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2013年8月23日金曜日

三遊派の人、古今亭志ん朝

先日、妻が子どもを連れて実家に行っていた時があった。
まとまった時間を一人で過ごすことになり、まあせっかくだからと古今亭志ん朝の『文七元結』のDVDを観ることにした。
1時間余り、まさに至福の時間でしたな。
改めて感じたのが、志ん朝の型の美しさ。
父、志ん生の芸は型とは対極にあり、基礎を固めるのには不向きであった。そこで、志ん朝は前座時代、八代目林家正蔵のもとに通う。正蔵はきっちりとした型の人、そこで基礎を固めた。正蔵自身は地味なタイプだったが、やがて志ん朝は、より華麗な型の人である八代目桂文楽を志向する。それに加え、六代目三遊亭圓生の演劇性、さらには三木のり平に師事して芝居の舞台に立った経験も取り入れた。
白眉は、やはり、吾妻橋で身投げをしようとしている文七と左官の長兵衛のやりとりだろう。文七を取り押さえ欄干から引きずりおろす。繰り返す度に入れ替わる上下。長兵衛が文七の表情を確かめるのに顎を掴まえる。長兵衛がやろうかやるまいか逡巡し懐から金を出し入れする。投げつけられた財布を捨てようと振りかぶった文七が、その感触から本物の金が入っていると気づく。その型が、いちいち美しいのだ。目線、仕草、表情、全て見事。
娘が身を売って作った金、それを目の前で身投げしようとする若者を救うためにやっちまおうとする苦悩、葛藤を、克明に描かれると正直つらい。志ん朝は、そこを華麗に型で演じてくれる。確かにケレンの匂いがするし、正蔵のようにあっさりやってしまうのが粋だとは思うが、志ん朝のように見事に演り切ってくれれば文句はない。志ん朝の芸談にある、「クサく演れ」「客はイカしてやれ」というのの真骨頂が、この『文七元結』にあると思うな。
「型より入って心に迫る」というのが三遊派の演出だとすれば、志ん朝は三遊亭派を体現する落語家だったといえよう。
志ん朝が基礎を習った正蔵は、三代目柳家小さんを敬愛し、五代目小さんと名跡を争った人だが、三遊亭圓朝門下の三遊一朝から怪談噺・芝居噺を継承した人だった。父志ん生は二代目三遊亭小圓朝門下で落語家人生をスタートし、四代目橘家圓喬に憧れた。文楽は三代目三遊亭圓馬の薫陶を受けている。落語協会分裂騒動で行動を共にしようとした圓生は言うに及ばず、志ん朝のバックボーンになっている人たちのほとんどが三遊派の人たちだった。
もはや三遊の、柳のといった伝統は無きに等しいが、平成の世に三遊派の華麗な様式美を見せてくれたのが、古今亭志ん朝だったのではないだろうか。

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