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2018年9月5日水曜日
2018年9月1日土曜日
『関東大震災の禍根―茨城・千葉の朝鮮人虐殺事件―』(桜井優子・五島智子/筑波書林)と『証言集 関東大震災直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫編/ちくま文庫)
『関東大震災の禍根―茨城・千葉の朝鮮人虐殺事件―』(桜井優子・五島智子/筑波書林)
茨城大学の卒業論文を基にしたもの。 千葉県は習志野連隊がらみで虐殺があったことは知っていたような気がするが、茨城県にもこういうことがあったのだなあ。
当時の新聞記事や、事件を知る人々の証言を丹念に積み重ね、事の真相に迫って行く。誠実で真摯な記録。いかにも真面目な女子大生の仕事である。
『証言集 関東大震災直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫編/ちくま文庫)
こちらは、「文化人、庶民、子供の作文、公的資料が伝える朝鮮人虐殺事件」とある。生々しい、しかも膨大で詳細な証言の数々に圧倒される。
大正12年9月1日午前11時58分、相模湾の北西部を震源として、マグニチュード7.9の地震が発生した。これによって首都圏は壊滅状態となり、死者99331人、行方不明43476人という甚大な被害を受けた。
この震災による犠牲者は地震や津波、それに伴う火災によるものだけではなかった。地震直後から、「朝鮮人が暴動を起こし、爆弾による放火や井戸への投毒が行われている」というデマが流布し、多くの朝鮮人が暴行を受けて殺された。朝鮮人ばかりではない。中国人、社会主義者、朝鮮人に間違われた人たちも犠牲となった。
阪神淡路大震災当時の自治大臣で国家公安委員長だった故野中広務は、辛淑玉との対談『差別と日本人』の中でこんなことを言っている。
「『関東大震災の二の舞は絶対にしてはいけない』。これは当時、警察庁長官だった國松孝次さんが最初に徹底的に言うたこと。彼は兵庫県警本部長をしておったので、兵庫のことと、長田(神戸市において在日コリアンが多く居住していた区域)のことも一番よく知っている。」
関東大震災時には、警察や軍もデマを拡散していた。その反省は、阪神淡路大震災にも、東日本大震災にも生かされたと思う。歴史に学ぶ謙虚さを、権力の中枢にいる人たちが持っていたことに安堵したい。
しかし、未だに「実際に朝鮮人による暴動はあった」などと言う人もいる。根拠は何かというと、当時の新聞に書いてあるからだと言う。
『関東大震災の禍根―茨城・千葉の朝鮮人虐殺事件―』の茨城新聞の記事の記録を見ると、確かに9月4日付に「朝鮮人二千の掠奪 毒薬を井戸に投入した噂」、9月5日付でも「不逞鮮人団の目標 胸に赤布は爆弾組 黄色の布は毒薬組」という記事がある。
しかし9月9日付になると「鮮人行為に虚伝多し 戒厳司令部発表」とあり、9月12日付では「徒らに昂奮して 鮮人を憎悪するなかれ 第十四師団参謀長 井染禄郎氏談」となっている。
ちゃんと新聞は、当局の公式発表として、朝鮮人による暴動が「虚伝」であることを報じているし、朝鮮人に対する暴行をやめるよう呼びかけてもいるのである。(遅きに失した感は否めないが)
犠牲者の数がはっきりしないことを問題視する人もいるが、そもそも当時、日本政府がそれらの調査に消極的だったことが原因であって、それをもって「虐殺はなかった」ということにはできないだろう。虐殺を裏付ける、それを目撃した人の証言は、膨大な数に上っているのだから。
東京都の小池百合子知事は、「関東大震災で犠牲になった全ての方々を追悼したい」として、虐殺事件の犠牲者への追悼文を、昨年に引き続き今年も送らないことに決めた。自然災害の犠牲者と、それを生き延びた後に人によって殺された人々を同一に扱うことで、虐殺の事実が覆い隠されてしまうのではないか、という指摘は多いが、小池氏はそれに対してきちんと答えようとはしない。
当時、酷い朝鮮人差別があったからこそ、「日頃の復讐のため、彼らが暴動を起こした」というデマに、少なからぬ日本人は恐怖し過剰に反応したのだ。『証言集 関東大震災直後 朝鮮人と日本人』の後書きには「今でも大きな地震があるたびに外国人を排斥するデマが流れる。『朝鮮人を殺せ!』というヘイトスピーチが大音量で街頭を流れる。日本社会には九五年前と変わらぬ光景が現れつつある。その恐ろしさの一端を本書で感じていただけたら幸いである。」と書かれている。あの時、何があったのか。それを知ろうとすることは、極めて今日的な問題なのだと、私は思う。
茨城大学の卒業論文を基にしたもの。 千葉県は習志野連隊がらみで虐殺があったことは知っていたような気がするが、茨城県にもこういうことがあったのだなあ。
当時の新聞記事や、事件を知る人々の証言を丹念に積み重ね、事の真相に迫って行く。誠実で真摯な記録。いかにも真面目な女子大生の仕事である。
『証言集 関東大震災直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫編/ちくま文庫)
こちらは、「文化人、庶民、子供の作文、公的資料が伝える朝鮮人虐殺事件」とある。生々しい、しかも膨大で詳細な証言の数々に圧倒される。
大正12年9月1日午前11時58分、相模湾の北西部を震源として、マグニチュード7.9の地震が発生した。これによって首都圏は壊滅状態となり、死者99331人、行方不明43476人という甚大な被害を受けた。
この震災による犠牲者は地震や津波、それに伴う火災によるものだけではなかった。地震直後から、「朝鮮人が暴動を起こし、爆弾による放火や井戸への投毒が行われている」というデマが流布し、多くの朝鮮人が暴行を受けて殺された。朝鮮人ばかりではない。中国人、社会主義者、朝鮮人に間違われた人たちも犠牲となった。
阪神淡路大震災当時の自治大臣で国家公安委員長だった故野中広務は、辛淑玉との対談『差別と日本人』の中でこんなことを言っている。
「『関東大震災の二の舞は絶対にしてはいけない』。これは当時、警察庁長官だった國松孝次さんが最初に徹底的に言うたこと。彼は兵庫県警本部長をしておったので、兵庫のことと、長田(神戸市において在日コリアンが多く居住していた区域)のことも一番よく知っている。」
関東大震災時には、警察や軍もデマを拡散していた。その反省は、阪神淡路大震災にも、東日本大震災にも生かされたと思う。歴史に学ぶ謙虚さを、権力の中枢にいる人たちが持っていたことに安堵したい。
しかし、未だに「実際に朝鮮人による暴動はあった」などと言う人もいる。根拠は何かというと、当時の新聞に書いてあるからだと言う。
『関東大震災の禍根―茨城・千葉の朝鮮人虐殺事件―』の茨城新聞の記事の記録を見ると、確かに9月4日付に「朝鮮人二千の掠奪 毒薬を井戸に投入した噂」、9月5日付でも「不逞鮮人団の目標 胸に赤布は爆弾組 黄色の布は毒薬組」という記事がある。
しかし9月9日付になると「鮮人行為に虚伝多し 戒厳司令部発表」とあり、9月12日付では「徒らに昂奮して 鮮人を憎悪するなかれ 第十四師団参謀長 井染禄郎氏談」となっている。
ちゃんと新聞は、当局の公式発表として、朝鮮人による暴動が「虚伝」であることを報じているし、朝鮮人に対する暴行をやめるよう呼びかけてもいるのである。(遅きに失した感は否めないが)
犠牲者の数がはっきりしないことを問題視する人もいるが、そもそも当時、日本政府がそれらの調査に消極的だったことが原因であって、それをもって「虐殺はなかった」ということにはできないだろう。虐殺を裏付ける、それを目撃した人の証言は、膨大な数に上っているのだから。
東京都の小池百合子知事は、「関東大震災で犠牲になった全ての方々を追悼したい」として、虐殺事件の犠牲者への追悼文を、昨年に引き続き今年も送らないことに決めた。自然災害の犠牲者と、それを生き延びた後に人によって殺された人々を同一に扱うことで、虐殺の事実が覆い隠されてしまうのではないか、という指摘は多いが、小池氏はそれに対してきちんと答えようとはしない。
当時、酷い朝鮮人差別があったからこそ、「日頃の復讐のため、彼らが暴動を起こした」というデマに、少なからぬ日本人は恐怖し過剰に反応したのだ。『証言集 関東大震災直後 朝鮮人と日本人』の後書きには「今でも大きな地震があるたびに外国人を排斥するデマが流れる。『朝鮮人を殺せ!』というヘイトスピーチが大音量で街頭を流れる。日本社会には九五年前と変わらぬ光景が現れつつある。その恐ろしさの一端を本書で感じていただけたら幸いである。」と書かれている。あの時、何があったのか。それを知ろうとすることは、極めて今日的な問題なのだと、私は思う。
2018年8月29日水曜日
2018年8月26日日曜日
日本科学未来館に行く
今日は8月最後の日曜日。次男が行きたい行きたいと言っていた、日本科学未来館へ行く。ここで「デザインあ展」をやっているのだ。
NHK、Eテレの番組は、子ども向けでも侮れない。我が家も「0655」と「デザインあ」の熱心なファンである。
お台場まで、車で1時間半で着くんだな。ほとんど渋滞なし。日曜のせいか、または色んなルートができたからか。すいすい行き過ぎて、かえって怖いくらい。(首都高は車線変更や合流が分かりづらく、少し渋滞してくれた方が走りやすい。)
ま、おかげ様で着いてすぐ、「デザインあ展」を観ることができた。
展示を見たり、映像を見たり、家紋を描いたり。面白かったよ。
けっこうな人出。大人気だな。(午後は長蛇の列だった。)
お次は常設展。
ロボット、アシモのショーを観る。まるで、中に人が入ってるような動き。すごいねえ。
それにしても、ずいぶん外国人観光客が増えたなあ。
お昼は館内のミライキッチンで食べる。私はハンバーグライス。スープは4種類のだし汁の中から選ぶ。私は鶏を選んだ。
| 「量が少ないでしょう」と言って、妻が稲荷寿司を付けてくれた。 |
もう夏休みも終わりだねえ。
以下は昨日撮った雲。うろこ雲と入道雲が出ている。8月も終わりだというのに、まだ「尋常ではない暑さ」が続く。
2018年8月24日金曜日
盛岡、東家本店の色紙
2018年8月21日火曜日
立川談志と出口一雄
『立川談志遺言大全集14 芸人論二 早めの遺言』を読んでいたら、出口一雄について書かれた箇所があった。
民放の誕生とともに、落語を含めた寄席演芸番組がゴールデンタイムのトップに躍り出る、特に東京では、後のTBSであるラジオ東京、関西では朝日放送が特に力を入れていた、という記述に続いて、談志はこんなことを書いている。
「東の方には出口一雄という辣腕な、ポリドールレコードから引き抜かれた演芸部長がデンと座り、関西には出口氏の無二の親友であり、よく似た気性、芸に対する価値基準が似ていた松本昇三氏。この二人にどういうわけだか柳家小ゑん(二つ目時代の談志)は愛された。生意気だからだったからかもしれない。」
そして、出口、松本の二人は東西交流を考える。その第一回目の東京からの派遣落語家が柳家小ゑんであったというのである。
談志は出口一雄について何度か語っているが、自身との交流を述べている文章は、私が読んだ限りでは、これしかない。
早速、出口は談志についてはどう思っていたのか、出口一雄の姪、Suziさんにメールで訊いてみた。
その返信に言う。
「私の知る限りでは、東京中学〔今はない〕の後輩で、あのキザさを根っから嫌っていました。
『あいつは中学の後輩だけどナ、江戸っ子なんかじゃねえ。キザな野郎だ。江戸っ子がキザ?、見られたもんじゃねえよ。だけど頭の回転はいいよ。凄い』
それしかワカリマセン。
だから『絶対に俺のプロにゃ入れねえし、頼まれたってゴメンこうむる』って言ってました。
波長がなんとも合わない相手だったようです。
それしかありません。
私自身は、彼のあの話し方が嫌いでした。口先でちょぼちょぼ話すのが嫌い。江戸っ子のあの歯に衣着せぬ、ポンポン言うのでなくちゃ嫌です。
しかし、彼はこれを武器にしたんではないでしょうか? ネタはあちこち行って多くを吸収し、落語学〔?〕もきちんと勉強し、基礎も知識も持っていました。若者にはこれが受けたんでしょうねえ。そんな気がします。
今となっては古い記憶。もう詳細は思い出せません。」
相変わらず「歯に衣着せぬ」見事な論評である。
後の四天王では、出口さんの好みで言えば、一に、その才能と人柄をこよなく愛した古今亭志ん朝であり、二に、デグチプロを引き継いだ八代目橘家圓蔵(当時の月の家圓鏡)だったろう。小賢しい印象を与える、五代目三遊亭圓楽や立川談志は、あまり好きではなかったかもしれない。
しかし、その彼を、東西若手落語家交流において、第一回目の派遣落語家に抜擢するのだから、好き嫌いで仕事をしない出口一雄の、面目躍如といったところではないか。
内海桂子が「当時の若手で、出口さんの世話になっていない者はいない」と言っていたけど、本当だったのだなあ、と今更ながらに思う。
民放の誕生とともに、落語を含めた寄席演芸番組がゴールデンタイムのトップに躍り出る、特に東京では、後のTBSであるラジオ東京、関西では朝日放送が特に力を入れていた、という記述に続いて、談志はこんなことを書いている。
「東の方には出口一雄という辣腕な、ポリドールレコードから引き抜かれた演芸部長がデンと座り、関西には出口氏の無二の親友であり、よく似た気性、芸に対する価値基準が似ていた松本昇三氏。この二人にどういうわけだか柳家小ゑん(二つ目時代の談志)は愛された。生意気だからだったからかもしれない。」
そして、出口、松本の二人は東西交流を考える。その第一回目の東京からの派遣落語家が柳家小ゑんであったというのである。
談志は出口一雄について何度か語っているが、自身との交流を述べている文章は、私が読んだ限りでは、これしかない。
早速、出口は談志についてはどう思っていたのか、出口一雄の姪、Suziさんにメールで訊いてみた。
その返信に言う。
「私の知る限りでは、東京中学〔今はない〕の後輩で、あのキザさを根っから嫌っていました。
『あいつは中学の後輩だけどナ、江戸っ子なんかじゃねえ。キザな野郎だ。江戸っ子がキザ?、見られたもんじゃねえよ。だけど頭の回転はいいよ。凄い』
それしかワカリマセン。
だから『絶対に俺のプロにゃ入れねえし、頼まれたってゴメンこうむる』って言ってました。
波長がなんとも合わない相手だったようです。
それしかありません。
私自身は、彼のあの話し方が嫌いでした。口先でちょぼちょぼ話すのが嫌い。江戸っ子のあの歯に衣着せぬ、ポンポン言うのでなくちゃ嫌です。
しかし、彼はこれを武器にしたんではないでしょうか? ネタはあちこち行って多くを吸収し、落語学〔?〕もきちんと勉強し、基礎も知識も持っていました。若者にはこれが受けたんでしょうねえ。そんな気がします。
今となっては古い記憶。もう詳細は思い出せません。」
相変わらず「歯に衣着せぬ」見事な論評である。
後の四天王では、出口さんの好みで言えば、一に、その才能と人柄をこよなく愛した古今亭志ん朝であり、二に、デグチプロを引き継いだ八代目橘家圓蔵(当時の月の家圓鏡)だったろう。小賢しい印象を与える、五代目三遊亭圓楽や立川談志は、あまり好きではなかったかもしれない。
しかし、その彼を、東西若手落語家交流において、第一回目の派遣落語家に抜擢するのだから、好き嫌いで仕事をしない出口一雄の、面目躍如といったところではないか。
内海桂子が「当時の若手で、出口さんの世話になっていない者はいない」と言っていたけど、本当だったのだなあ、と今更ながらに思う。
2018年8月19日日曜日
今日の日記
朝、ごはん、味噌汁、目玉焼き、昨夜の天ぷらを煮たの。
散歩がてら床屋に行く。
うつらうつらしながら髭をあたってもらい、コーヒーをご馳走になって帰る。
昼はヨークベニマルのパン。焼きそばパン、ウインナー、カレーパンを食べる。
午後から長男の友だちが遊びに来る。
しばし昼寝の後、桂文楽『景清』をレコードで聴く。
夕方は近所の神社でやっているお祭りを見に行く。
生ビールを飲みながら、ぼんやりステージを眺める。今年も立浪部屋の力士が、場を盛り上げる。
ぶらぶら歩いて帰る途中、父に会う。父もお祭り見物に行くようだ。思わず、「どちらさんでしたっけな?」「バカ、お前の親父だ」という小噺を思い出す。
夕食は、豚生姜焼き、茄子焼、油揚げ納豆でビール、酒。
この数日、朝晩はずいぶん涼しくなりました。
散歩がてら床屋に行く。
うつらうつらしながら髭をあたってもらい、コーヒーをご馳走になって帰る。
昼はヨークベニマルのパン。焼きそばパン、ウインナー、カレーパンを食べる。
午後から長男の友だちが遊びに来る。
しばし昼寝の後、桂文楽『景清』をレコードで聴く。
夕方は近所の神社でやっているお祭りを見に行く。
生ビールを飲みながら、ぼんやりステージを眺める。今年も立浪部屋の力士が、場を盛り上げる。
| なかなか達者な司会のお相撲さん。 |
| 立浪部屋のちゃんこ鍋。無料。 豚肉、大根、白菜、人参、ニラが入る、味噌仕立て。 甘めの味付け。旨し。 |
| 青い浴衣を着ているのが、朝青龍の甥っ子。 バク転ができるほどの身体能力を持つ。 |
ぶらぶら歩いて帰る途中、父に会う。父もお祭り見物に行くようだ。思わず、「どちらさんでしたっけな?」「バカ、お前の親父だ」という小噺を思い出す。
夕食は、豚生姜焼き、茄子焼、油揚げ納豆でビール、酒。
この数日、朝晩はずいぶん涼しくなりました。
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