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2016年7月16日土曜日

今日の日記

朝、ごはん、味噌汁、鮭、納豆。
めったにやらないのだが、午前中職場に行ってたまっている仕事をする。
帰りにスーパーでレトルトのカレーを買って来て、昨夜の夕食の残りのカツでカツカレーにして食べる。

次男が種を蒔いた朝顔が咲き、前の山の山百合が咲く。
もうそろそろ梅雨も明けそうだ。
暑い夏がやって来るんだねえ。

夕方、皆で夏野菜のピザを作る。
夕食は、ピザ、ベーコンとナスの炒め物、餃子でビール、赤ワイン。デザートは桃。桃は甘口の白ワインに合わせると旨い。

次男が種を蒔いた朝顔。
午後まで花が咲いておりました。

前山の山百合。
花がたくさんついているので、どうしても倒れてしまう。

清楚でありながら妖艶ですなあ。

こちらは庭の桔梗。

初物のトウモロコシ。
甘くて旨し。


2016年7月13日水曜日

レトルトカレー各種


この間、大福さんにいただいたレトルトカレー。
うちの家族の人数分、6種類ある。
我が家は、子どもの習い事の関係で、毎週木曜日は「カレーの日」なので、すごく助かる。大福さん、本当にありがとう。
早速、家族6人で食べました。
ちなみに私は富山ブラックカレーをいただきました。なかなかコクがあって旨かったよ。
それにしても色んな御当地カレーが出ているなあ。そういや鉾田にも「メロンカレー」があったっけ。
・・・それにしても水戸は、この萌え系路線を突っ走るのでありましょうか。

2016年7月9日土曜日

新しい文楽論 『談志 名跡問答』より

立川談志の死後、談志に関する本が、それこそうじゃうじゃ出た。
その中で私がよく読んでいるのが『談志 名跡問答』である。最晩年の談志が、福田和也を相手に、文楽・志ん生・圓生といった昭和の名人たちについて語ったのをまとめたものだ。
対談相手の福田和也がいい。談志に気持ちよく語らせながらも、おっと思わせるような見解を放り込む。談志もすぐさまそれに反応し、上手い具合に話が転がってゆくのだ。
例えば「文楽を語る」の項。八代目桂文楽といえば、「楷書の芸」や「無器用」、最近では「フレーズ」なんてのが、お決まりのように繰り返される。何だか語り尽くされたような感じがして、今更文楽でもあるまいと思う人もいるだろう。
しかし、この本は違うぞ。ちょっとばかり引用してみよう。 

福田「ただ、文楽師匠独特の、ひたすら心地好い世界ってありますよね。調子がよくて、いろんなフレーズが入っている。」
談志「でも『大仏餅』なんて、あまり心地好くないでしょう。」
福田「でも、調子がいいじゃないですか。それに『大仏餅』のようなかなり暗い話でも、深刻にしない。摩擦係数が全然ない世界にいることの心地好さと不気味さのようなものがあります。」
談志「それはあるでしょうね。それらを含めて、名人芸とか十八番とか言ったのかもしれませんね。」
福田「華やかできれいで楽しいところだけ見せるというのが芸人だということなんでしょうか。ドキュメントとして、あがいたりもがいたりするような無様さのところから、ちょっと輝きを引き出したりするようなことは・・・。」
談志「それはなかったんだよな。」 

確かに「フレーズ」という言葉は出てくるが、「摩擦係数が全然ない世界にいることの心地好さと不気味さ」という見方は凄い。こんな切り口で文楽を語る人は今までいなかったように思う。
文楽のネタをどう思う?と訊かれた福田はこう答える。

福田「『つるつる』はいいですね。でも、描写というか造形はそんなに深くいかないですよね。どちらかというと、パッと印象が残って、それはもう雪みたいに消えてしまってかまわないという。」
談志「うん。だから、その落語っていうものを粋に気持ちよくやっているという感じが強いな。何なんだろう、歌謡曲と一緒なのかな。歌謡曲と言わないまでも、歌に近い。」
福田「ただ歌謡曲であれば、そこにある悲しみやら感情やらドラマを、聴く人が仮託するわけじゃないですか。でも『よかちょろ』には仮託できないですよね。」
談志「できない。しようがねえよ。」
福田「そこがすごいところです。共感や同情を期待しないで楽しませるという。」
談志「だから、分かりやすく言えば、あれが江戸の落語なんですと、『江戸っ子の鰹じゃないけども、そうなってくるのかなあ。」

いつも文楽に否定的な談志が、何だか福田のペースに巻き込まれているような気がする。
文楽をかつての落語通は「噺家魚見立て」において、「文楽=鰹、これを食わざるは江戸っ子に非ず」と言ったという。
「文楽=鰹」について談志は言う。

談志「世の中の文楽師匠に対する評価は分からない部分もあったけど、『鰹』って言われたぐらいだから、『文楽を食わなければどうにもなんない、江戸っ子としての恥だろう』というところにいたことが、論理的ではないけど、俺は生理的にやっぱり江戸っ子の落語なんだって受け止めたな。」
福田「臭みはないですよね。」
談志「だけど、あの大きな声を出すことだけはね。」
福田「ただ、その大きな声を出すことも、例えば圓生さんのように、努力を感じさせる臭みはないですよね。」
談志「あ、いいこと言ったな。それはないなあ。」

談志が福田の言葉に触発される。そして、対談の終盤にはこうなるのだ。 

福田「言葉遣いが難しいですけど、志ん生さんはやはりヒューマニズムの範囲じゃないですか。でも、文楽師匠はヒューマニズムじゃないですよね。人間というものを投げてるところがあって、そこはやっぱり家元に近いんじゃないでしょうか。」
談志「人間性ってのは、常識で判断できる範囲のものに限られてしまうじゃないですか。そうでなきゃ『モチリンです』なんて言ってらんないよ。キザな言葉で言うと、文楽師匠は芸術というものを解釈してたのかもしれない。」
福田「人間とか人生なんかよりも、やっぱり芸の方が大事だと思っているんですよね。」
談志「フレーズという名のもとにおける、非社会性というか、非常識というのを、無意識のうちに出してたのかな。」
福田「フレーズというか、もう音楽に近いようなものになっていて、ルールとか倫理とか、価値観とか関係なくなっちゃうんですよね。」
談志「人間のぎりぎりのところから出てくるフレーズというなら、理解できる。うーん。あのなんとも言えないフレーズ。くどいけど常識の外のものを引き上げたんでしょうな。私のイリュージョンの世界に近いものじゃないんですか。」

新しい八代目桂文楽論がここにある。この本が出たのは2012年だが、それは少しも古びていない。
談志も喋っていて楽しかったと思う。それを引き出した福田和也に、私は大いなる賛辞を贈りたい。

2016年7月4日月曜日

夕暮の石岡散歩

大福さんと飲む前、1時間ほど石岡の街を散歩した。

駅で車を降りる。
郵便局の前から、仲之内を通って香丸町へと向かう。

つげ義春『ねじ式』を思わせる看板。

関鉄の労働組合事務所。

労組らしく民進党支持のようだ。



この辺り、古い建物がごそっとなくなっちゃったみたいだな。

ちょっと奥まった所にある看板建築の自転車屋さん。
中学入る時にここで自転車買ったんじゃなかったっけ、

香丸町から中町通りを行く。

重厚な土蔵造り。

本屋さんの方は役目を終えています。

モリコービル。かつては石岡三大デパートのひとつだった。
2階の出窓の所が確か食堂。ここでカレーを食べた覚えがある。

どうしても撮っちゃう東京庵。

金毘羅様の境内にある正岡子規の句碑。

『水戸紀行』で子規たちはこの道をまっすぐ行ったのだ。

金毘羅様の所から、守横新道を駅の方へ。

入ってすぐの所にある「バー・クロンボ」。
どうしても撮ってしまう。

この通りもまた渋い建物が多いのよ。






ファミリー割烹ってのも渋いねえ。




最後はプラザホテル奥の建物。元は左官屋さんだったらしい。見事な細工だねえ。


大福さんも、またの機会に石岡の街をぶらぶらしてみてくださいな。

2016年7月3日日曜日

昨日の日記 大福さんと飲む



昨日の日記。
朝一番で床屋に行く。
昼はそうめん。これを食べると、夏が来たなあという感じ。
夕方、妻に石岡まで送ってもらう。
1時間ほど石岡散歩。その後、駅に向かう。
大福さんと待ち合わせ。ところが電車が1時間不通だったことが分かる。高浜~神立間で倒木の処理をしていたとのこと。彼は早目の電車に乗ったので、ほぼ時間通りにやって来た。
駅前のヨット食堂で飲む。大福さんは酒を飲まないので、ウーロン茶で付き合ってくれる。
肉野菜炒め、鯖の塩焼き、しめ鯖、ニラ玉でビール、酒。ビールはサッポロ黒ラベル、酒は渡舟。ヨット食堂の酒のラインナップは見事。
落語や落研の話で2時間。楽しい時間を過ごせた。春風亭小朝、立川志らくについて、きちんと意見を交わすことができて、すっきりした。落語についてちゃんと話せる相手は、今のところ大福さんくらいだもんな。
大福さんありがとう。無理させちゃったかな。
もし迷惑でなかったら、またお付き合いください。

2016年6月28日火曜日

丸亀製麺


もういいの、なーんも考えず、うどんをすすっていたいの。
そんな時は、丸亀製麺。何しろ早い旨い安い。

写真は茨城町のイオンシティのフードコート。長男と食べた。
とろ玉うどん(並)、鳥天、梅しそおにぎり。以上。
もうひたすらずるずるうどんをすすり込んで、はいごちそうさま。
旨し。これでいいのだ。

2016年6月25日土曜日

昭和46年度 芸能人重宝帳


ロサンゼルスのSuziさんが『昭和46年度 芸能人重宝帳』という小冊子を送ってくださった。 Suziさんは落語史にその名を残す出口一雄の姪御さんに当たる。
出口一雄といえば、TBSのプロデューサーとして落語家専属制度の先鞭を切った人とである。TBS退社後は、デグチプロを設立。八代目桂文楽を始め、様々な芸人のマネジメントをした。その仕事は、芸人たちからは「仏のデグチ」と呼ばれるほど、芸人に寄り添ったものだったという。(手前味噌だが、詳しくはこのブログの「桂文楽と出口一雄」のシリーズをご覧いただきたい。)

で、この『芸能人重宝帳』。芸能関係の住所・電話番号が記載されているのだが、芸術協会、落語協会、講談協会に所属する全ての芸人から、寄席、ホール、放送局、芸能プロダクション、お囃子さんから幇間の師匠方に至るまで、東京で演芸に関わる者のほとんどが網羅されている。芸人の手配、劇場の手配、取材等、これ1冊あれば事足りるのではないかと思われるスグレモノだ。
実際に出口も使用したらしく、古今亭志ん馬の電話番号には手書きの訂正が施されている。

何せ45年前のものだ。様々な発見があって面白い。
まず、落語の団体が、「芸術協会‐落語協会」の順になっている。私が持っている出版物では、どれも「落語協会‐芸術協会」の順だ。いくら順不同だとはいえ、そこには必ず意味がある。戦後しばらくは人気において芸術協会が落語協会を凌駕していたと聞く。この順列は、いささかそれを偲ばせるものではないだろうか。

ページをめくると、昭和の名人上手がずらりと並ぶ。(残念ながら、三代目金馬、三代目柳好、八代目可楽、三代目三木助等の名前は既にない)
さすがに芸人全ての家に電話が引かれている。その中で自宅に2本引いているのが、春風亭柳橋、三遊亭圓生、林家三平。柳橋・圓生は大御所、三平は売れっ子、いずれにせよ電話を複数本引くのは、仕事の依頼が多いが故だろう。複数電話を引くのにも、それなりに金もかかるだろう。ある意味それはステイタスにもなり得る。そして、黒門町桂文楽は何と3本引いているのだ。まさに別格といっていい。 

また、今のベテランが前座に名を連ねているのも興味深い。
芸術協会では、三笑亭夢九(夢之助)、三遊亭右詩夫(古今亭寿輔)、三遊亭遊吉(小遊三)等、落語協会では、三遊亭楽松(鳳楽)、林家九蔵(三遊亭好楽)、古今亭高助(故古今亭志ん五)、柳家そう助(さん八)、柳家マコト(小袁治)、柳家小稲(さん喬)、金原亭駒七(五街道雲助)、立川談十(朝寝坊のらく)、春風亭朝太郎(一朝)等の名前が見える。
前座には、ほとんど電話番号が記載されていない。記載されているのは、多分実家からの通いなのだと思う。住所で師匠方になっているのは内弟子である。芸術協会では現小遊三の遊吉(遊三方)と、二つ目になっているが桂米助(米丸方)がそうだった。落語協会では現月の家圓鏡の杵助(圓鏡方)、現柳家さん枝の桂文吉(文楽方)、現春風亭一朝の朝太郎(柳朝方)。ちなみに現柳家小満んの桂小勇も二つ目だが、師匠文楽方になっていた。
寄席文字の方には橘右朝の名前も見える。(彼は後に古今亭志ん朝門下で落語家になる。将来を嘱望されていたが、2001年、惜しまれつつ52歳で没した。)

芸能プロダクションでは「鬼の暁」(二代目円歌の子息が経営していた)に並んで、出口一雄の事務所が載っている。社名は『デグチ』。出口さんらしく、あっさりしてますな。住所は夫人の実家の新富町。電話を2本引いているところを見ると、繁盛していたのがうかがえる。今を時めくマセキ芸能社も名を連ねていた。

ところで、裏表紙を見て驚いた。発行が昭和46年8月31日。ということは黒門町桂文楽の、伝説の最後の高座、まさにその日ではないか。この小冊子を受け取った時の出口さんの心境はどのようなものだったのだろう。色々思いを巡らせてしまったよ。 

いやあほんと、1日眺めてても飽きないな。Suziさん、いいものを送ってくださり、ありがとうございます。以後宝物にさせていただきます。