学する人もあまりおらず、ゆっくり見ることができた。

私はお向かいのこの建物にも心を奪われましたな。



資料館を出ると11時半。T君のプランでは道を挟んだすぐ隣にある山田屋で昼食をとることになっていた。早めだけど、人気店らしいから入ってしまおう、ということで話がまとまる。

この素敵な佇まいを見よ。

ここでは名物、カツカレー丼を食す。詳しくは「飲んだり食ったり」で紹介するつもりだが、和風のあんかけカレーが絶品だった。


満足満足で店を出る。外には入店待ちの客が何人か立っていた。早めに入って正解だったな。

腹ごなしに名古屋市役所まで歩いて行く。T君によると河村たかし名古屋市長のポスターのキャッチコピーは「気さくな70代」だとのこと。まあ確かに気さくではあるけれど・・・。


さすが大都市名古屋、立派な建物だなあ。すぐ隣には県庁がある。残念ながら改修工事中らしくネットが張ってあったので写真は撮らなかった。いつぞやの芸術イベントでの大村愛知県知事と河村市長とのもめごとは、こんな目と鼻の先で繰り広げられたんだな。

木々の間に電波塔が見える。おれ、鉄塔も好きなんだよな。

昼休みになって役所から職員がわらわらとランチに出掛けるのを横目で見ながら、車に乗り込む。これからいよいよT君の地元、多治見へ向かうのだ。

車中でクレイジーキャッツを聴く。根は真面目な植木等の吹っ切れたボーカルが素晴らしい。クレイジーの代表作の多くの詞を書いた青島幸男は、東京都知事時代、「ホンダラ行進曲」の歌詞を知事室に飾っていたという。「一つ山越しゃホンダラダホイホイ もう一つ越してもホンダラダホイホイ 越しても越してもホンダラダホイホイ どうせこの世はホンダラダイホイ だからみんなでホンダラダホイホイ」というものだ。

改めて聴くと、おそろしく後ろ向きの歌だなあ、ということに気づく。底抜けに明るい曲調にごまかされるけど、実はこの歌の底流にあるのは「虚無」ではないか。二人してそのような見解に至る。

このアルバム、大滝詠一が監修に携わっていることもあって、マニアックな珍品も多い。滋養強壮剤のCMソングがすごい。延々と同じフレーズを繰り返し歌う。まるでプログレッシブロックの延々と続く間奏を聴いているようだ。T君は「プログレのそんな所はフリージャズに影響を受けていると思うよ」と言った。そういやクレイジーキャッツもジャズバンドだ。

やがて山道になり、尾張と美濃の国境のトンネルに入る。トンネルを抜けると、そこは岐阜県多治見市である。