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2013年7月2日火曜日

風柳の根多帳①

久し振りに落研の話。
私は3年の9月、三代目松風亭風柳を襲名し、真打に昇進した。
真打になると、覚えた噺を自由に人前でできるようになる。
『穴泥』のネタ下ろしは、ゼミのコンパじゃなかったかな。何度か書いているが、ゼミのコンパでは私の落語が定番になっていたのだ。
桂文楽の持ちネタだが、私は入船亭扇橋のが好きだった。高校の頃聴いて、腹を抱えて笑った。柳家小さんの型なのだとは思うが、扇橋の気弱な甚兵衛さんがニンに合って、やたら可笑しかった。文楽の『穴泥』は大学になって聴いたが、サゲ際が少々もたつく印象があって、もうひとつノレなかった。
扇橋のテープが手に入らなかったので、文楽のテープを元に扇橋のを思い出しながら覚えた。
この噺には陰陽の枕を振るのだが、私は当時流行っていた「明るい暗い」で作ってみた。明るい人は東京駅から帰省する、暗い人は上野駅から帰省する、というのを導入にして、うちの大学の学生でも、小田急線の下北沢方面から通ってくるのは明るい、小田急線の新百合ヶ丘方面から通ってくるのは暗い、もっと暗いのは南武線で通ってくる、というのであった。まあ他愛のないものではあるが、そこそこウケたな。文学部的なネタだったんだろうね。
文楽はサゲの「三両なら俺の方で上がってく」を泣き声で演じていた。若き日の川戸貞吉が「三両もらえるのだから、喜ぶべきじゃないですか」と文楽に疑問をぶつけた。文楽はそれには答えず、しばらく『穴泥』を高座にかけなかった。久々に川戸の前で『穴泥』を演じた時、文楽はやはりサゲを泣き声で演ったという。
実際演ってみると、喜色満面では上がれないな。大体甚兵衛さん、ものを盗るつもりでこの家に入ったわけじゃないもん。金策にさ迷い歩くうち、戸締りをし忘れた大店に声を掛けるつもりで入ったら、宴会の後そのままにされた座敷にあった酒を見つけ、それを飲んで酔っ払い、そこにいた赤ん坊をあやすうちに穴蔵に落っこちてしまったんだよな。それで泥棒にされちまったんだよな。身の不運に情けなくって、そりゃあ泣いちゃうよ。三両もらえたって、上に上がれば泥棒扱いされるんだもんな。
というわけで、私も泣き声の気分で演りました。
校内寄席にも一回ぐらいかけたかな。年末の噺だから、あまり演る機会がなかったんだよね。

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