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2017年9月23日土曜日
霞ケ浦の帆曳船
今日、行方市の旧玉造町の辺りを車で走っていたら、霞ケ浦に帆曳船が出ていた。
多分観光用だとは思うけど、昔はあれでワカサギ漁をやっていた。
坂本清著『回想の霞ケ浦』(1985年崙書房刊)によると、帆曳船による漁は、明治18年8月、出島村(現かすみがうら市)の折本良平がシラウオ漁として始めたものを、同22年9月、同村の柳沢徳太郎がワカサギ漁にも適するように改良したのだという。最盛期には北浦と合わせて500隻に達した。私の母の実家は霞ケ浦の目の前にあったが、私が小学校に上がる頃、その座敷からは、湖面いっぱいに浮かぶ帆曳船がよく見えた。
堤防に出て、ばーしばし写真を撮っちゃったよ。
では、霞ケ浦に浮かぶ帆曳船。2隻出ておりました。
2017年9月22日金曜日
石岡のおまつり 小景
石岡のおまつりが終われば、お彼岸。めっきり秋らしくなりましたなあ。
もう少し、お祭り風景を載せてみます。
浴衣に白足袋、絽の羽織を着てカンカン帽をかぶる。
これもお祭りスタイル。粋なもんですなあ。
仲之内の獅子も格式は高い。
天狗様。
一本歯の下駄を履いている。人の肩につかまって待機中。
中町通りの賑わい。
八間道路の看板建築。
さりげなくこんな建物があるのが石岡の実力である。
八間道路の酒屋さん。
中町通りから総社宮へ行く道。
中町通りのツルハドラッグの駐車場では、猿回しをやっていました。
お祭り仕様。
2017年9月16日土曜日
石岡のおまつり、彼岸花
朝、パン、牛乳、ハンバーグ。
近所を散歩。
いつの間にか彼岸花が満開。
義妹と姪が遊びに来る。
昼食は皆でジョイフル。私はガバオライスを食べる。
そのまま石岡へ行き、「石岡のおまつり」を見る。
八間道路から総社宮、中町通りを歩く。
姪はくじやら射的やらで遊び倒す。次男は好物のポテトフライに、タピオカミルクティーを買ってご満悦。長男は偶然友達と会って別行動をとった。
3時間ほどで帰る。今年は涼しく快適なお祭り見物となった。
駅前では山車がお出迎え。
八間道路と中町通りの丁字路では山車の競演。
総社宮へ。
富田町のささらの先導で、幌獅子が総社宮からスタート。
トップを飾るのは土橋町。
お次は仲ノ内。
年番の青木町。
天狗がいる。
お神輿が続く。
夕食は、鯖の塩焼き、肉野菜炒めで酒。風呂に入ってアイリッシュウィスキーを飲む。
2017年9月15日金曜日
夏の終わりの鹿島神宮
8月の終わり、鹿嶋で飲み会があった翌日、鹿島神宮をお参りしてきました。
さすが全国でも有数のパワースポット。見も心も清らかになる感じがします。
大鳥居から。
楼門。
拝殿。
皆さん、きちんとお参りされております。
拝殿側面。
本殿。
おみくじ売り場の茨城県PRポスター。
仮殿。
神域の森。
さざれ石。
奥宮に日が射して神々しい雰囲気が。
奥宮の前にある茶店。
さすが全国でも有数のパワースポット。見も心も清らかになる感じがします。
2017年9月14日木曜日
落語『目薬』から
柳家の噺家さんがよく演る、『目薬』という噺がある。
何年か前寄席に行った時、ある噺家さんは以下のような形で演じていた。
目を悪くした男が薬屋で薬を買って来た。注意書きを見ると「めのしりにつけべし」とある。ところが、この男、「め」の字が読めない。さんざっぱら考えて、ふと湯屋で見たことがあると思い当たる。そうだ「女湯」の「女」だ。ということは、この薬は、女の尻につけるのか。そこで、女房に頼み込んで薬をつけにかかる。女房を四つん這いにして尻をまくらせ薬をつけると、女房はせつながってついに放屁に及ぶ。屁によって吹き飛ばされた薬が男の目に入った。そこで男、「こうやってつけるのか。」
バレがかった噺で、寄席ではよく受ける。
ただ、私は笑いながら、ちょっとした違和感を感じずにはいられなかった。
「つけべし」に、どうしても引っかかるのだ。
「べし」は、ここでは命令の意味を持つ助動詞だが、終止形に接続する。「つけ」の終止形は「つく」だから「つくべし」、せめて口語でも「つけるべし」となるはずである。
閑話休題。日本語の難しさは、この活用にある。英語の動詞の活用は、原形、過去形、過去分詞の3パターンだが、日本語の場合、未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形(文語では已然形)、命令形と、実に6つの活用形がある。しかも日本語は次にくっつく言葉に合うように変化させなければならない。例えば「行く」を否定する場合、これに打消の助動詞「ない」をつけるが、「行く・ない」ではなく、「行く」を未然形に変化させ「行か・ない」とする。丁寧語の「ます」につけるときは連用形にして「行き・ます」だ。私たちは自然にやっているが、これを日本語を母語にしない人たちが新たに覚えるとなると、さぞや至難の業だろう。
「つけべし」がどうしても気になった私は、後日『落語事典』で『目薬』を引いてみた。すると「めのしりにさすべし」とある。そうだよな。「さす」はまさしく終止形、それなら文法的に正しい。まだ「つけべし」で演っている人がいるとすれば、早いとこ直した方がいいと思う。
ここからは余談。
茨城弁ではよく文末に「ぺ」とか「べ」を使う。この原形は助動詞「べし」である。だから「ぺ」や「べ」は、「・・・だろう」の推量、「・・・しよう」の意志、「・・・しようよ」の勧誘などの意味を持っている。
他県の人が茨城弁を真似る場合、よく「ぺ」を使う。「行くっぺ」なんて言う人がいるが、これは素人。この場合は「べ」を使い、「行くべ」が正しい。他にも「食うべ」、「呼ぶべ」、「飲むべ」など、むしろ基本的につけるのは、この「べ」の方なのである。
一方「ぺ」は用法が限られる。
まず、断定の助動詞や形容動詞の活用語尾「だ」につく場合。「ぺ」が使用される時には、必ず促音便を伴うから、「・・・だっぺ」となる。(これが茨城弁の最も有名な言い回しかもしれない。)
もう一つは終止形の活用語尾が「る」の語につく場合。例えば「走る」に「ぺ」がついて「走っぺ」、「取る」に「ぺ」がついて「取っぺ」と言った具合。「やる」は「やっぺ」だし、「つける」は「つけっぺ」だ。
「つけっぺ」? もしかして、あの『目薬』の「つけべし」は、この「つけっぺ」からきたのか。まさかな。でも、もしそうだとしたら、茨城弁もなかなかに罪が深い。
何年か前寄席に行った時、ある噺家さんは以下のような形で演じていた。
目を悪くした男が薬屋で薬を買って来た。注意書きを見ると「めのしりにつけべし」とある。ところが、この男、「め」の字が読めない。さんざっぱら考えて、ふと湯屋で見たことがあると思い当たる。そうだ「女湯」の「女」だ。ということは、この薬は、女の尻につけるのか。そこで、女房に頼み込んで薬をつけにかかる。女房を四つん這いにして尻をまくらせ薬をつけると、女房はせつながってついに放屁に及ぶ。屁によって吹き飛ばされた薬が男の目に入った。そこで男、「こうやってつけるのか。」
バレがかった噺で、寄席ではよく受ける。
ただ、私は笑いながら、ちょっとした違和感を感じずにはいられなかった。
「つけべし」に、どうしても引っかかるのだ。
「べし」は、ここでは命令の意味を持つ助動詞だが、終止形に接続する。「つけ」の終止形は「つく」だから「つくべし」、せめて口語でも「つけるべし」となるはずである。
閑話休題。日本語の難しさは、この活用にある。英語の動詞の活用は、原形、過去形、過去分詞の3パターンだが、日本語の場合、未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形(文語では已然形)、命令形と、実に6つの活用形がある。しかも日本語は次にくっつく言葉に合うように変化させなければならない。例えば「行く」を否定する場合、これに打消の助動詞「ない」をつけるが、「行く・ない」ではなく、「行く」を未然形に変化させ「行か・ない」とする。丁寧語の「ます」につけるときは連用形にして「行き・ます」だ。私たちは自然にやっているが、これを日本語を母語にしない人たちが新たに覚えるとなると、さぞや至難の業だろう。
「つけべし」がどうしても気になった私は、後日『落語事典』で『目薬』を引いてみた。すると「めのしりにさすべし」とある。そうだよな。「さす」はまさしく終止形、それなら文法的に正しい。まだ「つけべし」で演っている人がいるとすれば、早いとこ直した方がいいと思う。
ここからは余談。
茨城弁ではよく文末に「ぺ」とか「べ」を使う。この原形は助動詞「べし」である。だから「ぺ」や「べ」は、「・・・だろう」の推量、「・・・しよう」の意志、「・・・しようよ」の勧誘などの意味を持っている。
他県の人が茨城弁を真似る場合、よく「ぺ」を使う。「行くっぺ」なんて言う人がいるが、これは素人。この場合は「べ」を使い、「行くべ」が正しい。他にも「食うべ」、「呼ぶべ」、「飲むべ」など、むしろ基本的につけるのは、この「べ」の方なのである。
一方「ぺ」は用法が限られる。
まず、断定の助動詞や形容動詞の活用語尾「だ」につく場合。「ぺ」が使用される時には、必ず促音便を伴うから、「・・・だっぺ」となる。(これが茨城弁の最も有名な言い回しかもしれない。)
もう一つは終止形の活用語尾が「る」の語につく場合。例えば「走る」に「ぺ」がついて「走っぺ」、「取る」に「ぺ」がついて「取っぺ」と言った具合。「やる」は「やっぺ」だし、「つける」は「つけっぺ」だ。
「つけっぺ」? もしかして、あの『目薬』の「つけべし」は、この「つけっぺ」からきたのか。まさかな。でも、もしそうだとしたら、茨城弁もなかなかに罪が深い。
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