小学館から出た、「永遠の詩」シリーズ全8冊の、最後を飾る本である。
私が八木重吉の名前を知ったのは、20年ほど前か。確か、新潮文庫から出ていた、『近代名詩選』(上・中・下)の中に、彼の作品が入っていたのだ。
重吉の詩は短い。ほんの1センテンスのものが、けっこうある。
「かなしみと/わたしと/足をからませて たどたどとゆく」(悲しみ)とか、「ほそい/がらすが/びいん と/われました」(ほそい がらす)とか、まるで自由律の俳句や啄木の歌のようだ。
石川啄木が妻子から逃げるように借金を重ね遊興にふけり、自由律俳句の尾崎放哉や種田山頭火が実社会そのものを捨てたのに対し、八木重吉は、生涯を通して、敬虔なクリスチャンであり、よき夫、よき父、よき教師として生きた。重吉の詩には、そんなふうに誠実に人生に向き合う姿勢と、生きることのかなしさにあふれている。
しかし、重吉は愛する妻や子を遺し、29歳で結核で死ぬ。
「桃子/お父ちゃんはね/早く快くなってお前と遊びたいよ」(春)なんて、涙なくして読めないよなあ。
そして、二人の子どもも、10代で、父と同じ結核で死んでしまうのだ。重吉の妻、とみの悲嘆たるや想像を絶するものがある。
しかし、とみは戦火の中でも、重吉の詩稿を守り通した。そして、歌人吉野秀雄と再婚し、吉野の援助を受けて、『八木重吉詩集』を世に出すことになる。
今、私たちが重吉の詩を読むことができるのは、とみのおかげであり、とみを助けた吉野秀雄のおかげである。重吉の人生は短かったが、その言葉は永遠のものとなった。それも、重吉が愛し、重吉を愛した人たちの力があったが故のことだ。
この奇跡のような美しい言葉を、私は大切に大切にしていきたいと思う。
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