私の中に、私だけの神様がいて、「神様ありがとう」と言える瞬間が確かにあった。
それは、今の職業に就けた時。
それは、妻と恋愛して結婚した時。
そして、こんな私でも人の親になれた時。
いや、そんな大それた時ばかりではなく、日々の生活の中のほんのひと時に、そう思える時があったのだ。
ふと気づいた。この頃、「神様ありがとう」と言っていない。
それは、決して私が不幸だったのではなく、そのように思える心を失っていたのだな。
「心を亡くす」と書いて「忙」。だけど、それほど忙しかったわけじゃない。心を何かに奪われていただけなのだ。
「何か」は分かっている。
でも、そんなことはどうでもいい。
先日も書いたが、霞ヶ浦を眺めることや、陶淵明の詩を読むことや、「神様ありがとう」と言えるような心を取り戻すことが必要なのだ。
自分らしくあれ、無理するな。自分に言い聞かせながら一歩一歩進んで行くよ。
ゴーヤーも随分伸びた。植物は健気でいいねえ。
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