前回、『鰻の幇間』の話を書いて、幇間についてつらつら考えてみた。
まあ変な職業だよな。同じ花柳界にあって、花魁や芸者のように、うまくイメージがわいてこない。
落語の中ではパアパア言いながら、客をヨイショしてご祝儀をせしめる役どころで出てくる、その程度。
幇間は、男芸者とも呼ばれた。歌や踊りで酒席を盛り上げる、旦那のお相手をするといったことが主な仕事だが、腕のある幇間は、旦那の財布を預かり、酒宴を取り仕切ったという。
まあいわば、旦那の遊びのプロデューサー的な存在ですかね。
ちょっと話がずれるかもしれないけど、宴会を仕切ってくれる、「気の利く後輩」がいるといいなあと時々思う。店の手配や女の世話なんかを一手に引き受けて、宴席でもカラオケで盛り上げてくれたり、話し相手にもなってくれたりする。タレントでいえば、今田耕司とかサバンナ高橋みたいなタイプね。飲んでて楽しそうだし、気は利くし、言うことない。
そして、それを職業としたのが、実は幇間なのではないかと、私は思う。
お旦の場合、その「気の利く後輩」がアマチュアだったら(例えば部下だったりしたら)、そいつの地位なんてのを配慮したり、それ以外の者との人間関係を考慮したりと、なかなか面倒臭い。
でも、それがプロならば、金銭で片付くわけだから、何かと便利だ。
かくして、お旦という富裕層が花柳界で遊んでいた時代には、幇間という職業に確実に需要があったのだ。お旦は、幇間の前で進んで自分の嫌な部分を見せることができ、我儘に振る舞うことができた。(落語の『幇間腹』や『つるつる』などは、そのような関係から生まれた噺である。)そして、お旦のような人種しか、そんなことに金は使わない。お旦階級の消滅とともに、幇間も消滅する運命にあったのだ。
しかし、幇間の本質が「気の利く後輩」であるとすれば、幇間的人物は普遍的な存在であるともいえる。(テレビの中に、今田耕司やサバンナ高橋がいるように。)幇間という職業が事実上消滅した今でも、幇間の噺が生命を持ち続けているのも、別に不思議なことではない。
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