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2024年2月27日火曜日

旅のシメは・・・

旅のシメは、名古屋駅新幹線ホームの立ち食いのきしめん。

高山T君のお勧めは、320円のいちばん安いやつ。それが、これ。

鰹節がたっぷりかかっていて、小っちゃなお揚げが載せてある。これを無心にすするのだ。

優しい味で旨いんだ。つゆまで完食。お腹もそんなに空いていなかったけど、ぺろっとやっちゃったよ。

次々客が入ってくる。ファンが多いんだねえ。


実はこの日は東京で軽く飲んで帰ろうと思っていたのだが、遅くなりそうなので、東京駅で駅弁を買って家で食べることにした。

買ったのが、これ。

鎌倉名物、鯵の押し寿司。押し寿司といえば鯖だけど、こちらは小鯵。「関東風に握り、関西風に押す」。何とも粋なもんだ。

見よ、この美しいこと。寿司ひとつに小鯵を一匹使っている。贅沢だなあ。

もうこうなると飲まずにはいられない。冷やを一杯、脇に添える。

旅の余韻を味わいながら、家で飲む酒もまた格別であった。


付記。前回のブログを見た高山T君からLINEがきた。総務省の調査では、1世帯当たりの喫茶店支出額日本一は3年連続で岐阜市(15616円、何と全国平均の2倍!)。以下、2位名古屋市、3位さいたま市と続くという。「納豆で水戸市が1位ではない」というのにも、ちょっと似てるか。

2024年2月25日日曜日

喫茶店グルメまとめ

愛知県から岐阜県南部には、独特の喫茶店文化がある。

特徴的なのはモーニングサービスである。

高山T君との旅で、やはり朝食でモーニングサービスを利用した。岐阜県から愛知県へ向かう峠道にさしかかる辺りの喫茶店である。

コーヒーには南京豆(ピーナッツよりもこう言った方がしっくりくる)。

美しい構図だなあ。

バタートーストにゆで卵。モーニングの王道である。

老夫婦の二人暮らしでは、朝食を作る手間を考えると喫茶店のモーニングの方がいいということなんだろう。この店の開店時間は、なんと6時30分であった。

昔流行ったログハウス風。茨城ではログハウス喫茶のチェーンがあったな。


この日の昼食も喫茶店であった。一宮市の名鉄萩原駅の駅前にある喫茶店。これがシブい。



ここでは「スパゲティ定食」を食べる。どういうものかというと、これなのである。

スパゲティーナポリタンに御飯と味噌汁がつく。

ナポリタンは鉄板で供される。

このナポリタンをおかずにして、飯を食うのである。味噌汁は愛知県自慢の赤だし。旨かったよ。腹いっぱい。食い過ぎた。

店内もシブい。


仕上げは一宮市奥町の「ありすカフェ&バー」。なんとこの店は夜の9時までモーニングサービスをやっている。


着いたのは2時半頃だったかな。店は大繁盛。少し待って入店。高山T君は当然の如くモーニングを注文。彼はホットドッグをオーダーした。私は腹がいっぱいだったのでチョコレートケーキにした。



モーニングサービスはいずれも500円でおつりがくる。名古屋圏の喫茶店、恐るべし、である。

2024年2月24日土曜日

白い筑波山、みほ落語会

朝、パン、コーンスープ、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

妻は仕事。

私はみほ落語会へ。筑波山が雪で白い。

クルマドの風景を撮りながら行く。



車内ではゴンチチのNHK・FMの番組を聴いていた。ビル・エバンスのピアノについて、ゴンチチのどっちかが寿司職人に例えて、「オスカー・ピーターソンの握った寿司はまさにすごい職人として旨いけど、ビル・エバンスの握った寿司は旨すぎて誰が握ったかなんかどうでもよくなる」と言っていた。

昼はヨークベニマルの海苔巻きと稲荷寿司の弁当。

私はトリで『うどん屋』を演る。マクラでは舟木一夫の「ロックンロールふるさと」を歌った。

5時頃帰る。妻と夕方ビール。

夕食は、コロッケ、キャベツ挽肉炒め、まぐろの山かけで松緑純米吟醸。食後に妻とホットワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。

2024年2月23日金曜日

起きたら雪景色

起きたら驚きの雪景色。


朝、フレンチトースト、紅茶。

『ブギウギ』観て、コーヒーを淹れて息子たちと飲む。

妻は仕事。雪が降っていたので送って行く。帰りに灯油を買う。中台池の雪景色を撮る。




庭の雪を見ながら、小三治の『出来心』、七代目柳橋の『味噌蔵』を聴く。小三治は2001年の録音。柳橋はラジオの追悼番組。

七代目春風亭柳橋、1935年(昭和10年)生まれ、2004年(平成16年)没。享年69歳。三代目桂三木助に入門して、木久夫から木久助。三木助の芸術協会脱退に伴い、大師匠の六代目柳橋門下に移り春風亭愛橋と改名。1964年(昭和39年)真打に昇進し、春風亭の出世名、柏枝を襲名。1982年(昭和57年)に、七代目春風亭柳橋を襲名する。2004年2月から10月に亡くなるまで、落語芸術協会の副会長を務めた(会長は桂歌丸)。三木助の軽み、柳橋の鷹揚さを併せ持つ。古風な唄い調子も魅力だった。私はこの人の、寄席で聴いた『青菜』が忘れられない。

昼は次男が作ったサッポロ一番味噌ラーメン。昨夜の肉野菜炒めをトッピング、旨し。

午後、妻を迎えに行く。

『図説 常陸武士の戦いと信仰』(茨城県立歴史館編・戎光祥出版)を読む。

妻と夕方ビール。

夕食は芋煮鍋、油揚げ納豆、春雨サラダ、レバー煮で松緑純米吟醸。食後に妻と赤ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。

寒い一日だった。 

2024年2月20日火曜日

萬福亭、レバーニラ炒め定食

この前、仕事で遅くなり、夕食を食べて帰った。

行ったのは萬福亭。職場が近くだった頃はよく行ったが、すっかりご無沙汰。10年振りぐらいの入店となった。

入ると「町中華で飲ろうぜ」のおじさんが数人。

私は「孤独のグルメ」の井之頭五郎のように隅のテーブルに座る。

で、レバーニラ炒め定食、780円。



なめこの味噌汁が泣かせるじゃあありませんか。

もう間違いないっす。ちょっとあっさり系が、また旨い。炒めものは、やっぱり町中華だな。

店の雰囲気もアットホームでくつろげる。飲みもいいが、歩いては来られないからなあ。

2024年2月18日日曜日

春の陽気の土日

昨日の日記。

朝、パン、牛乳、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ。

『ブギウギ』を観て、コーヒーを飲む。妻は仕事。

長男に借りた『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー 大森望訳)を読む。

昔、カセットテープで録音していた、桂米朝『らくだ』を聴く。

昼はシーフードヌードル。

テレビでスキージャンプのワールドカップ札幌大会を見る。日本のエース小林陵侑は、総合首位を走るクラフトに逆転され2位となった。葛西紀明は史上最多となる570回目の出場。2本目に進む健闘を見せた。

妻と夕方ビール。

夕食は豚すき焼きで燗酒。食後に赤ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。

一日陽射しがいっぱいで暖かかった。裏山の杉が赤くなってきたねえ。



今日の日記。

朝、御飯、昨日のすき焼きの残り、ベーコン、スクランブルエッグ。二日目のすき焼き、くたくたに煮えたのに卵をとじて御飯にかけて食う。旨し。

朝イチで床屋。散歩がてら歩いて行く。



帰って風呂のカビ取り。

昼は息子たちが作ったチャーハン、わかめスープ。

午後、ケーズデンキにマウスを買いに行く。

ワールドカップ札幌大会、小林陵侑は2位。1本目4位から2本目139.5mを飛んだが、1本目首位のプレブツに一歩及ばなかった。葛西は史上最多出場を更新したが、2本目に進めなかった。でも、見応え充分だったな。

妻と夕方ビール。

夕食はフィッシュ・アンド・チップス、スパゲティー・ミートソースで赤ワイン。ミートソースは妻のお手製。旨し。食後にアイリッシュウィスキー。

今日も暖かかった。豆ちゃんも日を浴びて気持ちよさそうに眠っておりました。


2024年2月14日水曜日

多治見の宴

多治見に泊まった晩は、高山T君と久々に酒を酌み交わした。

彼は多治見の名店、焼き鳥の大喜を予約してくれた。

駅前のホテルからは、商店街を抜けて、川を渡って橋向こうの堤防の下にある。

昼間散歩した時に店の前を通った。

6時ちょっと前に入店。カウンターに陣取る。

まずはビールで乾杯。どて煮を頼む。どて煮は、八丁みそ味のもつ煮込み、と言えばいいだろうか。ビーフシチューみたいなんだよな。


高山T君のすすめでイカ天も食べる。これが串にさして出てくる。旨いのよ、これがまた。


 こうなると燗酒だな。


見よ、この美しい絵を。

高山T君は焼き鳥を次々と頼む。チョイスは彼にお任せ。郷に入れば郷に従え、その土地の人が旨いというものをいただこう。


いやあ旨い。飲みかつ食い、飲みかつ喋る。時空を簡単に飛び超え、あの頃に帰る。またこっちに戻ってきて、現在の問題を語り合う。高山T君と話すのは楽しい。

2時間がとうに過ぎ、そろそろ河岸を変えよう、と腰を上げる。

再び橋を渡ってホテルの方に向かう。

二次会は「本町ロマンス」。さすが高山T君のチョイス、この店も平日だというのに客でごったがえしている。コの字型のカウンターに席を占める。

ここはお通しにおでんが出てくる。これは燗酒かな。


腹もいっぱいだが、せっかくなのでつまみを取る。高山T君は鶏ちゃん焼をオーダー。

これが大したボリュームなのだが、目先が変わって旨い。やっぱりこっちの味噌味は最強だな。

充実の宴だったが、10時頃には切り上げた。明日に備える、ということができるようになったのだ。

2024年2月12日月曜日

初午

朝、パン、コーンスープ、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

今日は初午ということで、父の運転手をして笠間稲荷神社に行く。

造り酒屋の裏っ手の駐車場に車を止める。


 お稲荷様はほどほどの人出。昔は講中で参詣に来たのだろう。



お土産に胡桃饅頭と松緑純米吟醸を買う。



昼は稲田の方まで足を延ばし、蕎麦の「和味(なごみ)」へ。駐車場には他県ナンバーの車が並ぶ人気店だ。辛抱強く一時間待つ。



十割蕎麦の盛。腹が減っていたので大盛にする。900円+400円。堂々の「旨い蕎麦」。1.5人前とのことだったが、ぺろっといけた。蕎麦湯も濃厚。旨し。

福原から石岡市八郷地区を回って帰る。

帰るとちょうどおやつの時間。お土産の胡桃饅頭を食べる。出来立てで旨かった。

夕食は刺身、カキフライ、なめこ汁、たこ焼きで酒。赤飯も一口だけ食べる。酒は〆張鶴と松緑純米吟醸。旨し、であったよ。

2024年2月11日日曜日

赤盤・青盤を大人買い

昨日は地区の会議の後、飲み会があった。まあまあ飲んだな。

朝、御飯、鍋の残り、ハムステーキ、納豆。

イーアスつくばに買い物に行く。

ビートルズの赤盤、青盤のニューバージョンを大人買い。

昼はフードコート。丸亀製麵のかけうどん、かしわ天、おにぎり。


夕食は焼肉でビール、酒。寝しなにアイリッシュウィスキー。 


午後はずっとビートルズのCDを聴いていた。

先年亡くなった松村雄策が、「ビートルズ世代というけど、当時、ビートルズファンは少数派だった」というようなことを書いている。『ビートルズの真実』(里中哲彦・遠山修司)でも、「ビートルズにのめりこんだのはむしろその後続世代の方が多い」と言っている。

私とか高山T君とかは、まさに「後続世代」に入る。

ビートルズが解散したのは、私が小学生の頃だから、もちろん同時代には聴いていない。ただ、社会現象として「髪の長い男たちが騒がしい歌を歌っていた」という認識はあった。私は(子どもではあったが)保守的な人間だったので、ビートルズにあまりいい印象はなかった。

初めてビートルズを聴いたのは、中学校を卒業する時、英語の先生が作ってくれた洋楽のテープでだった。そこに収録されていたのは「ヘイ・ジュード」。ポール・マッカートニーの美しいメロディーに、「ちっとも騒がしくなんかないじゃないか」と衝撃を受けた。

高校の時は、ちょうど来日10周年にあたり、テレビで武道館コンサートが放映された。その頃には立派なビートルズファンになっていた。高校の時買ったLPレコードは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、ホワイトアルバムと呼ばれた『ザ・ビートルズ』、『アビイ・ロード』。自意識の強い高校生らしく、「芸術性の高い」後期のアルバムだった。

社会人になって数年後、続々とビートルズのアルバムがCD化された。私はそれをせっせと買った。そこで私は、それまで軽視してきた初期のビートルズに圧倒された。ジョン・レノンのシンガーとしての、ソングライターとしての凄さを改めて思い知った。

前述の松村雄策は「ビートルズは懐かしくはない。今も現在進行形だから」というようなことも言っている。私もそうだな。今もずっとビートルズを聴いている。そして聴くたびに新しい発見をしている。

これから、この赤盤・青盤を聴き込んでいくだろう。青盤のラストには新曲「ナウ・アンド・ゼン」も入っている。